2013年01月20日

天皇陛下について140

花園天皇の、誡太子書は、全編が洗練された、漢文である。
その文字は、一千四百八十九字である。

その書を要約したものを、掲げる。

天は多くの人を生じさせ、君主を立てて、これらの人々を治めさせるという。
目的は、民の利益である。
従って、才能がなければ、天皇の位にいることは、できない。
しかも、おそれ慎みのこと。
さて、皇太子は、宮中にて、女官の手で育てられた。
ゆえに、国民の色々な苦心を知らぬ。
美しい着物も、どうして出来たのか、食物も、農民の耕作の苦労があるのを、ご存知あるまい。
国のために、かつて少しの功もなく、国民に対して、少しばかりの恵みも与えたことがない。ただ、先祖、歴代のおかげで、将来、天子の位に就かれようとしている。
徳もなく、高い地位にあり、何の功もなく、国民の間に臨むというのでは、自身が恥ずかしくないか。

よくへつらったり、愚かな人が言う、わが朝は、後胤一統。外国が徳のあるなしで代わり、力で争うのとは違う。徳なく、隣国が狙うという危険もなく、政治が乱れても、易姓革命もない。これらは、ご先祖の神々の助けによることで、どうにか、先代の余風を受け継げる。ということで、悪くなければ、良主である、と。
これには、無知な者は、頷くが、誤りである。

ことのあらわれるのは、そのあらわれる前より、しかるべき理由が存する。・・・

薄徳なのに、神器を保とうとしても、道理が許さない。
そういうことでは、実に危うい。
わが国が、異姓が皇位を窺うということがなくても、天子の位の延びると、縮まるとは、多く、この理由による。
ましてや、今日は、人々が凶悪の一語に尽きる。
こうなると、才知兼ね備なわる、穏やかな時、険しい時、二つを経験し、あらゆる世間の辛酸をなめたものではないと、この乱世を治めてゆくことは、出来ない。

今日は、大乱となってはいないが、乱勢は兆して久しい。
それは、一朝一夕のことではない。
だから、聖主があれば、未然に済ませえる。
だが、それを欠くと、数年の後には、起こるだろう。
そしてそれは、数年に渡る。
そこで考える。近代の君主は、未だその時に、会っていないが、おそらく皇太子が位に上られる頃が、その衰乱の時に当たるのではないか。・・・

乱国の時世、それは内に哲明の叡聡、外には、神策をめぐらすこと。それには、学問が必要である。
そのために、寸陰を惜しまれよ。その学問の要点は、未発に先を知り、時運を察し、古よりの教訓を、よく生かすことである。
また、学問は、宇多天皇の「寛平遺誡」にあるように、雑文などは、末の末、その本源を極めることである。

私は、性拙く、智未だ浅い。
だが、学びかつ、徳を積み、王道を興そうと努めている。
これは、ただ、ご先祖の祀りを絶やさないようにという、一念からである。
皇太子よ、徳を積まれよ。
今こそ、それが、もっとも大切な時である。

罪、ということは、色々とある。
だが、一番の不孝の罪より、重いものはない。

特に、先祖のお祀りを絶やすなどは、不孝の最も大きなものというべきである。
以上

この花園天皇は、北朝の帝であり、その後の、後醍醐天皇は、南朝の帝である。
しかし、共に、後嵯峨天皇からの系統である。

だが、その後、南北朝は、試行錯誤を繰り返してゆく。
これは、不幸なことである。

武家政権が関わり、その関係を乱してゆく。

皇位継承の問題は、朝廷のみにて、行うべきである。

天皇も、人の子である。
つまり、人間である。過ちも犯す。

それでは、次に、後醍醐天皇である。
1318年より、1339年。

後醍醐天皇は、資質英邁であり、剛毅厳明の帝として、聞こえた御方である。

そこには、厚い情愛の心が満ちていた。

世治まり 民安かれと 祈るこそ 我が身につきぬ 思なりけり

急ぐなる 秋のきぬたの 音にこそ 夜さむの民の 心をもしれ

ご即位三年後、酷い日照りで作物が、皆、枯れた。
民は飢饉に苦しみ、死屍累々と野に横たわる。

天皇は、私が不徳ならば、天は私一人を罰するがいい。多くの国民が何の咎があって、こんな災いを受けなければならぬのか・・・
との、悲しみである。

更に、朝食を止めて、飢えた人々の救済に当たられた。

都の富豪で暴利を貪るものを探せ、そして、その蓄えた米を安く売らせよ・・・
と、命じる。

更に、五条河原に救い小屋を建てる。
自分は、三度の食事を二度にする。

民のため 時ある雨を 祈るとも しらでや田子の 早苗とるらむ

元寇という、国難の後である。
そのため、防備を三十余年も緩めずにいたのである。

幕府も、その台所が苦しいのである。

そして、いよいよ、倒幕へと時代は進む。



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2013年01月21日

天皇陛下について141

花園天皇末期、鎌倉幕府は、北条高時である。
幕府は、乱れた。

高時は、健犬好きで、それが高じて、犬に錦の着物を着せて、駕籠に乗せて歩かせた。
このことで、幕府の状況が理解できるというもの。

執権は、人望を失い、幕府は、衰えた。

そこで、天子は万民を救うことにある。
神武天皇以来、天皇の仕事は、これに尽きる。

花園天皇が、復古を考えて不思議ではない。

まず、その第一が、院政を廃止することだった。
後宇多法王が、院政を執られていた。
だが、天皇の英邁さ、そして、お年も、34歳である。

白河法皇以来の、230余年あまりの院政が、まったく廃止されることになる。

更に、天皇は、後三条天皇の際に置かれた、記録所を再興され、出られて、政をみられた。

倒幕は、この後である。

ご即位、六年目、1324年。
近臣日野資朝が、山伏姿で、関東へ。
日野俊基は、修験者姿で、紀州の温泉へと称して、京都を出て大和、河内方面の武士を訪ねる。

後に、南朝一の忠臣といわれた、楠木正成との接触もあった。

まっさきに京に上ったのは、美濃の豪族、土岐頼兼、多治見国長だが、それが、六波羅探題に漏れた。
二人は、襲撃を受けて、惨殺された。

更に、資朝、俊基も、捕らわれた。
資朝は、首謀者とみなされて、佐渡に流された。

正中の変と言われた。

花園天皇は、即位後、御父、後宇多天皇のおぼしめしで、御兄、後二条天皇の皇子である、那良親王を皇太子にされた。だが、親王は、亡くなられた。

親王は、大覚寺系統である。南朝である。
御位に就かれず、亡くなられたのであるから、今度も、こちら側の皇太子をとの思い。
だが、高時は、かわるがわるでござる、とのことで、頑迷に主張した。

