2013年01月01日

ミャンマー難民孤児に逢う3

追悼慰霊とは、追って、悼むことである。
そして、慰霊とは、霊位に対し奉り、対座することである。
つまり、祈りである。

何故、追悼慰霊をはじめたのか・・・
それは、最初の旅日記に書いていたが・・・

20年以上も前になる。
その頃、私は占いによる、相談を行っていた。
勿論、今も相談を受ける。

その頃、一人の女性がよくやって来た。
通訳の仕事をしていて、グアム、サイパンによく出掛ける。
帰国して、私のところにやって来るのだ。

相談内容は、日本兵の霊を見たというものである。
それだけなら、問題なかった。
彼女は、そしうて、具合が悪くなるというのである。

何処に行っても、解決しないので・・・
そこで、私は、私になり、処置をした。
それで、彼女が楽になり・・・

旅を終えると、毎回やって来て、今回は・・・
と、見た霊の話しをする。
彼女にとって、それは、現実である。

霊はいないと言っても意味が無いのである。

私は、それにより、いつか、慰霊に出掛けたいと思うようになった。
更に、戦争が終わり、それでも霊として、戦地に漂うという、その哀れさである。

だが、そこに辿り着くまでには、時間が必要だった。

最初に出掛けたのは、サイパンである。
兎に角、サイパンで確認しようと思った。

追悼、追って、悼むのであるから、戦記を読み始めた。
そして、愕然とする。
知らなかった。

こんな状態だったのか・・・
こんな酷い戦争だったのか・・・

私の父は、最後の少年兵だが、戦地に出る前に、敗戦となったゆえに、戦地の話は聞いていない。

大戦の意味を知れば知るほど、惨いのである。

知ることの、意義は大きい。

当時の大東亜圏の広さは、莫大である。
そんな莫大な広さの中を戦ったのである。

海、山、川・・・
至る所、日本兵の遺骨があることを知る。

だが、慰霊をするために出掛けるが、霊的な現象に遭うことはなかった。

唯一、明確に出来たのは、パラオ、ペリリュー島に出掛けた時である。

そのことについては、天皇の島ペリリュー島という、旅日記に書いているので、省略する。

そして、日本兵ではないが、カンボジア、プノンペンに出掛けて、一度、霊的現象を感じたのみ。

それについても、旅日記に書いている。

戦地、激戦地を廻るうちに、知らないことは、実に悲しいことだと、知る。
何があったのか・・・
それを知るべきである。
ただ、人には、強制しない。
私の問題である。

インドネシア、ニューギニアの、イリアンジャヤのビアク島に出掛けた時の、慰霊の際には、絶句した。
日本兵が、潜んでいた洞窟に、米軍が火炎放射器を使い、ドラム缶を投げ入れて、火を放った。
そこには、負傷した兵士が多く、糞尿にまみれ、捨てられた兵として、最期を覚悟していたという。

祈りの言葉も無かった。

そして、祈りも嘘になる。

何をすれば、いいのか。
それでも、祝詞を献上し、君が代を歌い・・・
だが、違う・・・

ただ、黙祷であった。

遺族でなくとも、胸がかきむしられる。
どうして、こんなところで、死ななければならぬのか・・・

ただ、私は、あなたたちのことを、忘れないために、やってきましたと、言った。
そして、その遺品を見た。
その一つ一つの遺品を、清め祓う。

そこに込められた、想念を祓う。
もう、戦争は、終わったのです。

本当に、ご苦労様でした。
そして、ありがとうございました。

私が、このような気持ちになったことを、私自身か喜んだ。
忘れない。
死ぬまで、慰霊の行為を続けるという、気持ちである。
これは、私の問題である。
人に説くことではない。


posted by 天山 at 06:13| ミャンマー難民孤児に逢う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月02日

