2013年03月11日

性について228

人間の欲望に関しては、動物の本能におけるような、完全な満足はあり得ず、厳密な意味では、挫折に他ならない。
との、岸田の指摘である。

しかも、その部分的・代理的満足を提供した外的条件は、自然の現実的条件ではなく、他者「親、社会、文化など」によってつくりあげられた、または、のちには一部分自分がつくりあげる人為的条件、すなわち擬似現実である。
岸田

その、擬似現実の中で、完全な満足の幻想を生じさせた。その幻想と結びつき、その幻想に支えられるようになる。というのが、岸田の言い分である。

それが、共同幻想にまで広がる。
更に、幻想に犯されて、個人がまた、私的幻想を抱く余地を残している。

面白いのは、
かくして、完全な満足の幻想と結びついた欲望は、ますます現在の現実的条件からずれ、過去に顔を向けるようになる。過去の状態の再現を求めるという欲望の特質を、より正確に言い直せば、過去の幻想の満足の状態の再現を求めるということである。しかし、この状態は、かつて一度も実在しなかった状態であり、未来においても決して実在しないであろう。
岸田

と、言うことになる。

そして、ついに快感原則は、満足の快感を求める性本能の原則ではなく、幻想の法則であるということになる。

これでは、絶望である。

快感原則を突き詰めれば、涅槃原則に帰着するという、岸田の考える世界は、実に、絶望に満ちている。

人間の性は、その欲望は、この原則に支配されている限りは、避け難いのである、となる。

更に、性器的形式から切り離されたリビドーは、幻想を通して、どのような形式とも、結びつくのである。

だから、人間の、性行為は倒錯なのである。
いや、それが、多数ならば、倒錯ではなく、正常であるといえる。

フロイトからはじまる、心理学者たちの理論も、すべて、幻想から成るものであり、私の言い方をすると、妄想である。

その一端を持って、何をどのように説明しようと、儚い妄想なのである。

それを学んで、分かったつもりになる、研究者と学者の姿は、笑えるが、当人は、真剣である。

岸田は、それに関しても、幻想に支えられているという人間の性欲の特殊性を無視する理論では、説明のしようがないと、断定する。

日本の心理学者も、この辺まで進むと、世界的に紹介出来ることになる。

性格というものは、水路づけの理論で考えられるように、機械的に反復されたために習慣として固定した反応形式ではない。それは、幼児性欲をもつ幼児が、父母との人間関係において幻想の満足を求めた諸形式が構造化されたものであり、のちに、多大の不適応を招いても性格がなかなか変わらないのは、満足の幻想と結びついているからである。
岸田

性的倒錯は、性と関係ない、倒錯の性格が、性化されたものではない。
それは、性化ではなく、再現化である。

つまり、フロイト流に言うと、昇華であり非性化である。

この、非性化とは、ある形式の性的意味づけをやめるということであり、意識、前意識の面での抑圧のことであり、その形式を無意識的に支えているのは、依然として、性的リビドーである。

つまり、排泄の際に、肛門の快感を性的快感と感じるか、否かは、当人の問題である。

そして、それは、肛門リビドーの在り様である。

更には、それを性的快感と考えていなかった者が、肛門を愛撫されて、性的快感と感じるようになったとすれば、非性化が、再生化されたということになる。

性倒錯者とは、一般には再生化されない、または再生化が禁じられている対象または行動形式を再現化し、かつその再現化が固定した者である。
岸田

再現化が、固定する・・・

多くの人間は、固定しているはずだ。

最初から、人間の性欲が、倒錯しているのだから・・・
当然といえば、当然である。

しかし、自分は、ごく普通の性欲だと、考える人が圧倒的に多いだろう。

幻想、妄想であれば、百人百様の性欲がある。

幼児期の多型性欲倒錯は、思春期まで、続くと私は、考える。
兎も角、何でもありの性欲なのである。

要するに、人間においては、性倒錯はもちろん、いわゆる正常な性器性欲も、幻想に支えられているということであって、人間のエロティシズムの豊かさ、美しさも、またそのいやらしさ、醜悪さも、ここに由来するのである。また、エロティシズムがどこまでいっても満足に達し得ず、必然的に挫折する宿命にあるのも、そのためである。
岸田

習慣と、社会性・・・
教育により・・・
己の性欲の幻想が出来上がる。

そして、面白いのは、自分の性の在り様を、人にも、勧めるということである。
皆、そうなんだ・・・
それが、救いになる。
だから、独身を通す人に対して、既婚者は、結婚を勧める。
実際は、結婚などしなければ、しない方がいいと、思っても、自分と同じような人が多く必要なのである。

結婚しなくても、子供は、出来る。
子孫は、残せるのに。

更には、世の中では、片親では、子供が真っ当に育たないとの、偏見を植え付けるのである。
少し、話が、落ちたが・・・



posted by 天山 at 01:49| 性について5 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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