2013年01月12日

もののあわれについて598

中将の君を、こなたには気遠くもてなし聞え給へれど、姫君の御方には、さし放ち聞え給はず、ならはし給ふ。わが世の程は、とてもかくても同じ事なれど、なからむ世を思ひやるに、なほ見つき思ひしみぬる事どもこそ、取りわきては覚ゆべけれ、とて、南面の御簾の内は許し給へり。台盤所の女房の中には許し給はず。あまたおはせぬ御なからひにて、いとやむごとなくかしづき聞え給へり。大方の心もちいなども、いとものものしく、まめやかにものし給ふ君なれば、後ろ安く思しゆづれり。まだいはけたる御雛遊びなどのけはひの見ゆれば、かの人の、もろともに遊びて過ぐしし年月の、先づ思ひ出でらるれば、雛の殿の宮づかへ、いとよくし給ひて、折々にうちしほたれ給ひけり。




中将の君、夕霧を、紫の上の所には、近づけないようにしているが、姫君の所には、遠ざけずに、躾けている。自分の在世中は、親しくても、親しくなくても、同じことだが、自分が死んだ後のことを考えると、やはり、なじんでいて、愛情を持つのが、特に親しい気持ちになるだろうと思うので、南座敷の姫君の御簾の中に、入っることを許している。だが、配膳所の女房の中には、お許しにならない。多くいるわけではない、親子のことゆえ、大変、大切に育てている。大体の性格なども、どっしりとしていて、真面目なので、安心して、任せている。まだ、あどけない、人形遊びなが好きそうに見えるので、あの、雲居の雁と一緒に遊んで、暮らしていた年月が、何より先に思い浮かんでくるので、人形の御殿のお相手を熱心にされながら、時折、涙ぐんでいるのである。




さもありぬべきあたりには、はかなしごとも宣ひ触るるはあまたあれど、頼みかくべくもしなさず。さる方になどかは見ざらむ、と、心とまりぬべきをも、強ひてなほざりごとにしなして、なほかの緑の袖を、見え直してしがなと思ふ心のみぞ、やむごとなき節にはとまりける。あながちになどかかづらひ惑はば、たふるる方に許し給ひもしつべかめれど、辛しと思ひし折々、いかで人にもことわらせ奉らむ、と思ひ置きし、忘れ難くて、正身ばかりには、おろかならぬあはれを尽くし見せて、大方にはいられ思へらず。兄の君達なども、なまねたしなどのみ思ふ事多かり。対の姫君の御有様を、右の中将はいと深く思ひしみて、言ひ寄る便りもいとはかなければ、この君をぞかこち寄りけれど、夕霧「人の上にては、もどかしきわざなりけり」と、つれなくいらへてぞものし給ひける。昔の父大臣達の、御なからひに似たり。




相手にしても、恥ずかしくない女の所には、つまり夕霧が相手にしても、良いような女には、冗談を言ったりする。そういう相手は、いくらでもいるが、本気に頼ってくるようには、仕向けないのである。愛人とするに、相応しいと、心引かれる女であっても、無理矢理冗談にして、今でも、あの緑の袖を、見直してもらいたいと思うのである。それは、重大なことである。緑の袖の身分のことである。
無理にまで、つきまとい、歎くところを見せたら、根負けして、許すだろうが、悔しいと思ったあの、折々の事。どうかして、あの内大臣にも、解らせてあげたいと考えたことが、忘れられずに、自分だけは、皆々ならぬ愛情の限りを見せて、面に、焦りは見せない。雲居の雁の兄君たちなども、夕霧の程度を、小憎らしいなどと、思うことが多い。対の玉葛の姫君の様子を、柏木の右中将は大変強く、執着して、言い寄る。つてもあまり無く、夕霧に泣きついているが、夕霧は、人事となると、不熱心を叱られることだと、冷淡に、返事をする。
その昔の、父親たち、今の、大臣の御二人の関係に似ているのである。

夕霧が、緑の袖であるとは、まだ身分が低く、それを昔、雲居の雁の乳母に、侮られたことを言うのである。
帯の色が、当時の身分を表す。
それを、袖と言っている。




内大臣は、御子ども腹腹いと多かるに、その生ひ出でたるおぼえ人柄に従いつつ、心に任せるやうなるおぼえ、御勢ひにて、皆なしたて給ふ。むすめはあまたもおはせぬを、女御もかく思しし事の滞り給ひ、姫君もかく事たがふさまにてものし給へば、いと口惜しと思す。かのなでしこを忘れ給はず、物の折りにも語り出で給ひし事なれば、内大臣「いかになりにけむ。物はかなかりける親の心に引かれて、らうたげなりし人を、行くへ知らずなりにたること。すべて女子と言はむものなむ、いかにもいかにも目放つまじかりける。さかしらにわが子と言ひて、あやしきさまにてはふれやすらむ。とてもかくても聞え出で来ば」と、あはれに思しわたる。君達にも、内大臣「もしさやうなる名乗りする人あらば、耳とどめよ。心のすさびに任せて、さるまじき事も多かりし中に、これはいと、しかおしなべての際にも思はざりし人の、はかなき物うむじをして、かく少なかりけるもののくさはひ一つを失ひたる事の口惜しきこと」と常に宣ひ出づ。中頃などはさしもあらず、うち忘れ給ひけるを、人のさまざまにつけて、女子かしづき給へる類どもに、わが思ほすにしもかなはぬが、いと心憂く本意なく思すなりけり。




内大臣は、お子様が夫人の方々に多数いらして、その母方の血筋の良さ、子供の性質に応じて、自分の思いのままになるほどの、世間の信望や、権勢に任せて、それぞれ立派に引き立てている。娘は多くいないが、弘薇殿の女御も、あのように計画がうまく行かず、姫君も、予定が狂うようなことで、大変、残念に思っている。
あの、なでしこ、の事は忘れず、何かのついでに口にされることもあり、一体どのようになっているのか。頼りない母親の心に油断して、可愛らしい子だったが、行方も知れずになってしまった。大体が、女の子というのは、どんなことがあっても、目を離すものではない。いい気になって、自分の子だと思い、みっともない格好でさ迷っているのだろうか。どんな姿にせよ、申し出たらば、と、ずっと心に忘れられずにいるのである。
若様たちにも、もし、そのような申し出をする者がいれば、気をつけなさい。若いという気まぐれから、するべきではないことまでしたが、その中で、この子は、特に、そう並々の身分とも思わなかった女が、つまらないことで気を背けて、こんな数少ない娘一人をなくしたことが残念だと、いつも口にしている。
ひところは、それほどでもなく、つい忘れていたが、皆が身分相応に応じて、娘を大事に育てている中で、自分の思うように行かないのが、酷く情けなく心外に思うのである。

思はざりし人の
夕顔のことである。
なでしこ、とは、玉葛のことである。





夢見給ひて、いとよく合はする者召して、合はせ給ひけるに、占者「もし年頃御心に知られ給はぬ御子を、人の物になして、聞し召し出づることや」と聞えたりければ、内大臣「女子の人の子になることはをさをさなしかし。いかなることにかあらむ」など、この頃ぞ思し宣ふべかめる。




夢を御覧になり、上手に占う者を召して、占わせると、もしや、長年、あなた様の知られずにいるお子様を、人の子として、お耳にされたことでも、と申すので、内大臣は、女の子が、他人の養女になることは、まずまずないこと。一体どういうことなのか。などと、この頃になって、考えたり、口にしたりしているのである。

蛍を、終わる。




posted by 天山 at 06:30| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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