2013年02月26日

タイ・ビルマ戦線3

藤田松吉さんの、慰霊塔を終えて、再度、チェンマイ市内に戻る。
次は、野戦病院跡の、お寺、ムーサン寺である。

そこも、一度訪れていた。
しかし、その際は、兵士たちの遺留品の展示されている部屋に入ることが出来なかった。

今回は、その担当の僧侶がいて、部屋を開けて貰い、中に入ることが出来た。

慰霊の前に、その遺留品を清め祓いする。

その際に、私たちが入った部屋に、木立が騒ぐ音がしていたと、辻代表が言う。
私は、兎に角、夢中だったので、その音を知らない。

そして、清め祓いが終わると、その音がピタット止んだという。

写真を撮っていたK氏も、夢中で聞えていなかったという。

活動履歴に、その多くの写真を掲載する予定です。

さて、そこに展示されていた、古い写真を一枚一枚と見つめて、当時の様子を確認した。

もうすでに、皆さん、亡くなられている。
遺留品と写真と・・・
何とも、胸に迫るものがある。

ようやく、部屋を出て、慰霊碑の前で、慰霊の儀を行う。
そこでも、黙祷を主にした。

日の丸を掲げて、清め祓いをする。
すべては、音霊、おとたま、による。

日中の日差しは、強い。
照り付ける太陽の光。

実際、チェンマイの朝夕は、涼しいのだが・・・
気温差が、10度以上ある。
私たちには、涼しいが、現地の人たちは、寒いらしく、マフラーまで使う。

夜は、エアコンが必要ないほど、涼しいのである。

ムーサン寺すべてを、野戦病院として使用していた日本軍である。
ここまで、辿りつけば、何とか生きられただろう。

更に、タイの人たちは、親切だった。

だが、そこから、西にかけては、多くの日本兵の遺骨が散乱している。今、現在も遺骨が出てくる。
その辺りには、個人的に、慰霊碑を建てた人もいる。

一度、私も、その西の方面にある、色々な慰霊碑を廻った。

その付近一帯に、日本兵の遺骨があると聞いて、複雑な心境になったことを、思い出す。
もう、どこに埋められてあるのか、分らない。

だから、その地で、慰霊するしか方法はない。

チェンマイから、タイ北西部は、慰霊の巡礼地である。
チェンマイを訪れる日本人は、多い。
せめて、目についた、日本兵の慰霊碑に対しては、黙祷をして欲しいと思う。

日本人は、先祖供養を大切にする、国民性だが・・・
戦没者も、先祖である。

名も知られずに、散華した日本兵に、哀悼の意を示して欲しい。
特別なことは、する必要はない。
ただ、黙祷でいい。

自国の兵士の慰霊碑に、手を合わせることもないと、現地の人に言われることは、恥である。

更に、その人間性までも、疑われる。

日本の国歌には、戦争賛美はない。
世界でも、稀な国である。

多くの国の、国歌は、おおよそ、戦争賛美であり、国のために戦うことを推奨する歌が多い。

君が代は・・・
その君は、天皇のことではない。
天皇ならば、大君となる。

その君は、愛する人、大切にする人の意味である。
その君が、長く生きるようにとの、願いを込めて歌う。

いつまでも、幸せで生き続けて欲しいという、意味である。

それに対して、天皇陛下は、何も仰せにならない。
それで、いいからである。

天皇は、国と、国民のために、祈られる存在であるから、国民が幸せならば、何もいうことがない。

そして、国民に、不孝が起こった場合は、わが身の不徳と自重し、更には、国民のために祈る。
そのような、存在を、日本民族は、天皇として、主としての、存在を置いた。
それは、民族の知恵である。

天皇の下に、国民は、一致するという、共同幻想を築き上げたのである。

国家は、共同幻想により、成り立つ。
その共同幻想が、いかに、素晴らしいか・・・
それが、日本である。

美しい神話を持つ国、日本である。
そして、その神話から、天皇という、共同幻想を生んだ。

八百万の神たち・・・
まさに、日本の面目である。




posted by 天山 at 05:54| タイ・ビルマ戦線 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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