ミャンマー難民孤児に逢う4

今回出掛けた、タイ、メーソートは、四回目である。

タイ、西北部のミャンマー国境の町である。
バンコクから、国内線で一時間。

メーソートは、正式発音では、メソッとなるが、表記する時は、メソットとなる。

多くのビルマ人がいる。
そして、今も、続々とミャンマーから少数民族の人たちが、入る町。
難民である。

移民ではない。
町の至る所で働く。
多くは、3Kの仕事をする。

私が泊まったホテルの、ベッドメークの女性たちも、皆、ミャンマー、ビルマ人である。

更に、地元の食堂などで働く。
高級店では、厨房の仕事をする。

もし、仕事が無ければ、資源ゴミを集める。
更には、物乞い、ストリートチルドレンになる。

前回の、三度目は、6つの施設を廻った。
今回は、行ってから決めることにしていた。

孤児施設は、50以上あると言われる。

その、すべてを廻る訳ではない。
別の組織が支援をしている施設もある。

その多くは、キリスト教系である。
特に、プロテスタントが多い。
それは、布教を伴う。

良い悪いの問題ではないが・・・
少しそれは、異様に見える時もある。

実際、今回、森の中の施設に出掛けると、子供たちが、教会に移動していたのである。
だから、私たちも、その教会に出掛けた。

丁度、礼拝の前の準備をしていて、子供たちは、賛美歌の練習をしていた。

代表の先生が、礼拝まで30分ほどあるので、その間に、どうですかと、尋ねてきた。
早速、衣類を渡すことにした。

あっという間の出来事だった。
ただ、少しばかり気になった。

子供たちは、教会の周囲に建てられた建物で生活する。
だから、教会付きである。

そこでは、勿論、プロテスタントの教えが主になる。
少数民族には、それぞれの伝統がある。
しかし、そこで世話を受けなければならないとしたら・・・

その、教えを受け入れるしかないのである。
選択の余地は無い。

私は、それでも、いいと思う。
その後、子供たちが決めることになる。

15歳になったら、その施設を出ることになるのである。
そのまま、クリスチャンになる子供もいるだろう。

だから、日本人のボランティア団体の人たちが、何の目的で支援をするのかと、問われると、絶句するのである。

皆、それぞれの目的があって、支援すると思っている。
宗教の布教であれば、即座に納得する。

しかし、日本のボランティア団体は、無償である。
神道を布教するなど、考えられないことだ。

私も、そうである。
全く、無償である。

必要ならば、差し上げます。
ただ、それだけで終わる。

時々、日の丸を掲げて、君が代を歌う程度である。

前回、明確に、キリスト教系の施設と解った所には、出掛けなかった。
そして、お金が必要だという所にも、である。
お金は、渡せないのだ。
何に使われたのか、解らない。

衣類と、文具、そして、食糧やお菓子、飲み物の支援である。
物のみを、支援する。

毎回出掛けている、無料診療所、メータオクリニックに出掛けた。
以前の倍に広がっている。
ミャンマー難民だけではなく、タイ人の貧しい人たちにも、解放しているという。

そこには食堂から、子供のための学校まで出来た。
それで、障害を持つ子も、生活出来るようになった。

少し前に、ミャンマーから、アウンサン・スー・チー女史が訪れた。
彼女の訪問が、少しでも、彼らの希望になればいい。

私は、患者さんたちの病棟で、支援をした。
まず、一番必要なもの、バスタオル、タオルである。
それから、衣服。大人の男女のものである。

子供たちの衣類は、大半が無くなった。
残るのは、幼児のものである。
だが、幼児の施設には、出向かなかった。

それらは、ホテルで働く、女性たちに渡した。
皆、若いので、子供がいる。

バンコクに戻る日の朝、その女性たちから、長い感謝の言葉を頂いた。
意味は、解らないが、両手を合わせて、何事か言う。

それが、何となく解るのである。

一人だけ、英語の出来る女性がいたので、また来ますからね、と声を掛けて、さようならをした。


posted by 天山 at 06:46| ミャンマー難民孤児に逢う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月03日

ミャンマー難民孤児に逢う5

メーソートには、協力者がいる。
日本人のHさんである。そして、その家族。

更に、最後の日本兵と言われた、中野さんの家族である。
メーソートでは、必ず中野さんの遺骨のある家に行き、慰霊をする。

それは、とても心強い。何故か。
現地で、様々な手配をしなければならない。
特に、車である。そして、現地の場所。

何処にあるのか・・・
それは、大変な手間になる。

だが、メーソートでは、すんなりと場所が解った。

今回は、Hさんと、娘さん二人、中野さんのお孫さんの運転である。
帰りの空港には、中野さんの息子さんが見送ってくれた。

これだけでも、大半が現地の人によるもの。
私たちは、ただ、連れられて行くだけである。

感謝しても、足りない。

そういう出会いを感謝する。
また、そういう出会いをもたらすもの、縁に不思議を感じる。
Hさんは、メーソート支部である。
支援物資は、皆、Hさんに送る。その管理も任せている。

それは、フィリピン、ネグロス島でも、インドネシア、バリ島でも、現地の人の協力で成り立つ。

ジャカルタでも、私の車を使って下さいと言う方に、スラバヤで出会った。
タイ、バンコクの孤児施設にも、知り合いが出来て、いつでも行く事が出来る。だが、まだ、実現していない。

何せ、バンコクの入国審査官にも、何かあれば、わたしに連絡をと言われたのである。

東南アジアの国際空港では、着物姿の私は、目立つ。
何度か出掛けていると、覚えられる。

着物を着る利点は、沢山ある。
日本人だと、すぐに解る。
審査もスムーズだ。

タクシー料金で、空港の前で騒ぐ事を知る人たちは、私に安いバイクタクシーなどを紹介する。

カンボジアのプノンペンでは、おかしいほどだ。
係員が飛んでいる。
バイクタクシーのチケットを持ってくる。

インドネシア、ジャカルタの空港では、毎回、タクシー乗り場のおじさんたちと、やりあう。
これに乗れ・・・乗らない、メータータクシーだ・・・駄目だ、これだ・・・嫌だ・・・

