2013年02月03日

最後の沈黙を破る71

戦没者追悼慰霊と、衣服支援の「テラの会」活動が、七年を迎える。

次第に、厳しくなる現状である。
それは、最初の頃より、もっと多くのことをするからである。

新しく、難民の孤児たちに、食糧支援をはじめた。
これは、現地調達である。
つまり、お金が必要だ。

多くのボランティア団体は、大震災後、寄付が少なくなった。
当然である。
大震災に回ったのである。

私は、個人的活動である。
だから、それほどの影響は無い。しかし、今までのような寄付の状況では、資金不足である。

資金不足だから、続けられない・・・
いや、方法があるはずだ。
しかし、告知するにも、お金が必要だ。
つまり、矢張りお金が問題なのである。

と、それでは、お金を得るために、仕事を・・・
すると、活動が出来なくなる。
半分以下に・・・それ以下になる・・・

衣服支援は、理解されるが、追悼慰霊を理解するのは、難しいようである。
平成25年、2013年は、敗戦から、68年目である。

それは、遠い昔の話になってしまった。

だが、死者、320万人である。
それほど、大量の人の死がある。

兵士は、230万人である。
その兵士の遺骨は、いまだ、113万人が、戻らない。

遺族の多くも亡くなった。
それでは、それで忘れ去られるのか・・・

そんなことは無い。
兵士は、日本のために、命を落とした。

日本のために、斃れたのである。
忘れてはいけない事実である。

そして、それを、追って、悼むからこそ、平和の意味を知る。
追悼である。

慰霊の行為は、平和への、持続である。

敗戦から、日本は、一度も戦争をしていない。
凄いことである。

アメリカの核に守られていた。
それも、事実である。

それでは、日本も核兵器を持ち、自立すべきだ・・・
と、考える人もいる。
私も、その一人である。
しかし、アメリカの核に守られている。もう、核兵器を造るのは、止めたいと思う人もいる。

だが、世界的に、核兵器廃絶は、現実的ではない。

悲しいことに、抑止のため・・・

まだ、軍事的に強くなければ、駄目なのである。

しかし、戦争回避のための方法は、いつも考える必要がある。

さて、この活動は、続ける。
続けなければ、意味が無い。
慰霊は、繰り返し、繰り返しと、続けるべきである。

死者の霊位に対し奉り、当然のことである。

霊位を慰める。
何度行っても、いいのである。
そして、何度も行うべきである。

私は、戦地に佇み、佇み、その有様、戦争というものの、有様を感じてきた。
激戦地・・・
哀れである。

遠く祖国から離れた場所で、息を引き取るという、悲劇。
不可抗力である。

人生とは、この不可抗力に、何と満ちていることであろう。

現在、当時の戦争に関して、正しい事実が、公開され始めた。
むやみやたらに、戦争を始めたのではない。
多くの人が、戦争回避のために、奔走したこと。

特に、昭和天皇。

天皇の戦争責任・・・
全く論外の話である。

更に、戦犯・・・
日本には、戦犯などいない。

戦犯というなら、アメリカのルーズベルト、イギリスのチャーチルである。
彼らが、画策したのである。

大東亜戦争の意味を、再度検証すべきである。
それが、また、私の活動の根幹でもある。



posted by 天山 at 05:55| 沈黙を破る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。