持明院系統、北朝の第九十三代後伏見天皇の皇子、量仁親王を皇太子にする。

倒幕のために・・・
武士を集めるのは、危険である。

そこで、僧兵を味方にと、考えた。

そして、皇子の、護良親王を天台座主として、比叡山延暦寺に。
親王の、お住まいが、大塔である。
世に、大塔の宮と申し上げるのは、これによる。

また、京では、名高い、天台の円観、真言の文観をお召しになった。
名目は、皇后の安産祈願である。

そして、あの俊基である。

だが、それも、漏れたのである。
結果、その三名は、捕らえられた。

この上は、六波羅を攻めて、その混乱の最中に、叡山に行幸し、そこを根拠にと、考えた。

だが、それも、官軍終結前に、六波羅勢が皇居を包囲したのである。

計画を変更して、奈良に向かう。
叡山では、大塔の宮はじめ、僧兵らが、待機しているはずである。
そこで、それらの人々の失望をご心配になり、大納言藤原帥賢に天皇の装束をつけて、輿で叡山へ向かう。

六波羅探題は、北条仲時である。
叡山に行幸されたと聞いて、それを追う。

叡山の僧兵は、輿を護り、奮闘する。
総指揮は、大塔の宮である。
だが、僧兵が、気づくのである。
あれは、天皇陛下ではない。大納言である。

それにより、皆、散り散りに逃げる。
防御線は破られた。

大塔の宮は、奈良へ。帥賢は、笠置に逃げた。

一方、天皇の御輿は、奈良へ向かう。
だが、鎌倉側の僧も多い。
そこで、笠置山へ転じた。

山の上の寺を本拠とし、近隣の兵を募る。
その報告が、鎌倉に流れた。

鎌倉は、大軍を向ける。

大仏貞直、金沢貞冬、足利高氏らの将兵に、20万余の大軍である。

いよいよと、鎌倉幕府の滅亡の時期が近づく。
だが、まだまだ、紆余曲折がある。

権力は、腐敗する。
だが、権威は、腐敗しない。
何故か。
権威は、権威者たるものが、制御して、その位置に甘んじることなく、その在り様を考察するからである。

何ゆえの、権威であるかということを。
天皇の歴史である。

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2013年01月22日

天皇陛下について142

ここで、楠木正成の登場である。

天皇にお召しを受けた。
正成は、河内観心寺領の、土豪である。

忍んで、天皇の下に行き、
どれほど賊軍が強くとも、謀をもってすれば、撃破することは、困難ではありません。しかし、勝敗は戦の習いです。たまたま敗れることがございましょうが、決してご心配されませんように。どうか、正成が一人、まだ生きているとお聞きであれば、ご運は開けるものとおぼしめしください。
との、言葉である。

正成は、すぐに河内に向かい、城を赤坂に築いて、天皇をお迎えする準備である。

後伏見上皇の院宣を以って、皇太子量仁親王、践ソあらせられる。
践ソとは、天皇の座に就くことである。

天皇が、都を出ると、北条高時が打った手が、北朝の光厳院である。

官軍は、奮闘したが、北条軍は、20余万である。
総攻撃である。
そして、山道が察知された。
山上に放火され、敗戦である。

城は、一ヶ月の命だった。
天皇は、徒歩で逃避行される。
そして、ようやく、山城国、有王山の麓に辿りつく。

その際の、御製である。
さしてゆく 笠置の山を 出でしより あめが下には かくれ家もなし

お供の、万里小路藤房の歌
いかにせん 頼むかげとて 立ち寄れば なほ袖ぬらす 松の下露

まもなく、賊兵に発見され、天皇を張り輿に乗せ奉り、宇治の平等院へ、お連れする。

その後、六波羅に移動される。

この時、天皇は、ご乱髪、一枚の小袖、一枚の帷子をお召しであった。
さすがの、六波羅の者どもも驚き、急ぎ、御衣をまいらせた。

神器を光厳院にお渡し下さいませ・・・

神器がなければ、ご即位ができないのである。
やむなく、剣をお授けになる。
だが、これが、偽物。
本物は、肌身に、お傍から、離さない。

さて、楠木正成である。
笠置を落とした幕府軍は、赤坂城に押し寄せる。

楠木軍の奮闘の甲斐なく落ちる。

正成は、戦死を装い、地下に潜った。
更に、大塔の宮も、奈良に潜行され、般若寺に。

だが、賊兵に踏み込まれる。
兎に角、その手を逃れて、熊野落ちである。

元弘元年、1331年12月。
幕府は、戦後処理を考える。

結果、天皇は、隠岐へ。尊良親王は、土佐へ、尊澄親王は、讃岐へ遷し奉ることになった。

翌年、太平記には、
春正月、六波羅の南方に在す。北条高時、天皇を説得して、剃髪することを求める。よって、僧衣を献上するが、天皇は、これを退ける。
現代語訳は、私。