そのうちに、メータータクシーの運転手が手を上げてくれる。

グアムの空港だけは、行きたくない。
乗り継ぎでも、嫌だ。
何せ、パンツ一貫になり、下手をすると、牢屋行きだった。
それに、皆に覚えられた。

帰りの乗り継ぎの際に、コーヒーを飲んでいると、検査官、空港警察の人たちが、声を掛けてくる。
あれは、安全のために、やっているからさ・・・
顔から、火が出る。

様々な出会いは、楽しい。

インドネシア、ジャカルタの空港で、朝の便を一人で待っていた。
おじさんが、ホテルに行かないのと、声を掛けてくる。
ここまで待っている。
すると、近くのホテルで送迎無料で、安く泊まれるよと、教えてくれ、電話をしてくれた。それから、そのホテルを利用するようになる。

現地の人でなければ解らない情報である。

その時も着物。
おじさんに言われた。インドネシアと日本は、兄弟だ。

兎に角、現地の人の協力は、絶大である。

パラオ、ペリリュー島の慰霊の時は、現地の女子大生が案内してくれた。
子供の頃からの、島の中をスイスイと車を飛ばして、移動した。
車を頼むと、大変な料金になった。

50ドルのお礼でも、彼女は、嬉々として喜んだ。

一人で、ペリリューの島の中に入れば、確実に、迷う。

それで、兎に角話し掛けること・・・
挨拶でも、何でも、ブロークン英語で・・・喋る。

相手も、ブロークンなら、大変によい。
通じるのだ。

更に、子供たちは、日本語でも、通じる。
勘である。

メーソートで、一人の男の子にぬいぐるみを上げると、一人の女の子が出て来た。
欲しい・・・と聞くと、頷く。
日本語である。
その子は、口が利けない子だった。
つまり、耳が悪い。

私の日本語が通じていた。
ぬいぐるみを渡した時の、喜びの顔は、忘れられない。

きっとこれから、毎晩抱いて寝るだろう。

フィリピン、マニラ、セブ島、レイテ島、ネグロス島のストリートチルドレンは、日本語でも、通じる。
勿論、ジェスチャーが入る。

もしかして、これが私の豊かさ・・・と、思う。


posted by 天山 at 00:02| ミャンマー難民孤児に逢う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月04日

