2013年02月16日

もののあわれについて601

月もなき頃なれば、燈籠に大殿油まいれり。源氏「なほ気近くて暑かはしや。かがり火こそよけれ」とて、人めして「篝火の台一つこなたに」と召す。をかしげなる和琴のある、引き寄せ給ひて、掻き鳴らし給へば、律にいとよく調べられたり。音もいとよく鳴れば、すこし弾き給ひて、源氏「かやうのことは御心に入らぬ筋にやと、月ごろ思ひおとし聞えけるかな。秋の夜の月影涼しき程、いと奥深くはあらで、虫の声に掻き鳴らし合はわたるほど、気近く居間めかしきものの音なり。ことごとしき調もてなししどけなしや。この物よ、さながら多くの遊びものの音、拍子をととのへとりたるなむいとかしこき。和琴とはかなく見せて、際もなくしおきたることなり。広く異国のことを知らぬ女のためとなむ覚ゆる。同じくは、心とどめて物などに掻き合はせて習ひ給へ。深き心とて、何ばかりもあらずながら、またまことに弾き得ることは難きにやあらむ。ただ今はこの内の大臣にならずらふ人なしかし。ただはかなき同じすが掻の音に、よろづのものの音こもり通りて、言ふ方もなくこそ響きのぼれ」と語り給へば、




月も出ない頃なので、燈籠に明かりが入った。源氏は、燈籠では近すぎて、暑苦しい。篝火がいい、と言い、人を呼び、源氏が、篝火の台を一つ、こちらにと、取り寄せる。
結構な和琴があるのを、手許に取り寄せて、掻き鳴らすと、律の調子に見事に整えられている。音もよく響き、少し弾いて、源氏は、このようなことは、お好きではないのかと、今まで馬鹿にしていたのだ。秋の夜の月の光が涼しい頃、大して奥まったところではなく、虫の鳴く音に合わせて、弾いたりしたのは、親しみもあり、華やかな感じがする楽器だ。改まった演奏は、取り扱いがうまくゆかないものだ。この楽器は、このままでは、どの楽器の音色や拍子にも合わせられるようにしたところが、大したものだ。国産のものと、何気ない風をして、実は、巧妙極まる造り方だ。広い外国のことを知らない女のための、楽器といえる。同じ習うなら、気をつけて、他の楽器と合奏して、練習しなさい。難しい手といって、特にあるわけではないけれど、それでも本当に、上手に弾きこなすことは、難しいのだろうか。今では、父君の内大臣に並ぶ人はいない。ほんの少し誰もが弾くが、掻き鳴らしても、あらゆる楽器の音が含まれていて、言いようもなく高く響くのだ。と、お話になると、




ほのぼの心えて、いかでと思すことなれば、いとどいぶかしくて、玉葛「この辺にてさりぬべき御遊の折りなどに聞き侍りなむや。あやしき山がつなどの中にも、まねぶものあまた侍るなることなれば、おしなべて心安くやとこそ思ひ給へつれ。さは、すぐれたるは様ことにや侍らむ」とゆかしげにせちに心に入れて思ひ給へれば、源氏「さかし、あづまとぞ名も立ちくだりたるやうなれど、御前の御遊にも、先づ書司を召すは、人の国は知らず、ここにはこれを物の親としたるにこそあめれ。その中にも親としつべき御手よりひきとり給へらむを、心ことなりなむかし。ここになども、さるべからむ折りにはものし給へらむを、この琴に、手をしまずなど、あきらかに掻き鳴らし給はむことや難からむ。物の上手は、いづれの道も心安からずのみぞあめる。さりともつひには聞き給ひてむかし」とて、調少し弾き給ふ。ことひいと二なく、今めかしくをかし。これにもさまれる音や出づらむ、と、親の御ゆかしさたちそめて、この事にてさへ、いかならむ世に、さてうちとけ弾き給はむを聞かむ、など思ひ居給へり。