後醍醐天皇は、それでも、毎日髪を洗い、体を洗って、宮中において賢所を御参拝になるように、囚われの身になっても、皇祖神霊を礼拝なさる。

その年、3月、天皇を、隠岐に遷し奉る。

この時、備前の児島高徳が、天皇奪還を企てるが、失敗する。

京を発して、20日余り、4月上旬、天皇は隠岐に。
承久の変の、後鳥羽上皇の境涯を、追体験されたのである。

幕府は、4月上旬に、謀に加わった者たちの処分を決めた。
それについては、省略する。

元弘の変は、幕を閉じた。

さて、大塔宮である。
熊野落ちは危ういと、大和の十津川へ、逆送していた。
土地の土豪の庇護を受ける。
その間に、還俗して、名を、護良、もりなが、と改める。

しかし、危険が迫る。
そこから、吉野に向かい、挙兵するのである。


posted by 天山 at 05:45| 天皇陛下について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月23日

神仏は妄想である。398

あまり、批判する値打ちは無いが、教派神道にもう少し触れる。

金光、天理、大本教などは、神憑りという状態によってなった。
神というより、霊憑りであるが・・・

幕末の混乱期に、それらは、起きた。

一応に言えることは、貧農、昔からの、特別な地域の意味がない場所。
長い、苦悩の中で生きていた人。
特に、女性たちは、嫁になると、嫁いだ家に生涯を捧げる。
家に仕えるのである。

天理教の、中山みき、という人は、そんな中で、神憑りを起こした。
たまたま、息子の足痛、夫の眼病などの、祈祷を頼み、行者が護摩を焚いて、陀羅尼を唱える時の、加持台という役を、代理で務めた際に、みきが急変した。

神の座に、加持台という神がかりに入らせる、巫女を置き、巫女にかかる神や霊との会話で問答し、どういうものが憑いているのかを見分け、それに応じた祈祷を修めて、鎮め、退散させるというもの。

最も古い、資料から見ると、どなたですかという問いに、みきは、大神宮なり、天の将軍と、答えたという。

これで解る通り、大神宮とは。伊勢神宮のことであり、将軍とは、徳川将軍に対するものである。
とても、神とは、思えない答えである。

更に、三千世界を助くべし・・・と言う。
三千世界とは、仏教の世界観である。

その神は、いや、霊は、家族に、みきを社に貰いたいと言う。もし、駄目ならば、家を断絶させるという。
脅しである。
当時、家の断絶は、致命的なことである。

家にすべての価値を置いていた、封建時代である。

夫、善兵衛が、差し上げますと言うと、一時、静まったという。
最初に、みきの神、霊を拝んだのが、夫である。

その後、みきは、始終、ゆらゆらと体が揺れて、夜になると、様々な神が罹ったという。

面白いのは、その後、てんりんおう、つまり、仏教の転輪王という、大和の浄土宗寺院、山伏寺での、十王の一つを名乗るのである。

元々、みきは、浄土宗の熱心な信者だった。

それが、憑いたと思い込んだのであるが、後に、てんりおう、と変更する。
更に驚きは、なむ、てんりおう、と、唱えたのである。

ナムは、仏教の帰依であり、後で更に変更して、神道系にするため、あしきをはろうて、たすけたまえ、てんりおうのみこと、と、唱えるようになる。
天理になるという。天理王である。

これを結論から言うと、創造の病、という。

その、みきの症状を分析した、治療文化論の、中井久夫氏の、解説から・・・

これは発病であろうか。ある意味ではそうかもしれないが、同時に解消「解決」ではないか。彼女の伝記で宣言のくだりを読むと、暗鬱な雲が吹き払われて、明るい天地が眼前に開けた印象を持つ。バリトン流に言えば、一人過程が終わって二人過程が始まる転回点である。バリトンにあっては別ものだった創造と病いとは、ここでは統合されて「創造の病」となっている。
中井

解消というのは、実に明確である。
みきは、嫁から離れて、つまり、そのすべての束縛から離れて、神という自由を得たのである。

勿論、本人は、当初、それに悩んだという。

普通なら、座敷牢に入れられた。
今日では、患者収容車が呼ばれる。

そして、その何も意味の無かった土地一体に対して、ここが、万人の実家であり、人類発祥の地であり「おやさと」であるという。
世の終わりに、天から、甘露が降る・・・

ミキは最晩年は活動的であり、機転が利き、洞察力が強く、入獄した際に明らかになったように、威厳は明治の官員を畏怖せしめるに十分であった。いずれにせよ精神科医が欠陥と呼ぶ状態、平坦化と呼ぶものとは遠い。
中井

ところが、それが狂いの状態なのである。
狂うと、大きく狂う者を飲み込む。

現代でも、そういう事例が多々ある。
我は、普賢菩薩である、と、突然に名乗り、家族を驚かせる。
しかし、しかるべき、療法をもって、以前に戻るのである。
その際に、必要なことは、周囲の人間関係である。

みきの場合も、家族が、良かったのである。
みきの、霊の指令に従ったのである。

病者を病者としてではなく、以前のままに扱うのである。
それが、現代では、治療へと、だが、その当時は、従うこと以外に方法が無い。

それは、当時、神憑る者たちの共通のものだった。

大本教になると、天理教の倍の強さになる。
何せ、出口ナオの神憑りと、その婿に入った、王仁三郎の、誇大妄想が激しかったのである。
古神道を名乗るが、復古神道からの文献を利用しての、古神道であり、言霊に関しても、復古神道によるものからである。

「創造の病」はその提唱者によれば、抑うつや心気症状が先行し、「病い」を通過して、何か新しいものをつかんだという感じとそれを世に告知したいという心の動きと、確信に満ちた外向的性格という人格変容を来たす過程である。
中井