ミャンマー難民孤児に逢う6

メーソートの街中は、かび臭い。
そして、タイ全体に言えるが、ドブ臭いのである。

バンコクでも、下水道の匂いが漂う。
つまり、下水道の処理がなっていないのである。

今回の旅の最後は、パタヤに立ち寄ったが、そこも、世界的観光地だが、下水道のドブ臭いのが、鼻につく。

一度、バンコクで、下水道の処理、掃除をするのを見たが、下水道に溜まった、泥、ゴミを集めていた。
それ以外の方法が無いのだ。

ドブ臭い中で、屋台のご飯を食べていると、変な気分がしてくる。
食中りするようなものでなくても、当るような気分になるのだ。

東南アジアは、どの国も、そうである。
バリ島などは、雨が降ると、下水道がすぐに溢れて、それは、それは不衛生である。

行政が、そこまで手が回らないともいえるし、怠慢だともいえる。

日本の上下水道の技術は、十分輸出に耐えられるものだ。

日本では、下水道の匂いなどしない。

糞尿処理もまだまだ。
何処に流しているのかと、詮索するが・・・

ジャカルタのスラムの川は、糞尿にまみれている。
貧しい家々は、すべて川に面して、トイレを作る。
つまり、そのまま川に流すのである。

メーソートの下水道も、そうである。

そして、ホテルが古いので、ホテルも匂う。
かび臭い町に、かび臭いホテルである。

新しいホテルが出たために、今回の料金は、驚くほど、安くなっていた。
二人で、一泊、280バーツである。約900円。

そのしわ寄せが、ビルマ人労働者に向けられる。
つまり、ベッドメークの女性たちである。

ホテルに到着した時に、以前もいた、英語の出来る女性がいた。
向こうから、声を掛けてきた。
ゥーワと、歓声を上げた。

彼女にも、衣類を渡したのだ。
全員で、五名になっていた。

朝の九時頃にホテルに来て、まず、廊下で朝食と昼食を兼ねた食事をする。
それから、夕方まで働く。
中には、ホテルの住み込みの人もいる。

客室は、大半が二階のみ使用している様子。
客が少ないのである。
更に、この料金だと、ラブホテル代りに利用される。
だから、ショートタイムである。

深夜に来て、朝帰るという、客である。

私は、部屋が広いので満足。
古いホテルは、料金が安く、部屋が広いのである。
何処の東南アジアの国も同じだ。

ただ、カンボジア、プノンペンの古いホテルは、一晩で懲りた。
兎に角、臭い。
かび臭いのが、鼻につくし、ベッドの古さが鼻につく。
安かろう、悪かろう、だった。

マニラのホテルでは、ベッドに虫が住み着いていた。
夜、足が痒くなる。
朝起きると、足が虫に食われていた。
ただ、それぞれの部屋によって、違うことを知った。

改装中になったので、これからなら、ベッドも新しくしただろうと思う。

今回は、メーソートに二泊のみである。
それは、メーソートの店は、夕方から閉まるのである。
食堂も、七時前に行かないと、もう食べられない。

歩けば、夜の屋台街があるのだが・・・
そこまで元気が無い。

次に行く時は、屋台街に近いホテルにするべきだと思う。

一年前とでは、フロントの顔がすべて変わった。
誰一人知る人はいない。
それも、残念である。

同じ人だと、私が何を目的に来ているのか解るので、非常に協力的になる。色々と便宜を図ってくれる。

セブシティの、よく泊まるホテルのフロントの女性は、私が行くと、何処で支援が必要かを、教えてくれる。更に、車の手配もする。

マニラのドアマンのおじさんも、そうだ。
次ぎは何処へ行く・・・
トンドは注意して・・・など

バンコクのあるホテルの従業員は、大半がスラムから働きに来ている。それで、すぐに皆さんと、仲良くなった。
何せ、全館に放送して、日本から私たちに衣類を持って来た人がいます・・・と、やったのである。

フロントの女性も、ホテルの名刺に自分の名前を書いて、次ぎに来た時は、私に言ってください、と言うのである。
そういう、人のつながりも、楽しい。

メーソートでは、唯一、ベッドメークの女性が、知りあいになった。


posted by 天山 at 06:43| ミャンマー難民孤児に逢う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ミャンマー難民孤児に逢う6

