2013年02月25日

タイ・ビルマ戦線2

チェンマイにて、今回の慰霊は、藤田松吉さんの建てた慰霊碑と、野戦病院跡のお寺である。

チェンマイ市内から、車で一時間ほどの郊外に、藤田松吉さんの慰霊碑がある。

藤田さんは、タイ・ビルマ戦線の生き残りである。
そして、日本に帰国せず、タイに残り、戦友の遺骨収集をはじめた。

その数、およそ800体である。
その遺骨をお祀りするため、慰霊碑、慰霊塔を建てた。

現地で結婚し、農業を始める。
そして、追悼の日々が続く。

藤田さんは、長崎出身のカトリック信者である。

遺骨収集をはじめてから、毎晩、夢を見るようになったという。
それが、戦友が出てくるものばかり。

不思議でも何でも無い。
当然のことだ。

藤田さんは、戦友の悲しみの顔に、語り掛けた。
俺は、クリスチャンだから、クリスマスの夜に、ご馳走、酒を用意して、皆を待っているよ・・・
その約束をすると、夢に現れなくなくなった。

それから、毎年、クリスマスの日は、沢山のご馳走と酒を用意して、戦友たちと飲みあったという。

そして、今もそれは、続いている。

だが、藤田さんも、亡くなった。

慰霊塔には、現在、藤田さんの遺骨だけがある。
収集した遺骨は、厚生省に渡し、今は千鳥が淵墓苑に埋葬された。

だが、霊位と、骨は別である。

矢張り、霊位は、その場に居残る人もいる。

今回で、私は三度目の訪問である。
慰霊塔は、有志の皆さんの手で、綺麗に清掃されて、更に、その周囲に囲いがあり、ベンチも用意されていた。

今回は、黙祷を主にして、最後に清め祓いの祝詞を献上する。
黙祷の前に、君が代を歌った。

更に、その土地の守り神様に、ご挨拶をした。
それは、慰霊塔の傍に流れる川の守り神でもある。
タイでは、至る所にピーの祠があるが、そこにも、昔あった。だが、今は、誰も見る人なく、祠も無い。
そこで、私は、その土地の神様にも、祈った。

最後に、辻友子代表が、クリスチャンだった、藤田さんのために、ピエ・イエスを独唱した。

その声は、響き渡り、そのまま天に昇るようだった。

最後に私は、つぶやくように、同期の桜を歌った。

名残惜しく思いつつ・・・

チェンマイの近郊には、日本兵の遺骨が散乱してある。
未だに、発見されない遺骨も多々あるのだ。

タイの人の好意で、埋葬され人たちも多い。
だが、それを行った方も、亡くなり、場所も分らない。

そして、今は、日本人全体が、彼らの存在を忘却の彼方へ追いやる。

ある、慰霊碑の場所では、こんなことを現地の人から聞いた。
日本人の観光客でも、日本人の慰霊碑に手を合わせないよ・・・
少しの軽蔑も混じる。

実に、情けない。

激戦地が観光地と化している国もある。
そこでも、大半の日本人観光客は、手を合わせることもない。

見るだけ・・・
実に、恐ろしい蒙昧である。

その時代に生まれ合わなかったということだけでも、感謝である。
平和な時代に生まれ合わせて、感謝である。

その前に、悲惨な戦争があったということ。
追悼すること。
そして、慰霊すること。

黙祷するだけで、いいのである。

霊位は、乾いている。
だから、人の思いは、尊い。
思いが、霊位を潤すのである。

霊とは、思念であり、想念である。
だから、こちらも、思念と、想念で、対処する。

一般的に使われる言葉、成仏していただくのである。

私は、亡くなられた方々を、命、みこと、とお呼びして、祈る。
そして、日本へ、ふるさとへ、靖国へと、帰って頂く。

異国で命を落とした無念さは、計り知れない。
更には、餓死とは・・・

命、みこと上がりし給えと、祈る。



posted by 天山 at 06:20| タイ・ビルマ戦線 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。