興味深いのは、「創造の病い」が通常の疾病分類に入りえないことである。フェヒナーはうつ病だそうであり、フロイトは神経症、ユングはほとんど分裂病に近かったであろう。ウェーバーは何と肺炎に起因する症候性精神病である。おそらく、分裂病・うつ病と推定された人も含めて、多少の意識混濁あるいは意識変容が必要なのであろう。
「創造の病い」においては何らかの形の意識混濁あるいは変容が伴うと私は思うのだが、その理由は、それなくしては、過去と現在と未来とが一望の下に見えるような、そして、その中で、創造的に仕事の条件である「思いがけないものの結合」が起こらないからであろう。
中井

生きるに、疲れ果てた人が、時に陥る病である。
それが、創造の病と、思われる。

教派神道の場合は、成功例であるが、失敗例の方が、圧倒的に多いのである。

だが、神道の大本は、全く別物である。
意識混濁も、意識変容も必要無い。

極めて、健全な意識である。
更に、神憑り、いや、霊憑りになる必要は無い。

ただ、怖いことは、長年に渡り、天理王のみこと、という、人の信仰により、生まれる想念の塊である。
それを幻視することになると、危うい。

中山みきの、唯一の救いは、意識混濁、意識変容という、狂いに関わらず、他者に施しを行ったことである。
そして、家屋敷を施すほどの狂いであったということである。
他者から、奪うことがなかったということだ。

だが、その後の天理教は、搾取の宗教として、存続している。


posted by 天山 at 05:55| 神仏は妄想である。第8弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月24日

神仏は妄想である。399

現在でも、古神道という誤りは、復古神道からのもので、成り立っているということである。

復古神道から出た人々を、古神道家と呼ぶのは、軽薄過ぎる。
更に、霊界云々についても、それは一人が見た世界であり、それを誰も同じように見ることは出来ないのである。

一人一派と呼んでもいいし、あるいは、一人の妄想と言っても良い状態である。

つまり、古神道というものが、いつから、何処から発生したのかを、明確にしなければならないということである。

明確に言う。
それは、縄文期からのものである。

弥生時代からのものは、古神道とは、言わない。
つまり、弥生時代に、稲作を持ち込んだ、渡来系の人たちの時代である。

だが、その稲作も、弥生時代からではなく、縄文時代の後期、500年ほどから始まっている。

縄文と、弥生の違いは、争いである。
争いが始まったのが、弥生時代からである。

それは、渡来系、天孫族という。
そして、それ以前からの民族を、国津系という。

つまり、弥生時代の、渡来系が、その権力を持って、部落を統一するということから始まった、争いである。

それが、現在の皇室である。
要するに、天皇とは、天孫族、渡来系であると、いえる。
そして、その皇室の伝統が、神道の型に収まって行く。
これは、事実である。

これにより、天皇の存在を否定するものではない。

その天皇の歴史は、すでに、2700年に渡るのである。
世界に唯一の伝統ある、家系である。

さて、古神道と言う場合は、縄文時代の心性を言う。
だから、復興神道、あるいは、新興宗教にて言われる古神道は、別物、あるいは、誤り、そして、勘違いである。
更に、嘘である。

特に、大本教などの、古神道という場合は、大本教による、古神道である。
それを広義の意味では、扱わない。
すべからく、大本教は、復古神道による情報によって、古神道を再現したのである。
全く、論外である。

それでは、縄文期の心性を古神道と呼ぶためには、文献が必要である。
だが、それは、心性であるから、文献は無い。

ただ、縄文期の人々の生活から、推し量ることが出来る。

その一つは、森羅万象、天地自然に対する、行為である。

そのすべてに、霊性を受けて生活していたのである。
つまり、天地自然がすべて、霊である。
アニミズム・・・精霊信仰・・・とは、別物である。

精霊ではない。
目に見える、森羅万象、天地自然を、崇め、そして、共感し、共生したのである。
そり中には、争いが無いというのが、特徴である。

後に、その行為が、和、という言葉で表現される。

和を以って、貴し・・・
これが、仏教によるものと、考える人々が多いが、縄文期は、すでに和という、心性を有していた。

わア、である。
大和言葉による、アという、音は、開く、明るいなどの意味である。
つまり、縄文期には、一音に意味を見出している。
それ連綿として、続いてきたのである。

だが、大量に漢籍が入る600年代に、すべての和言葉、大和言葉を、漢字で表現するという試みがなされた。

漢字が優れていると、考えたのである。
そして、それは、日本語を更に、豊かにしたといえる。

今でも、漢字には、音読みと、訓読みがある。
音読みは、漢語の意味であり、訓読みは、大和言葉である。

それを併用して、表現の広がりを持つに至った。

大和言葉の、一音は、シラブルである。
漢字は、シラブルではない。つまり、一字に観念が付く。
この、漢字かな混じり文が、日本人の心を、広く自由にしたと思える。

だが、和歌における、言葉は、すべて大和言葉による。
それが、万葉集である。
その、万葉集が、縄文期から、準備されていたのである。
突然に、出来上がったものではない。

文献は、万葉集である。
古事記、日本書紀よりも、成立が早い。
そこに、手掛かりがある。

古神道とは、縄文神道である。
そして、弥生神道は、神社神道へと、進む。

更に、弥生神道は、後に、道教、儒教、そして、仏教による、手垢が付く。
勿論、それも、伝統と言える。
何故なら、廃れずに、今にまで至るのである。

それでは、縄文神道、更に、純粋神道、つまり、古神道とは、何か。
同じ繰り返しになる。

森羅万象、天地自然に、神を見るのである。
この、神と言う言葉は、当時は、無い。

漢籍が入り、神という文字が入り、次第に定着する。
その当時は、仏も神と同じ意識である。

つまり、仏を隣の神と呼んだのである。
明確ではない。実に、曖昧である。

だが、大和言葉の中に、カミと呼ぶべき存在の萌芽があった。
それが、カミの連語である、カマ、カム、カミの系列である。

端的に言う。
カミの役割は、分配する者である。
それは、人間から超越したものではない。
だから、その役目を負う者を、カミと呼んだ。

それが、いずれ、天皇という存在に成り上がるのである。

ちなみに、それを理解する手立ては、カミとは、守、督などとも書く。
大岡越前守、おおおかえちぜんのかみ、である。
その地域を治める者である。


posted by 天山 at 06:04| 神仏は妄想である。第8弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月25日