メーソートの街中は、かび臭い。
そして、タイ全体に言えるが、ドブ臭いのである。

バンコクでも、下水道の匂いが漂う。
つまり、下水道の処理がなっていないのである。

今回の旅の最後は、パタヤに立ち寄ったが、そこも、世界的観光地だが、下水道のドブ臭いのが、鼻につく。

一度、バンコクで、下水道の処理、掃除をするのを見たが、下水道に溜まった、泥、ゴミを集めていた。
それ以外の方法が無いのだ。

ドブ臭い中で、屋台のご飯を食べていると、変な気分がしてくる。
食中りするようなものでなくても、当るような気分になるのだ。

東南アジアは、どの国も、そうである。
バリ島などは、雨が降ると、下水道がすぐに溢れて、それは、それは不衛生である。

行政が、そこまで手が回らないともいえるし、怠慢だともいえる。

日本の上下水道の技術は、十分輸出に耐えられるものだ。

日本では、下水道の匂いなどしない。

糞尿処理もまだまだ。
何処に流しているのかと、詮索するが・・・

ジャカルタのスラムの川は、糞尿にまみれている。
貧しい家々は、すべて川に面して、トイレを作る。
つまり、そのまま川に流すのである。

メーソートの下水道も、そうである。

そして、ホテルが古いので、ホテルも匂う。
かび臭い町に、かび臭いホテルである。

新しいホテルが出たために、今回の料金は、驚くほど、安くなっていた。
二人で、一泊、280バーツである。約900円。

そのしわ寄せが、ビルマ人労働者に向けられる。
つまり、ベッドメークの女性たちである。

ホテルに到着した時に、以前もいた、英語の出来る女性がいた。
向こうから、声を掛けてきた。
ゥーワと、歓声を上げた。

彼女にも、衣類を渡したのだ。
全員で、五名になっていた。

朝の九時頃にホテルに来て、まず、廊下で朝食と昼食を兼ねた食事をする。
それから、夕方まで働く。
中には、ホテルの住み込みの人もいる。

客室は、大半が二階のみ使用している様子。
客が少ないのである。
更に、この料金だと、ラブホテル代りに利用される。
だから、ショートタイムである。

深夜に来て、朝帰るという、客である。

私は、部屋が広いので満足。
古いホテルは、料金が安く、部屋が広いのである。
何処の東南アジアの国も同じだ。

ただ、カンボジア、プノンペンの古いホテルは、一晩で懲りた。
兎に角、臭い。
かび臭いのが、鼻につくし、ベッドの古さが鼻につく。
安かろう、悪かろう、だった。

マニラのホテルでは、ベッドに虫が住み着いていた。
夜、足が痒くなる。
朝起きると、足が虫に食われていた。
ただ、それぞれの部屋によって、違うことを知った。

改装中になったので、これからなら、ベッドも新しくしただろうと思う。

今回は、メーソートに二泊のみである。
それは、メーソートの店は、夕方から閉まるのである。
食堂も、七時前に行かないと、もう食べられない。

歩けば、夜の屋台街があるのだが・・・
そこまで元気が無い。

次に行く時は、屋台街に近いホテルにするべきだと思う。

一年前とでは、フロントの顔がすべて変わった。
誰一人知る人はいない。
それも、残念である。

同じ人だと、私が何を目的に来ているのか解るので、非常に協力的になる。色々と便宜を図ってくれる。

セブシティの、よく泊まるホテルのフロントの女性は、私が行くと、何処で支援が必要かを、教えてくれる。更に、車の手配もする。

マニラのドアマンのおじさんも、そうだ。
次ぎは何処へ行く・・・
トンドは注意して・・・など

バンコクのあるホテルの従業員は、大半がスラムから働きに来ている。それで、すぐに皆さんと、仲良くなった。
何せ、全館に放送して、日本から私たちに衣類を持って来た人がいます・・・と、やったのである。

フロントの女性も、ホテルの名刺に自分の名前を書いて、次ぎに来た時は、私に言ってください、と言うのである。
そういう、人のつながりも、楽しい。

メーソートでは、唯一、ベッドメークの女性が、知りあいになった。


posted by 天山 at 07:00| ミャンマー難民孤児に逢う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月05日

ミャンマー難民孤児に逢う7

メーソートでの慰霊は、中野さんの御宅と、自由戦士の碑の前で行った。

自由戦士の碑は、四名の日本人青年が、ミャンマー国軍と対決したカレン族の加勢をして、亡くなった方々である。
皆、三十代前半である。

その名前が刻まれた、慰霊碑である。

案内のHさんが、その人たちをよく知っていた。
矢張り、亡くなった際に、部屋を訪ねて来たと言う。
不思議でも、何でもない。有り得ることである。

実は、最初に慰霊をした時の写真に、大きな丸い光の輪が写っていたので、気になっていた。
今回が、四度目の慰霊であるから、それは、消えていると思う。

だから、あえて、Hさんと共に、写真を撮った。

一人だけ、攻撃を受けて、暫く、苦しんで亡くなったと言う。
一度、ミャンマー側に埋葬されたが、遺族が来て掘り起こし、再度火葬して、日本に持ち帰ったという。
だが、霊位は、そこにいる。

出来るだけ、大袈裟ではなく、黙祷を主にして、祈る。

私は、花も、線香なども、使わない。
ただ、思いの祈りだけである。

以前は、その戦いの現場を見渡せる場所でも、慰霊を行った。
それは、国境の川である。

今回は、慰霊碑だけである。

その苦しみから解放されて、自由な世界にお戻りいただくように、願った。

それが、終わり、すべての活動が終わると、三時間以上を経ていた。
昼の時間である。
いつものように、皆で、食事をすることにした。

その店に着いた時は、もう、昼を過ぎていた。
総勢、五名で食事をする。

疲れているので、あまり食べられないが・・・
皆さんと、食事をするのは、楽しい。

Hさんの、お勧めの中華料理の店である。
中華料理は、皆で食べられるので、丁度よい。

日本語、タイ語、英語交じりの話しである。
Hさんの、上のお嬢さんは、フランス語が出来るが、誰もフランス語が出来ないので、タイ語のみである。
下のお嬢さんは、日本語が少し出来る。
大学も、日本語学科に進むという。

