2013年01月01日

ミャンマー難民孤児に逢う3

追悼慰霊とは、追って、悼むことである。
そして、慰霊とは、霊位に対し奉り、対座することである。
つまり、祈りである。

何故、追悼慰霊をはじめたのか・・・
それは、最初の旅日記に書いていたが・・・

20年以上も前になる。
その頃、私は占いによる、相談を行っていた。
勿論、今も相談を受ける。

その頃、一人の女性がよくやって来た。
通訳の仕事をしていて、グアム、サイパンによく出掛ける。
帰国して、私のところにやって来るのだ。

相談内容は、日本兵の霊を見たというものである。
それだけなら、問題なかった。
彼女は、そしうて、具合が悪くなるというのである。

何処に行っても、解決しないので・・・
そこで、私は、私になり、処置をした。
それで、彼女が楽になり・・・

旅を終えると、毎回やって来て、今回は・・・
と、見た霊の話しをする。
彼女にとって、それは、現実である。

霊はいないと言っても意味が無いのである。

私は、それにより、いつか、慰霊に出掛けたいと思うようになった。
更に、戦争が終わり、それでも霊として、戦地に漂うという、その哀れさである。

だが、そこに辿り着くまでには、時間が必要だった。

最初に出掛けたのは、サイパンである。
兎に角、サイパンで確認しようと思った。

追悼、追って、悼むのであるから、戦記を読み始めた。
そして、愕然とする。
知らなかった。

こんな状態だったのか・・・
こんな酷い戦争だったのか・・・

私の父は、最後の少年兵だが、戦地に出る前に、敗戦となったゆえに、戦地の話は聞いていない。

大戦の意味を知れば知るほど、惨いのである。

知ることの、意義は大きい。

当時の大東亜圏の広さは、莫大である。
そんな莫大な広さの中を戦ったのである。

海、山、川・・・
至る所、日本兵の遺骨があることを知る。

だが、慰霊をするために出掛けるが、霊的な現象に遭うことはなかった。

唯一、明確に出来たのは、パラオ、ペリリュー島に出掛けた時である。

そのことについては、天皇の島ペリリュー島という、旅日記に書いているので、省略する。

そして、日本兵ではないが、カンボジア、プノンペンに出掛けて、一度、霊的現象を感じたのみ。

それについても、旅日記に書いている。

戦地、激戦地を廻るうちに、知らないことは、実に悲しいことだと、知る。
何があったのか・・・
それを知るべきである。
ただ、人には、強制しない。
私の問題である。

インドネシア、ニューギニアの、イリアンジャヤのビアク島に出掛けた時の、慰霊の際には、絶句した。
日本兵が、潜んでいた洞窟に、米軍が火炎放射器を使い、ドラム缶を投げ入れて、火を放った。
そこには、負傷した兵士が多く、糞尿にまみれ、捨てられた兵として、最期を覚悟していたという。

祈りの言葉も無かった。

そして、祈りも嘘になる。

何をすれば、いいのか。
それでも、祝詞を献上し、君が代を歌い・・・
だが、違う・・・

ただ、黙祷であった。

遺族でなくとも、胸がかきむしられる。
どうして、こんなところで、死ななければならぬのか・・・

ただ、私は、あなたたちのことを、忘れないために、やってきましたと、言った。
そして、その遺品を見た。
その一つ一つの遺品を、清め祓う。

そこに込められた、想念を祓う。
もう、戦争は、終わったのです。

本当に、ご苦労様でした。
そして、ありがとうございました。

私が、このような気持ちになったことを、私自身か喜んだ。
忘れない。
死ぬまで、慰霊の行為を続けるという、気持ちである。
これは、私の問題である。
人に説くことではない。




posted by 天山 at 06:13| ミャンマー難民孤児に逢う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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