2013年02月04日

伝統について60

志賀の白水郎の 塩焼衣の なれぬれど 恋とふものは 忘れかねつも

しがのあまの しほやききぬの なれぬれど こひとふものは わすれかねつも

志賀のあまの、塩焼きの衣が萎えるように馴れたが、いつまでも、恋というものは、忘れられないもの。

いつも、はじめての恋心を持ち続けているのである。
存分に、馴れたが、それでも、まだ恋しいのである。

紅の 八入の衣 朝な朝な なれはすれども いやめづらしも

くれないの はしほのころも あさなあさな なれはすれども いやめづらしも

紅色に染めた衣は、毎朝着て、萎えているが、馴れた妻には、一層、心が引かれるものだ。

マンネリがないのである。
いつも、新しい恋をする。
同じ妻に対して。

紅の 濃染の衣 色深く 染みにしかばか 忘れかねつる

くれないの こそめのころも いろふかく しみにしかばか わすれかねつる

紅色に、深く染めた衣のように、心に深く染みる。あの人が、忘れがたいのである。

万葉集の恋歌は、実に多い。
というより、恋歌全開である。
生きる、それは、恋を生きることだった。

すべては、恋から、はじまったのである。

逢はなくに 夕占を問ふと 幣に置くに わが衣手は 又そ続ぐべき

あはなくに ゆうけをとふと ぬさにおく わがころもでは またそつぐべき

逢えないので、夕占をするために、袖を切って、幣として置く。切った袖は、また継ぐ。妻と袖を交わすことができる。

何とも切ない程の、気持ちである。
あの人のことを、思いつつ、袖を切って、幣として置くという、心である。

幣とは、供え物である。袖を供えて、占うという、その心。

古衣 打棄る人は 秋風の 立ち来る時に もの思ふものぞ

ふるごろも うちふるひとは あきかぜの たちくるときに ものおもふものぞ

古着を捨てるように、恋人を捨てた人は、秋風が吹き始める頃に、物思うことだろう。

矢張り、その頃も、恋人を捨てる男がいたのである。
だが、それは、女の呪いにかかってしまう。

はね蔓 今する妹が うら若み 笑みみいかりみ 着けし紐解く

はねかずら いまするいもが うらわかみ えみみいかりみ つけしひもとく

葉や根のかずらを着けた娘は、初々しいくて、笑ったり、怒ったりしても、その紐を解くことだ。

紐を解く、つまり、セックスをするということである。

処女、乙女の姿である。
そこに、願いがある。
紐を解いてくれ・・・

つまり、恋の成就を願うのである。
恋の成就とは、交わることである。
実に、端的なこと。

そして、新鮮である。
性が、命のエネルギーを感じさせる、歌の数々である。



posted by 天山 at 06:37| 伝統について2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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