運転をしてくれた、中野さんのお孫さんは、タイ語のみ。
ハチモト君と呼ぶ。

一時間を過ごして、私たちは、ホテルに送って貰った。
どっと、疲れが出た。
シャワーを浴びて、暫し、ベッドで横になる。

そして、もう夜の食事が出来ないほど食べたと、夕食は、とらないことにした。

翌日は、バンコクに戻り、そのまま、パタヤに向かう。
丁度、12時発の飛行機である。

明日は、中野さんの息子さん、ハチモト君のお父さんが、送迎してくれるという。

朝、10:30に出ることにした。
二泊の短い滞在であるが、十分充実した活動が出来た。

そして、これが、今年最後になる。

どこに出掛ける元気もなく、飲み物だけを、コータにコンビ二で買って貰った。
糖分が欲しくなるので、コーラーを頼む。

そして、横浜の支部、副代表の辻さんに電話をして、活動報告をする。
それを、辻さんが、自分のホームページに書いてくれる段取りである。

私は、旅の間、一切インターネットをしないことにしていた。
本も読まない。
何もしない。

活動以外は、何もしないことにしていた。

近くの市場には、二度ほど出たが、あまり買う物も無かった。
ただ、茹でたとうきびを買った。

タイでは、今時期日本には無い、果物を多く食べる。
スイカ、パイン、パパイヤ、マンゴーなどである。

道端で、切り売りのものを買う。
その分量が丁度良い。

切り売りの果物売りは、衛生的に問題ないのである。
氷をぎっしり詰めたケースに入れている。
大量に買っても食べられないので、丁度良い分量である。

私は、熟したものが好きで、時々、常温のまま、放って置く。
すると、甘みが増して美味しい。

何せ、腐る直前が好きなのである。

こうして、メーソートでの、時間が過ぎる。

パタヤでは、四泊の予定である。
パタヤには、出掛けて、七年が過ぎる。
知り合いも、増えた。そして、楽しいのである。
だが、観光ではない。
ゲストハウスに泊まり、更に、屋台か市場で食事をする。
大金を使うこともない。


posted by 天山 at 06:13| ミャンマー難民孤児に逢う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月06日

ミャンマー難民孤児に逢う8

タイの曖昧さと、適当さには、怒りを通り越して、笑うこと、多々あり。

バンコク行き・・・
案の定、遅れた。

メーソートに到着して、30分して、また戻るという、スケジュールである。
そんな短い時間で・・・と、思いつつ・・・

あっ、来た来た・・・
バンコクからの、飛行機を見て言う、私。

30分遅れ。
そして、乗客が降りて、荷物が下ろされる。
その間、じっとそれを見ている。

だが、他の人たちは、平然として待つ。

漸く、搭乗になった。
Hさんはじめ、娘さん二人と、中野さんの息子さんが、最後まで、見送る。
気の毒だ。

飛行機に乗り込む。扉が閉まる。
すぐに動く、そして、飛び立つ。

時間は無視。
はい、全員乗りましたとなると、さっさと、飛び立つ。
私は、笑う。

いつものことである。

バンコクの国内線のドムアン空港に到着。
今は、国際線も出るようになった。

さて、パタヤ行きのバスは・・・
空港から出ているのか・・・
誰に聞いても、よく解らないのである。

漸く、掃除のおばさんが、私たちを見て、どうしたのと声を掛けてきた。
説明すると、詳しく答えてくれる。

空港の近くのバス乗り場から、パタヤ行きのバス停にミニバスが走っている。
20バーツで乗れるよ・・・
ところが、そこに行くまでが、大変である。

ありがとうございます、と言って、矢張りタクシーに乗って、バス乗り場まで行くことにした。

今度は、タクシー料金である。面倒なのだ。
200バーツと言われる。
コータが、そんなにかからないと言う。

メータ。
それで駄目なら・・・と、無視する。
すると、タクシー運転手がオッケーである。

バンコクのタクシー運転手は、多くは出稼ぎである。
大変な仕事だ。
それを知るから、言い値で乗りたいが・・・
でも、癖をつけてしまうと思い、メータと繰り返して言う。

何度、車内で喧嘩したことか・・・

ある人から、ピストルを持っているから、最後まで怒らせないことと、言われている。
タイ人は、限界を超えると、撃つというのだ。

だから、私は、メーター、メーターと、言って、次に日本語で、怒る。怒鳴る。意味が解らないから、ただ、怒っているということだけが伝わる。
ドアを開けて、降りると言う。

運転手は、そこで諦める。

コータは、タイ語が出来るから、穏やかに言う。

案の定、メーターだと、150バーツにもならない。
だが、150バーツを差し出す。

バスは、10分後に出るというから、急いだ。
兎に角、広いバス停である。
タイ全土にバスが出ている。

バスにトイレがなかったら、どうしようと思いつつ・・・乗り込む。
後の座席で、トイレがあった。安堵する。
バス停のトイレは、お金がいるのだ。
もたもたしていると、乗り遅れる。

思い出した。
数年前に、このバスに乗りパタヤに向かう最中、デモ隊の暴徒化で、ビルに火が付けられた。それを、バスから見ていた。

タンシン派が起こしたものだった。

思えば、バンコクは、カンボジア、ミャンマー、ラオスに行く中継地点であり、年に何度も訪れている。
タイのニュースが気になるのだ。

今回、帰国の日も、黄色シャツのデモがあり、空港閉鎖になるかもという事態に。
しかし、内閣府で行われたので、無事出国出来た。

もし、デモ隊が空港を占領したら、私は舞台に上がり、演説する予定だった。
黄色隊は、反タクシン派である。
現在の、タクシンの妹の首相退陣を要求していた。

そこで、私は、国内の問題に外国人を巻き込んではならないと、演説しようと思っていた。
突然、日本人が着物姿で、飛び込むと、驚くだろうし、演説は、日本語であるから、訳が解らないだろう。
しかし、それが、ニュースで流れて・・・
妄想したのである。


posted by 天山 at 05:48| ミャンマー難民孤児に逢う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月07日

