2013年01月18日

国を愛して何が悪い49

さて、ロシアについて、続ける。

近世500年の世界史では、イギリスとロシアの世界侵略による、領土拡大の規模は、甚だしいものがある。

イギリスは、七つの海に君臨する、大英帝国を、ロシアは、陸の道を通り、大ロシア帝国を築いた。

ロシアの面積は、世界の六分の一、日本の60倍である。
ユーラシア大陸の大半を占めたのである。

その、ロシア大帝国も、日露戦争で敗北し、ロマノフ王朝は衰退する。
続く、レーニン革命で、王朝は、壊滅する。

ロシアに代わったのが、ソ連である。
ソ連は、これまでの欧米列強とは違う新手で、世界侵略に再び乗り出すのである。

ロシアは、100の民族、80の言語、宗教も多様である。
これを一つに束ねていたのが、ロマノフ王朝のツァーリズムである。
その王朝が倒れた後、そのツァーリズムに代わるものが、マルクス主義である。

ソビエト社会主義連邦共和国である。

1919年、共産主義インターナショナル、つまり、コミンテルンは、世界に向けて発進された、革命手法である。

コミンテルンが指示したテーゼは絶対で、それに異を挟んだり、反対することは許されなかった。反すればたちまち反党分子、反革命分子として追放された。
清水馨八郎

革命自体を、交易の対象とした・・・
つまり、イデオロギーの輸出である。
今までには、無い手法である。

20世紀は、人類史上最大の戦争と、革命の世紀だった。
清水氏は、最大の国家犯罪を三つあげると、第一が、ソ連の強制収容所、第二が、ドイツのユダヤ人虐殺、第三が、アメリカの原爆投下であると、言う。

それは、いずれも、西欧系の白人主義の、残虐性の極みである。

殺人が、公認され、奨励されるのは、戦争のみであったが、それに革命が加わったのである。

ロシア共産主義者の辞書には、罪、犯罪という言葉が無い。
共産主義者は、何をやっても、許される。常に正しい。共産主義のためなら、罪にならないのである。

この蒙昧が、吹き荒れた。

十月革命では、銃殺などで、100万人が処刑された。
その対象は、ロシア皇帝からはじまり、王族たち、貴族政治家、軍人、官僚、僧侶、地主、資本家・・・

だが、それだけでは、終わらない。
大粛清がはじまるのである。

つまり、カンボジアのポルポトが真似たもの。
共産主義者が共産主義者を、標的にし、捏造して、処刑、殺害するという、地獄である。

それを、作家のソルジェニーツィンが描いた。
逮捕は突然やってくる。密告、策謀、でっちあげ・・・しかしどんな場合でも、一度逮捕されたら、正義を期待してはいけない。法律は護ってくれないのだ。厳しい審問、自白強要、判決、流刑・・・黒いカラス「護送車」に乗せられ、中継監獄を経て、ウラルへ、シベリアへ、中央アジアへと送られてゆく。もはや家族とも想い出とも、一切から訣別しなければならない。
収容所には自由は無い。空っぽの監獄はあったためしは一度もない。いつも満員か超満員、粗末な食事、強制労働、炎暑の夜は、南京虫と蚊が肉体を責め、酷寒の冬は手足の感覚もなくなる。そして闇の大地に、記憶の糸を紡ぎつつ冷たい屍となって還ってゆくのだ・・・

ソ連は、これを世界中に輸出したのである。
中国、北朝鮮、ベトナム、カンボジア、東欧、アフリカ大陸、中南米と。

ソ連で起こったことが、それらの国々でも、起こった。
そして、その犠牲者は、1億7千万人である。

16世紀から、18世紀にかけて、白人キリスト教徒たちが、南米アメリカで原住民を神の名において、一億人抹殺した。更に、アフリカから、数千万人の奴隷を連れ出し、その半分以上を不良品として、大西洋に捨てた残虐さも、マルクス主義による、虐殺には、及ばないのである。

宗教に代わる、宗教的イデオロギーである。

さて、日本でも、敗戦後は、このマルクス主義に洗脳された、多くのシンパが色々な分野に入り込んだ。
そして、社会主義を扇動した。

大学教授、学生、日教組、教育界とマスコミ界に、吹き荒れた。

東大教授のような、日本のエリートの中にも、反国家、反体制社会革命の思想家たちがいた。

だが、ソ連崩壊後の今でも、存在する。

共産主義という、幻想の世界の中に身をおいて、死ぬまで、その幻想から逃れられなかった人々。

つまり、夢見る人々である。
共産主義が、失敗に終わっても、更に、本当の共産主義が存在すると、信じる。もはや、それは、信仰である。

人間は、一度信じるという心的状態を体験すると、そこから、抜け出せなくなる。
そして、抜け出しても、更に、別な対象を信仰したいという、欲求が起こる。

我以外の、何物かに、託すと、我を忘れて、それを我にすり替えてしまうのである。そして、我の意識は、混濁し、あたかも、それが、我だと信じ込むのである。

我疎外、自己疎外の最たるものである。
だが、人間は、イデオロギーの信仰から、免れないようである。
従って、生きているつもりで生きるのが、人間の性といえる。




posted by 天山 at 06:11| 国を愛して何が悪い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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