神仏は妄想である。400

あらゆるものを取り除き、縄文神道、古神道、更には、古道といわれる、日本の精神、心性を考える。

そのための、文献は無い。
しかし、他の様々な学問から、推測することが可能である。

考古学、人類学、遺伝子学・・・

弥生神道からは、国家神道が、そして、神社神道へと流れ、更に、明治期には、天皇を主にした国家神道、そして、敗戦により、神社神道となる。

復古神道により、古神道を名乗るが、全く根拠は無い。
逆に、縄文神道から遠退くのである。

それは、道教、儒教、仏教に多く影響を受けた、難解で、一人勝ってな思想なのか、妄想なのか。
神道霊学なるものも、その本人のみが、解るというものだ。

更には、神仙道などとなると、それは、道教の影響が甚大である。
道教については、少し触れたが、専門家でない限り、その影響が凄まじいものだったということには、気づかないのである。

縄文神道が、難解で、甚だしく、逸脱したものではない。
とても、単純素朴なものである。

言霊、音霊、数霊に関しても、大変に難解な理論を展開したが・・・
それは、唱えた人だけのものである。

戦後は、それを持って古神道と、勘違いしてしまったのである。

平安期から、鎌倉時代まで、仏教が、神道を勝手気ままに扱い、神道に対する日本人の心性を濁られせてしまったのである。

それが、江戸時代末期まで、続くのである。
ただ、皇室祭祀だけに継承されたもののみ、残った。

だから、その揺り戻しとして、明治期に、国家神道、廃仏毀釈の運動が起こる。

ただ、そこでも、神道は、行と、神儀を含む、祭祀だけに衆目が集まり、それより、重要な、自然崇拝という、縄文神道、古神道、古道は、追いやられたのである。

経典と、教義を有する宗教は、神道に経典も教義も無いものと攻撃し、更には、単なる習慣、原始民族の風俗などと、知ったようなことを言わしめる。

もし、文書体裁の教義を書かれたとしても、それは、仏教用語によるものになり、そこには、仏教による言葉の解釈が入ることになる。

例えば、日本の禅が、中国老壮思想の言葉から説かれたもののように、禅なのか、老壮思想なのか、解らないのである。
しかし、平然として、禅として、通用している。

老壮思想の概念を持つ言葉を通して、禅を語っても、それは、老壮思想の何ものでもなくなる。
それなら、老壮思想を学べばよい。

純神道入門、坂口光男氏の言葉を借りれば、
神道に教義なしと一撃するにしても、神道の古体は書物による訓解を必要としない民族、すなわち「和」の心をもった縄文人からごく自然に生まれたものですから、そうした根幹を知らずして、文字で書かれた教義本がないことを蔑視するのは、短絡的な発想でしかありません。

更に、
また、太古に芽生え、培われてきた固有の信仰観が、弥生文明渡来以降・・・仏教公布による権威の風圧で、芽を摘まれてしまった経緯や、道教の深い侵食も知る必要があり、ただ一方的に神道に教義なしとする理屈はおかしいと思います。
と、言う。

もし、神道に教義があるすれば、幾らでもある。
ただし、それらが、昭和初期から、戦後に書かれた、難解な神道書、解説書などは、全く、妄想の産物である。

更には、復古神道以来書かれたものも、である。

それでは、少し、説明する。
日本民族の祖先には、大きく分けて、三つの系譜がある。
この三系統のそれぞれの異なる信仰が同居することから、神道の複雑化が発生し、仏教、道教に取り込まれることになる。

天津神系・・・
アラテラス、ニニギ・・・それらを祖神と仰ぐ渡来系高天原族。
後期国津神系・・・
オオクニヌシ、オオヤマズミ・・・それらを祖神として高天原族に従属した先住民。
その二つの系統以前に、すでに、列島に土着していた、列島先住民族。それは、旧石器時代から、縄文中期くらいに存在した民族である。
この民族は、高天原民族に抵抗し、服従しなかった。ゆえに、神名は、無い。

高天原族は、紀元前2世紀から、3世紀頃、弥生時代に、中国江南の地辺りを基点とし、東シナ海を横切り、朝鮮半島経由、あるいは、北九州へと渡来した非シナ系の稲作原住民である。

その後、稲作が北九州から、西日本へと伝播して行き、同時に、天孫降臨の神話の下地が出来る。そして、大和朝廷樹立ということになる。

ただ、弥生時代から、稲作が始まったというのは、誤りである。
縄文後期、500年から始まっている。
とすれば、別に、稲作を持参してきた、渡来系が存在する。

彼らは、列島先住民と、和睦して、稲作を広めたといえる。

その、列島先住民は、更に、三つの系譜がある。
神としてではなく、俗称名で、名を留めている。
海人族、わだつみ、山人族、やまづみ、そして、最優先の縄文民族である。

日本民族が、単一民族であるというのは、実は誤りで、遺伝子学により、縄文後期には、人種の坩堝であったことが、証明されている。

これから、暫く、縄文神道について、説明してゆくことにする。
難解なものは、一切無い。

posted by 天山 at 03:12| 神仏は妄想である。第8弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月26日

性について223

さて、エロスを拡大解釈して、生きる本能と定義すると、これは、人間が人類が作り上げる、文化、文明にまで発展するのである。

つまり、生きる本能があればこそ、人類は、様々な発展を成してきたということである。

個人的な、性器性愛から、人間、人類に至るまで、エロスが介入するという考え方である。

組織や社会の関係、その他の、人間の関係軸は、エロスによって、成されると考える。

単にエロスという時、男女の性器性愛と、その快感、快楽だけを示すような考え方をするが、実は、社会全体にエロスが、行き渡っているのである。

実際、現代社会の多くの男は、母とのエロスの関係を、女ではなく、男の向けることで、解消するという。
母に対する、乳児のような依存的な愛情欲求を、女のみには向けにくいが、男には向けることが出来る。
つまり、それは、同性愛的エロスである。
そして、それにより、社会的連帯感を強めているのである。