ミャンマー難民孤児に逢う9

タイ、パタヤは、不思議な歓楽街である。

もう、世界一と言ってもいい。

何せ、子供から、老人まで、楽しめる。
楽しみ方が、無限なのである。

民族、宗教・・・全くの自由である。
誰もが楽しめる。
私は、これを天国と言うのかと思うほどだ。
しかし、こんな煩い天国には、いたくないとも思うが・・・

まず、楽しみなことは、タイ全土の人と会える。
そして、世界の人と会える。

性的少数者たちも、自由であること。
ゲイ、レズ、レディーボーイ・・・

ビーチ沿いには、夕方から、売春婦が立ち並ぶ。
そこを、家族連れが、楽しそうに歩いている。
それだけでも、不思議な町だろう。

そして、世界の歓楽街の中でも、最も安全である。
勿論、危険もあるが、それは、本人の問題が大きい。

私には、顔馴染みのゲストハウスの従業員たち、屋台のおばさん、その他、諸々の知り合いがいる。

そして、マッサージである。
全国から出て来たマッサージの人たち。
勿論、行くたびに、変わっている。
盛衰が激しいのだ。

私は、エロマッサージと、まっとうマッサージに分けて、選んでいる。
勿論、すべてが当る訳ではないが・・・

今では、価格競争で、タイマッサージが、100バーツ、300円ほどで、受けられる。
日本でマッサージを受けると考えると、15回分受けられる。

中には、失敗したと思う所も多々あるが・・・

最初にフットマッサージをして、確認するという手もある。
それで、上手だったら、通うのである。

さて、パタヤは、夕方から夜、深夜、朝までの町である。
だが、24時間の町だという方が当っている。

屋台も、朝から夕方、夕方から深夜、朝までの店と・・・
三度ほど、変化するのも、楽しい。

食べるものに、困らない。
それも、屋台は、激安である。
食中りは、あるが、それは、こちら側の問題である。

肉などは、最初から焼いたものを、再度、焼き直すという屋台もある。
生のままのものは、見て確認する。
自分で勝手に、炭火の上に置くと、丁度良い頃に、それをカットしてくれる。

次ぎに安いのは、庶民の店。
現地の人たちが食べる店である。

高級店に入ったことはない。
欧米人たちが利用する店は、料金が高い。
つまり、彼らは、自国と同じようなものを食べるという意識が強い。

タイでは、タイ料理を食べるのが、一番である。

夜の町は、残念ながら、私は知らない。
寝てしまうからだ。
今夜こそは・・・と、思っても、駄目。
更に、酒は一切飲みたくないのである。

日本では、毎晩、酒を飲むのに、海外に出ると、ピタッと、飲みたくなくなるのである。

無理して飲むと、気分が悪くなる。

さて、その他に、タイ全土から出稼ぎに来ている人たちに、支援物資を渡すこともある。
その人たちは、その人たちが利用する食堂があり、そこに行くと、誰もが貧しい。

ビニールシートの屋根に、厨房が見える。
そこでは、どうしても、食べる気にならない。
食器を洗う水である。
それ以外は、火を通すので問題ないが・・・

カンボジア、ミャンマー、ラオス・・・
いずれも、屋台の食器を洗う場を見たら・・・食べられなくなる。
同じ水で、洗い、同じ水で、すすぐ。

清潔な環境に慣れている日本人には、無理なことだろう。

私の好きな物は、朝は、カオトムという、お粥、そして、カオパットという、焼き飯、もち米が好きで、カオニャオを頼む。
カオニャオと、鶏肉、あるいは豚肉の焼いたもので、十分である。

トマヤムクンが有名だが・・・
それにも、色々な種類がある。
クンは、エビである。
イカ、豚肉、鶏肉、その魚類で、呼び方が違う。

時間をかけずに作るものが、タイ人は得意である。
屋台は、手際が一番。

自炊ということをあまりしないのが、タイ人なので、屋台は、いつも賑やかである。
顔馴染みになると、色々と話しかけてくる。
勿論、タイ語なので、解らないが、うんうんと聞いている。

サバイディー、元気かい・・・
サバイディ・マイ、元気だよ・・・
タイとは、長く付き合いたい。

最後に、パタヤでは、何でも許されるが、一つだけ、注意することは、王様に対する不敬である。
王様の肖像画を傷つけたり、不敬な事を言うと、即座に、警察に連絡が行く。
そして、必ず、刑務所に入れられる。

ある事件があった。
兄弟同士の争いである。
兄が親に大切にされ過ぎるので、弟が、その兄の金、日本円にして300万円ほどを燃やした。
その判決は、そのお金は、親の金であり、家族間の問題だ。
だが、そのお金と共に、王様の肖像画があり、それを燃やしたので、罪である。

