2013年02月23日

国を愛して何が悪い54

アメリカの歴史学者、チャールズ・ピアードは、その著書「ルーズベルト大統領と日米戦争」にて、日米戦が、ルーズベルトによって、巧妙に仕掛けられた戦争であることを、告発した。

終戦三年後、1948年の出版であるが、日本では封印されていたのである。

そして、更に、それを裏付ける確実な資料が出た。
ルーズベルトの長女の夫、カーチス・S・ドールの家族内からの告発本「操られたルーズベルト」である。

会食の席で言う。
私は決して宣戦はしない、私は戦争を造るのだ・・・

真珠湾前日の会食では、
明日戦争が起こる・・・
と、つぶやいていた。

実は真珠湾奇襲の成功は、世界中を感動させた、悲しんだ国は一つもなかったという事実を確認せねばならない。当のアメリカは大統領が日本に仕掛けた罠がかかったので喜んだことはもちろんだ。世界一の死の商人国の米国民の大部分も、密かに戦争を期待、歓迎していたので内心喜んだはずだ。
清水馨八郎

最も、喜んだのは、イギリス首相チャーチルである。
仏、蘭の連合国も、皆歓迎した。

そして、ソ連のスターリンである。
敵同士の戦いは、大歓迎である。

枢軸国のヒットラーも、イタリアのムッソリーニも、皆、仲間が立ち上がったという。

そして、別の喜び方もあった。
アジア、アフリカの、被抑圧植民地の人々である。
有色人種の代表である日本が、白人を攻撃して、大成功したという。
つまり、植民地解放が近いと、奮い立ったのである。

この、大東亜戦争を、再度、解釈し直す必要がある。
この戦争によって、以後、植民地が、続々と独立を果たして行くのである。

つまり、この戦争は、世界史の転換点となった。
その発端が、日本であるということ。

タイ国、元首相プラモート氏は、アジアの忠臣蔵だ、12月8日を忘れてはならない。アジアの独立国を産んでくれたお母さんの日本の決断に感謝しようと、叫んでいると、述べている。

真珠湾奇襲成功の二日後、イギリス極東艦隊の、旗艦プリンス・オブ・ウエールズと、レパルスが、日本海軍の爆撃で撃沈した。
マレー沖海戦である。

このニュースを聞いた、チャーチルは、大英帝国の凋落を感じて、地に伏して泣いたという。彼は二日で、絶頂の歓喜と、絶望を味わうのである。

日本陸軍は、マレー半島のコタバルに上陸し、住民の歓呼と支援の中で、イギリス東洋の軍事拠点シンガポールに南下し、占領した。

香港、フィリピン、インドネシアにも、進撃し、白人守備軍を、わずかの間に征服する。

日本軍の活躍は、長く白人植民地として虐げられていた、アジア諸民族を感動させ、独立への夢を駆り立てた。

日本が敗戦後、次々と独立することが出来たのは、一度、日本によって、目覚めさせられた独立への夢と、希望である。
そして、その指導者たちは、長い間、日本を拠点にして活動していたのである。

アジア唯一の独立大国である日本は、アジアの希望であった。

各地の植民地当局から逃れて、革命家たちは、日本の多くの同士たちによって、匿われた。そして、指導を受け、援助された。

その中で、祖国の英雄と称えられた人々である。
インドの、チャンドラ・ボース、インドネシアの、スカルノとハッタ、フィリピンの、リカルテとラモス、ビルマの、オンサン、中国の孫文、韓国の金玉均・・・

日本は、戦時中、東南アジアの優秀な青年を集め、南方特別留学生制度を作り、独立運動の指導者、新生国家建設を担うエリートを養成した。
その中には、インドネシアのスカルノのように、大統領になったものもいる。

昭和18年11月5日、東条首相は、アジア各国代表を集めて、「大東亜会議」を開いた。アジア最初のサミットである。

これは、アジアを欧米植民地から開放し、各々が自存自衛の独立国となり、お互いに協力し、共存共栄し、アジア諸国の存在と文化を、世界に主張するものであった。

そして、それは、敗戦後30年を待たずに、NIES、ASEAN諸国のように、結実した。

一時期、日本が植民地にした・・・
そういう見方もある。
だが、結果的に、皆々、独立を果たし現在がある。

一時期、日本が統治したが、それは、欧米の植民地政策のようではなかった。

例えば、インドネシアでは、350年間の植民地支配を続けたオランダ軍を、わずか9日間で全面降伏させ、独立の指導者、スカルノとハッタを獄中から救出し、建国を急がせた。

祖国防衛義勇軍を編成させて、祖国防衛と独立の戦士を養成した。

日本が敗戦すると、英蘭連合軍は、再び植民地を取り戻そうと、再度上陸してきた。これを迎え撃った、スラバヤ戦争で、素人のインドネシア軍が、近代戦の体験がないのに何故勝てたのか・・・
それは、日本軍が、連合軍に引き渡すことになっていた武器を、インドネシア人に奪われたとして、裏で渡していたのである。

更に、民兵の素人戦術を見かねて、2000名の日本兵が、インドネシア軍に協力したからである。

その半数は、戦死したが、現在はインドネシア独立の英雄として、奉られている。

インドネシアは、日本を救世主、日本軍を神兵と称えていた。

インドネシアは、日本の敗戦が伝わると、即座に独立宣言を行った。
その際に、神武天皇紀元2605年の05をとり、独立宣言文の記念とし、国旗も、日本に真似て、赤と白の二色旗に決めるのである。

日本という、生みの親がいなければ、インドも、マレーシアも、ビルマも、その他のアジア諸国も、独立できなかったのである。

それを、今こそ、再認識しなければならない。




posted by 天山 at 00:09| 国を愛して何が悪い2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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