フロイトも、同性愛は、社会共同感情の源流であると、言うのである。

それは、単に、ホモセックス、男同士の性器愛ではない。
それならば、単なる、同性愛セックスになる。

精神的状態のことである。

一つの仕事を、複数の男たちが、達成する時に、発生する同性愛エロスである。

そして、生きる本能と共にある、エロスの対局にあるものは、死の本能、タナトスである。

ここにおいて、時代の様々な問題提起が出来るようになる。

人類の生成発展は、エロスの成果であるが、それは、本当に生きる本能の故なのか・・・
実は、その裏には、タナトスという、死への本能が宿っていると、考える。

性器性愛に関しても、タナトスが宿る。
性器性愛の、オーガズムは、死の訓練でもある。

その、エロスと、タナトスのバランスが偏ると、精神的病に陥るのである。

基本は、エロスを表に出すのが、人間の世界であるが、タナトスを表に出すことは、狂いとなる。

だが、文化、文明の行き着く先を誰も知らない。
そして、知ることは、無い。

エロスの営みが、幻想と悟る時、人は、エロスの世界から抜け出そうとする。つまり、タナトスへの欲求である。

それは、不健康なものだと、言われる。
そして、常識的ではないとも、言われる。

何せ、自殺は、あらゆる世界で罪とか、良くないことと、言われるのである。

だが、本来、人は、生まれると、死に向かって生きているのである。
だから、それを早く得ても、問題はないが、自殺は、社会的に悪いこと、自殺は、甚だしい場合は、罪と言われる。

エロスの営みは、生きる営みで健康である。
しかし、人類が積み上げてきた、文化、文明は、果たして、健康的なものだろうか。

凄まじいスピードで、科学技術、物質的生産が進み、物質生活、更に労働の有り方まで、変容しつつある、現代である。
更に、相対的な快楽原則に則り、性が解放され、人類全体に対する、現実原則は、快楽原則が勝ってゆく。

基本的な人間の、エロスを忘れて、目を転じさせるような文化、文明の発達の中で、人は、本当に、必要なエロスの世界をつかめるのか。

エロスという、生きる本能は、物事を組織付け、纏め上げ、発展させる。それとは、逆に、解体し、分解し、無に帰すという行為は、死の本能である、タナトスの行為である。

人間は、いや生物は、すべて死に逆らって生きている。生より死の方がより確実なのは、誰がみても明らかで、それをまるで生の方が確実にように思うのは、それそこ幻想である。生きていることは、刻々に生きることを終わるために生きているのであって死に刻々近づいていることなのである。
エロス的人間論 小此木圭吾

更に、その通りなのである。

それでは、エロス的人間とは、何か、ということになる。

それは、つまり、タナトス的人間とは、何か、ということにもなるのである。

それは、一体、どこへ向かっているのか・・・

人間の運命問題は、一にかかって次ぎのことにあるように思われる。すなわち、文化発達にとって、人間の破壊衝動および、自己否定衝動にもとづく、共同生活の障害を克服してしまうことが、はたしてうまくいくだろうか。また、どの程度成功するのだろうか。
フロイト

実際、物質文明が進歩発展すれば、それに伴い、人間の内在的潜在的な自己破壊力を増大させるのではないか。

つまり、死の衝動である。
タナトスが、目覚めるのである。

エロスには、その矛盾が満ち満ちてあるのである。

個人的なエロス、つまり、性器性愛の中にも、同じように、タナトスの誘惑がある。
性器性愛に満たされて、それが持続すると、家庭が出来る。
その家庭が、今は、変容甚だしい。

それは、社会もそうである。
更に、元気な頃の、エロスと、盛りを過ぎたエロスの世界も変容する。

私は、個人と社会、世界との、対比で、今、エロスについて書いている。
いずれ、エロスより、タナトスが強く意識される時代に突入する可能性もある。

そして、それは、核兵器によって、一気にされることも、考えられるのである。


posted by 天山 at 00:05| 性について5 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月27日

性について224

本能とは、そもそも生体の適応に役立つものである。・・・
つまり、動物の本能は現実原則に従っている。本能のおもむくままに行動することが快感であるとすれば、動物においては快感原則と現実原則とのあいだに対立はないと言った方がいいかもしれない。
岸田秀

ところが人間においては、エスの本能的衝動のおもむくままに従うと不適応になる。人間の本能は現実と接触を失っており、本能の機能を果たさない。本能の代わりに自我がその機能を果たさなければならない。
岸田秀

そして、自我は、それに引きずられれば、不適応になってしまう、エスの衝動を抑圧しなければならない、と言う。

これが、問題である。
つまり、快感原則と、現実原則の対立である。

更に、
この対立、ひいては抑圧の必要性の原因を社会ないし文化のなかに求め、抑圧的文化の廃棄によって解消できると考えたのが、いわゆるユートピア思想である。
しかし、抑圧的文化の結果として快感原則と現実原則の対立が生じたのではなく、この対立があるために人間は文化というものをつくりあげたと考えられるのである。
岸田

そして、それがそうだとすると、抑圧的文化は、足萎えの松葉杖であり、ユートピア思想は、松葉杖を捨てさえすれば、足萎えは、治るという、誤った判断の上に立つとの説明である。

