2013年02月02日

霊学98

カステランの心霊主義には、面白いことが、書かれている。

オーラを伴う、霊媒である。
これは、物理的現象を引き起こす霊媒である。

霊体のエネルギーを、一種のオーラ、光の輪として、肉体の外に放出するのである。
類似したもの同士の直接の接触により、霊がそこから生命エネルギーを汲み取り、テーブル、その他の物体を「生物化する」のである。

一時的に、死せる物質が、生気を帯びる。
エーテル体や、霊体が、魂の衝動に従うのと同じに、生気を帯びた物体が、肉体離脱者の思考に従うのである。

霊体の場合は、心の中で、命ずるだけでもいい。

心霊現象は思考に依存するのだから、その強度の限界は、与えられた精神的命令の限界以外にはないはずである。ところがじっさいには、霊媒の力には限界がある。生命エネルギーの消耗は、「生物化」すべき対象が重要であればあるほど大きくなるからだ。霊媒が起こす現象の強度は、霊媒のエネルギー放出度に直接的に比例している。
カステラン

そこで、霊媒が介在する必要性を説いている。

霊は同類である肉体離脱者の霊体から、必要なエーテル・エネルギーを汲み取ることができるのではあるまいか。あるいは同じ性質をもつ宇宙エネルギーを直接汲み取ることができるのではあるまいか。そうではない。霊は自分自身のエーテル・エネルギーを、宇宙エネルギーで増強するかどうかは別として、生きた人間の流体とミックスする必要があるのだ。これは不可欠であり、必須条件なのである。
生命流体は肉体の生命によって豊かになるようにである。
カステラン

実に肯定的である。

われわれが世界を抵抗感のある固いものと思い込んでいるのは、われわれの感覚が粗雑であり、われわれの道具が鈍重なものであるからにすぎない。
カステラン

確かに、そうである。
物質の世界は、そして、肉体の世界は、その通りである。

だが、霊媒的、霊体的流体の特殊な能力によれば、いくら濃密な物体でも、固い粒子の部分よりも、隙間、空隙のほうが、はるかに、多いのである。

オーラ霊媒により、生ずる現象は、数え切れないほどある。

中でも多いのは、自動書記である。
心霊書記とも言う。

日本でも、そのような自動書記が多い。
が、問題があるのは、その霊が、何者なのであるかということを、判定せずに、受け取ることである。

霊が、我は神と、言えば、ただ、安易に信じるのである。
そして、とんでもない、宗教を起こしたりする。

さて、ここで、アラン・カルデックの、心霊主義と、その哲学を見る。
65歳の生涯を終えるまで、心霊実験を行い、そのから得た、多くの知識によって、書かれたもの。

神に関しては、
至高の知性、万物の第一原理。
神が存在する明白な証拠は、宇宙の調和である。
永遠、無限、不動、非物質、唯一、全能、公正無比にして、善良である。
物質は、神の外部にある。

これは、カトリックが掲げる正統派の意見と同じである。
そういう意味では、カトリックの神観念は、心霊主義の神観念と、同じである。

だが、その神なる存在と、カトリック教会がつながっているのかは、不明である。

宇宙は、三位一体である。
創造主としての神、霊「精神」、物質、更に第四の要素として、流体が加わる。
流体は、動物的生命の源流である。
霊と物質の媒介となるものであるが、電気的もしくは、磁気的物質であり、その一形態を霊体のうちに見ることができる。

物質は、単一の元素に由来している。
われわれが単体と呼ぶものは、真の元素ではない。科学が不完全だから、それらを元素としてしまうのである。

宇宙は、神の意志によって創造された。
生物は、胚種が孵化することによって、生じた。
この胚種は、地球が出来る以前は、エーテルの中に、撒き散らされた。そして、原初のカオスのうちに含まれて、孵化に好都合な環境が現れる日を待っていた。

この環境は、今日大きく変わってしまった。
人間は、資源を得るために、地球を大きく変えてしまった。
今日では、人間の自然発生は不可能である。

人間は、様々な場所で、様々な時代に、類似のしかし、少しずつ異なった胚種から生まれた。そのため、人種の違いがある。

アダムは、一つの神話にすぎない。

動物は、一種の魂を持つ。
その魂は、肉体の死後も、存続し、種によって異なるが、動物に、ある程度の知性と極めて限定的な自由を与える。
動物は、来世でも存続するが、盲目的、無意識的に彷徨するのみ。

人間の魂は道徳生活と、判断と行動の大幅に自由をふくんでいる。人間の魂と動物の魂はどちらも同一の普遍的知性原理から発生してきた。ところが、この原理は人間においては、人間時代以前に一連の生存を経験してきたあいだに、相当の進歩を遂げたのである。魂はこの時期をわれわれの惑星とは別の場所で、われわれには想像のつかない状態で過ごしたのかもしれない。ただし転生による人間界と動物界の交換はありえず、一方が他方に先行するわけではない。両者は出発点で異なっているのだ。とりわけ、人間の身体がいずれかの生存期の動物の身体へ退行することはありえない。「河は水源に向かって戻りはしないのだ」
カステラン

インド系の、輪廻の考え方とは、違う。
カルデックの心霊主義とは別に、鉱物から、植物、そして、動物へ、それから、人間へと、進化するという、考え方もある。

そこでも、逆戻りは、しない。



posted by 天山 at 00:01| 霊学2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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