少しは、知り、是非、何とか上手にとの思いの和琴なので、もっと聞きたく思い、玉葛は、二条院で適当な催しがあります時にでも、聞かせて頂きたく思います。身分も無い田舎者の中にも、習う者が大勢いることでございます。誰でも、気軽に弾けるものと思っていました。では、お上手な方は、まるで違うのですね。と、聞きたそうに、大変、気を入れているので、源氏は、そうだ、東といって、名前も低いように思われるが、帝の御前の合奏にも、まず第一に書司をお召しになるのは、外国は兎に角、我が国では、和琴を、第一のものとしているからだろう。その弾き手の中でも、第一人者というべき、内大臣のお手から、教えを受けられるとなれば、格別だ。この邸などにも、何かの折りには、おいでになるだろうが、和琴に手を惜しまず、隠さず演奏してくださることは、まずないだろう。上手といわれる人は、どの道でも、自重ばかりしている。とは言っても、いずれはきっと、聞く事が出来るだろけう。と、おっしゃり、調べを少し弾かれる。その音色は、聞いたこともなく、華やかで、面白い。これ以上の音色が出るかと思いつつ、親御にお会いしたい気持ちが強くなり、和琴につけても、いつになったら、父君がくつろいで、お弾きになるところを聞くことがあろうかと、考えている。




源氏「貫河のせぜのやはらた」と、いとなつかしく謡ひ給ふ。「親さくる妻」は、少しうち笑ひつつ、わざともなく掻き鳴らし給ひたるすががきの程、いひ知らずおもしろく聞ゆ。源氏「いで弾き給へ。才は人になむ恥ぢぬ。想夫恋ばかりこそ、心の中に思ひて、紛らはす人もありけめ。おもなくてかれこれに合せつるなむよき」と、切に聞え給へど、さる田舎の隈にて、ほのかに京人と名のりける、ふる王女の教へ聞えければ、ひがごとにもやとつつましくて、手ふれ給はず。「しばしも弾き給はなむ、聞きとることもや」と心もとなきに、この御事によりぞ、近くいざり寄りて、玉葛「いかなる風の吹きそひて、かくは響き侍るぞとよ」とてうち傾き給へるさま、火影にいと美しげなり。笑ひ給ひて、源氏「耳かたからぬ人のためには、身にしむ風も吹き添ふかし」とて、押しやり給ふ。いと心やまし。




源氏が、貫河の瀬々のやはらた、と大変優しく歌う。源氏は、親が合わせぬ妻、というところは、少し笑いながら、さらりと、軽く掻き鳴らす、すが掻きの音が、何ともいえず、面白く聞える。源氏は「さあ、弾いてみなさい。芸事は、恥ずかしがっていては駄目だ。想夫恋の曲だけは、心の中に思うばかりで、逃げてしまう女もいたらしいが。あつかましく、誰とでも、合奏した方がよい、と、しきりにお勧めになるのだが、あんな田舎の、九州の奥で、何やら京の生まれと自称した王族の、おばあさんが教えたのだから、遠慮して、手を触れない。源氏は、しばらくの間でも、弾いて欲しい。そうすれば、それを聞いて、自分が真似できるかもしれない、と、聞きたくてたまらず、和琴のためにはと、お傍近くいざり寄り、玉葛は、どんな風が吹いて、手伝いし、こんな良い音がするのでしょう、と、不思議そうに頭をかしげている姿は、灯の光に映えて、美しい。源氏は、笑い、耳のさとい人のために、体に染む風も吹き加わるのです、と、おっしゃり、和琴を押しやる。玉葛は、何とも迷惑である。

貫河のせぜのやはらた
催馬楽にある。
貫川の瀬々の小菅のやはら手枕、やはらかにぬる夜はなくて、親避くるつま

想夫恋、そうふうれん
唐楽
夫を慕う曲といわれる。
だが、晋の大臣の邸の、蓮の花を歌ったものとされている。

田舎の隈とは、九州の肥前のような場所である。




posted by 天山 at 01:29| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。