人間は、最初から、この対立を生きていた。
この対立は、性欲の出現と性器の成熟との間に、年月のズレがあるという、人間には、特有の生物学的条件に由来している。

岸田は、
文化的条件の変革によってはどうにもならないと思われる。
と、言う。

もう少し説明すると、前性器リビドーは、快感原則にのみ基づき、原始的的有用性とは、無縁で、純粋に、無償のものである。
完全に遊びのエロスである。

それを、現実的有用性をもつ、正常な性交の中に押し込めるためには、自我の強引な介入が必要であると、言う。

人間の性的行為は、最初から、正常ではないのである。
最初から、曖昧で、倒錯全開だったのだ。

幼児期の性欲傾向を見れば、一目瞭然である。
すべての倒錯性欲を持つのである。

権力、権威によって、人間の正常な性欲と、性交が、教えられたと、考えてもいい。

本来、エロスにタブーは、存在しないということだ。

定説などというものは、無いのである。

現実的有用性を持つ、正常な性交・・・
実は、そんなものは、無い。
ただ、生殖のみ、現実的である。

生殖を伴う性行為のみ、正常とすれば・・・
多くの人の性行為は、正常ではない。
本来は・・・

自我の強力な介入により、それを行為しようとする。

完全な遊び・・・
性行為が、完全な遊びなのである。
だから、社会的権力、権威が、その行為を定めて、それに沿うようにと、自我が働く。

女が、男に遊ばれた・・・
当然である。
本来は、性行為は、そして、性欲は、遊びなのである。
それで、女が妊娠したならば、儲けものである。と、考えられるか・・・

結局、女が損をするという、考え方に陥る。
ところが、今、時代は、女が妊娠してしまえば、儲けもの、と考えられるようになってきた。
種さえ、得られれば、男は、必要無しである。

古代、その子の父が、誰であるか・・・
女のみしか知らない。
母系である。
それが、父系社会に陥ると、性行為が、決定されることになってゆく。

更には、女、蔑視である。
何故か・・・
女には、叶わないからである。

子をもうけなければ、男は、ただの孤独な一人である。
父と子という、つながりに、託す思い・・・
父系社会の成り立ちである。

おおよそ、それが、五千年に渡り続いている。

さて、
わたしはライヒのように正常な性交を絶対視する考え方には組しない。
と、岸田は言う。

性倒錯は不自然であるから否定すべきだという考え方は取らない。・・・
正常な性交も不自然だからである。
岸田

心理学者ならば、当然、そのような考え方になるはずであるが・・・
多くの、心理学者は、正常を取る。
そして、その正常とは、統計である。

精神疾患における、正常、異常の問題ではないのである。
ここからが、重大である。

posted by 天山 at 06:23| 性について5 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月28日

性について225

正常な性交の有用性の根拠の一つである種族保存の目的は、むしろ、まれな場合にしか追求されない。この点では、正常な性交のほとんどが、性倒錯と同じく、純粋に無償の遊びである。
岸田秀

その通りと言うしかない。
正常な性交が、すべて生殖を目指している性行為ではないのである。
つまり、それらも、倒錯である。

人間の性は、おおむね、純粋に無償の遊びに近いといえる。

ある精神科医は、言う。
性行為は、日々の夫婦関係の情緒的な関係であり、それは、心の豊かさを得る行為である、と。

何と言っても、生殖の伴わない性行為が、異常とすると、それも、異常になる。

今時、もう、妊娠を目的とした、性行為は、限られた人による。

日本に、フリーセックスという言葉が生まれた時代から、すでに、その異常の世界の性を享受しているのである。

それは、性倒錯に他ならないと、岸田は言う。

性器リビドーも前性器リビドーも、不自然であるという点では同じであり、個人がどの形式によってそのリビドーを満足させようが、それは個人の問題であり、自然に反するという根拠にもとづく性倒錯者への非難や軽蔑は正当ではない。
岸田

大体、人間の性は、最初から、自然に反しているという考え方であるから、当然である。

性を支配する者は、人間を支配する。
この、自然に反する云々とは、多く、キリスト教の世界で、言われることである。
西洋の性に関する考察は、すべて、その教会の考え方が、主たるものである。

更に、一夫一婦制も、正常ではなかったのである。
一夫多妻である。

それも、教会により、一夫一婦制となった。
一体、誰の差し金か・・・

ユダヤ教から離れた、キリスト教、カトリックの教義による。

モーゼの十戒に、姦淫するなとあるのは、他人の物を盗むなという意味で、他人の女を盗むなという意味の、姦淫である。

つまり、女は、男の所有物だった。
それが、父系社会の到来を告げたのである。

産めよ増やせよ地に満ちよ・・・
旧約聖書の神の言葉である。

要するに、女は、子供を産むための、モノだった。

それが、正常だった、時代がある。

正常な性交と妊娠とはほとんど切り離された。人間のエロスの、この点に関する快感原則と現実原則との対立はほとんど解消された。現実原則が快感原則に歩み寄ったのである。
岸田

ということで、時代は、その先を行く。

性の快楽における、正常、異常の垣根が、ぎりぎりと近くづくのである。
快感原則に歩み寄るということは、そういうことである。

ここで、私は、快感ではなく、快楽という言葉を使う。
この快楽は、実は、人間を生かしているものとの、意識を言う。

勿論、セックスを嫌うという、快楽のこともである。

あらゆる性の形があって、当然であるという、意識である。
そういう、時代性になった。

心理学者が、色々と分析するのは、単なる、暇つぶしになるのである。
最初から、倒錯しているものを・・・今更・・・分析するという。

次の問題は、個人が求める性のあり方に対して、どのようにしたら、スムーズに事が進むか、である。
専門家は、それを助ける役目である。

治療ではない。
個人が求める、性の在り様を、如何に、スムーズにして上げられるのかということ。

ただし、ここで、社会性という問題がある。
何でも、許すことは、出来ない。
社会が容認する範囲での、性の形である。

犯罪として、成り立つ、幼児性愛、児童買春などは、反社会的行為である。
更に、暴力、レイプ・・・

幼児性愛も、個人的に勝手に、マスターベーションの範囲で楽しむのは、問題がない。
その枠を超えない、性的遊戯である。

更に、問題は、その対象関係であると、岸田は言う。
それについて、少し、見てゆくことにする。

それぞれの、リビドーによる、倒錯の様子が伺える。
そして、それには、対象が必要となる。

前性器リビドーが、大きな比重を占める。
それは、口唇リビドー、肛門リビドー、男根リビドーである。
それぞれに、倒錯の種がある。
とはいえ、倒錯・・・という言葉を使うのである。

倒錯というより、傾向と命名した方が、無難だと思うが・・・
すると、傾向と対策という形式に移れると思うが・・・

兎に角、正常というものも、幻想であるということだ。
正常というものは、どこを探しても、無いのである。


posted by 天山 at 00:02| 性について5 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月29日

霊学94

内的人間と外的人間が一つの全体を形成しているという考えは、アグリッパの思想の特徴でもあり、パラケルススのものでもあり、さらにそれはケプラーの「仲介する第三者」の中にも見られるとユングはいう。そして、ライプニッツの「単子論」に到達する。
秋山さと子

更に、それが、薔薇十字思想の中心をなしていたこと、薔薇十字の宣言の中に、ジョン・ディーの不思議な「単子」のシンボルが描かれていたことを知らぬはずはないと、秋山氏は、言う。

ユングは、薔薇十字思想について、語ることを避けているのである。

ケプラーは、プラハのルドルフ二世と関わる学者で、錬金術的な学者の一人といえるが、近代科学の思想を身につけた客観性を重視する学者だった。
つまり、それ以前の、魔術=科学的なフラッドの考えと正面衝突し、二人の間には、長い論争が続けられた。

それに関しては、ユングは関係を持たないのである。

あらゆる二元的な分裂を統合し、橋をかける新しい意識こそ、シンクロニシティの理論に基づくもの・・・

さて、余談であるが、宗教と科学、科学と人間の心が、このままでは、どこまでも分離してしまい、そのうちに、人類の悲劇をもたらすであろうという、危機感、危機意識が、叫ばれていた。

それは、主として、倫理的な問題に関わっていた。

1975年、コルドバの宮殿に、一群の思想家たちが集い、科学と意識、というシンポジウムが開かれた。

物理学者で「空像としての世界」の主な著者であるデヴィット・ボーム、「タオ自然学」のフリッチョフ・カプラ、天体物理学者のユベール・リーヴス、その他神経生理学者、超心理学者、イスラム、ヒンドゥー、ユダヤ、仏教などの宗教学者たち、日本からは、心療医学の池見酉次郎、イスラム学の筒井俊彦が参加した。その他に、ユング心理学から、C・A・マイヤーをはじめとして数名の分析家たちである。

この会議は、ユングとパウリの共著である、「自然現象と心の構造」が、会議の精神になっていた。

1984年に、日本でも、同様な国際シンポジュウムが開催された。

その際は、現代科学における「全体」の喪失が主題となった。

心理学では、個人の主観的想像の領域を越えて働く、ユングの元型の考えに対応して、トランス・パーソナル心理学が生まれ、更に、85年、京都で同様のシンポジュウムが開催されている。

その際に、物理学者たちが、東洋の思想、特に仏教の華厳思想などに関心を示し、新しい理論を打ち出した。
また、東洋の宗教家が、物理学における、明在系と暗在系という、新しい考え方を理解しようとする学際的な研究が現れ出したのが、現在の学問の先端を行く傾向にあると、秋山氏は、指摘する。

秋山氏の、最後の言葉である。
見えざる神、隠されたる統一者、無、恍惚、あるいは仏教の空は実在する。それは人間の意思や自我とはまったくかかわらないために、無であり、隠されたものであらねばならない。しかし、そこにこそ新しい世紀と新しい意識の誕生が存在する。それを信ずると信ぜざるとにかかわらず・・・

上記のことを、説明すると、先に進まないので、ここで止める。

さて、21世紀を迎えて、それらは、どのように展開したのだろうか・・・
結論など、出るはずもない。

ただ、人の意識は、それほどに、変化していないのである。

科学的と言えば、説得力があり、オカルトと言えば、不安である。
更に、オカルトは、不気味なものである。
これからも、そうようであろう。

ただし、都合の良いときは、オカルトも利用するのである。
賢い馬鹿が、都合の良いときだけは、霊能者を頼るとか・・・
だが、学術的に深めるという、試みもない。

しかし確実に、人間の心と科学との、分離が行われている。
矢張り、このままでは、どこかで、人間は、大きな過ちを犯すことになる。

死ぬはずの人間を、生かし続けて・・・
一体、どうする気なのか・・・

命の分野にも、入り込む科学というもの。
永遠に生きることが出来るように、幻想を抱かせる科学。

だが、何一つ、確定したものがないのも、科学であり、だからこそ、研究が続く。

仮説を設けて、前進する科学に、心を扱う宗教や、心理学は、どのような手を打つのか。

心理学も、心の科学である。
しかし、そうすると、深まれば深まるほど、人間の心から、離れる。
更には、統計により、人間の心を判定するということになる。

心理学により、心理療法士というものも、カウンセラーというものも、何一つ、確定しているものはない。
手探りの中で、心を扱うのである。

更に、目に見える形にしなければ、解らないという、未熟である。

新薬が出来て、分裂病が癒えたという女性が、相談に来て、言う。
本当の私は、あのくらいトンネルの中にいた私ではないかと、思うと。

精神の病が癒えて、私は、私ではなくなった・・・
それが、不安なのである。

それに対処できる、心理療法家がいるだろうか。

長い神経症患者が、それにより、私でいられた・・・と言う時、果たして、誰が、何かを言うことが出来るのか・・・

そこに、科学と融和した、霊学の存在がある。
霊とは、脳と、心と、魂を結ぶものである。


posted by 天山 at 00:35| 霊学2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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