夕方、六時に国王賛歌が流れる。
公の場所では、起立する。
外国人も、である。

ただし、店や、歩いている際は、そのまま、終わるまで静かにしているのだ。

国王不敬だけは、許されないということ。
特に、現在の国王は、国民からの敬愛の念が強い。

ちなみに、書くが、世界で最も、権威ある存在は、日本の天皇陛下である。
エリザベス女王は、ローマ法皇には上座を譲る。
ローマ法王は、天皇陛下に上座を譲る。

それは、歴史である。
歴史の長い君主が、最も、権威を持つ。

エリザベスは、千年、法皇は、二千年、天皇は、二千七百年である。

タイ国王が、天皇陛下を最も丁重に扱うのは、そういうことである。


posted by 天山 at 02:48| ミャンマー難民孤児に逢う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月08日

ミャンマー難民孤児に逢う10

六年間のまとめとして、書いている。
だから、シビアなことも書く。

その前に、私の情報は、私の仕入れたものである。
そして、そのためには、共通の言葉が必要である。

正しい英語というものがあるのか、どうなのかは、知らないが・・・
英語が最も、共通の言葉になる。

私は、英語が出来ないが、英会話が少し出来るようになった。
ただ、相手が、正しい英語で喋ると、よく解らないのだが・・・

何せ、ストリートチルドレンでも、英語圏ではない国でも、生きるために、必死で覚えるのである。
また、物売りの人たち・・・
日本語で話し掛けてくる。

どこで、覚えたの・・・
自然に・・・
日本人の会話を聞いて、自然に覚えたという。
これも、生きるがための、力だ。

必要に迫られると、覚えるのである。
そして、兎に角、話すこと。

それで、私は、図々しくも、ブロークン英会話をする。
だが、英語圏の人が正しい英会話をするものでもないのである。

そして、私の興味は、物の値段である。
普通は、幾らなのか・・・
それは、コンビ二に行き、確認する。

ベトナム、ハノイで、水を買おうと思った。
道端のおばさんが、一ドルという。
そこで、私は、コンビ二に行き、その値段を確かめた。

一ドルは、その時、4000ドン程度。
その水は、2000ドンだった。

そうして、色々な値段を確認する。

カンボジアの、シェリムアップに出掛けた時に、マッサージをした。
丁度、ボーイがいたので、フットマッサージをした。

そこで、途中から、主人がいなくなり、誰も、店に居ない状態になった。
23歳だというボーイは、それから、私を口説き始めたのである。

スペシャル・オッケー
えっ・・・
すると、股間を指して、スペシャルと言う。
ああ・・・えっ・・・

どうして・・・
ボーイが男にスペシャルとは・・・
そこで、興味を持って、幾らと聞いた。
30ドル。
えっ・・・30ドル・・・
大金である。

だが、どうして、そんなことを覚えたのか。
つまり、そういう客がいるということだ。

マッサージが終わるまで、そのやり取りが続いたが、店主の奥さんが戻ると、ピタっと、止めた。
そこで、私は、その値段を確認すべく、色々なマッサージの店を廻った。
そして、英語で、聞いて歩いたのである。

大半の店が、スペシャルをすることが解った。
だが、聞いたのは、皆、女の子たちである。

ボーイを捜した。
そして見つけて、聞いた。
スペシャルは、あるのか・・・
えっ・・・
今度は、ボーイが不審な顔をするので、私は、股間を指した。
すると、ノーと言う。

つまり、あのボーイは、特別だったのだ。

前置きが長くなった。
児童買春と、児童さらいと、児童の臓器売買である。

児童買春に関しては、極めて、遺憾である。
だが、そのことも、詳しく書けない。情報になってしまう。

何せ、場所によっては、日本人の客が多いという、ショックな場所もあるのだ。

特に、国境付近は多い。
児童でなくても、少女売春もある。

それも、誰に聞けばいいのか、解った。
それは、書かない。

子供さらいは、この頃、特に多くなっている。
子供を拉致して、別の場所に連れて行き、物乞いをさせる。

東南アジア全域に渡り、行われている。
インドなども、実に多いと聞いている。

だが、子供は敏感で、私が不審と思い近づいて、話しを聞こうと思うが、何も喋らない。言葉が分からないということもあるが・・・見張りがいるのだろう。

タイの場合は、一日の売り上げが、1000バーツの場合は、上々である。約2800円ほどになる。
売り上げの悪い子は、食事が与えられない。

臓器売買は、インドネシアで盛んである。
ジャカルタ・・・
首都であり、あまりに、広い町であり、それを追求するには、そうとうな時間がかかる。

生活苦で、子供を売る。または、さらう、のである。

そこで、私には、何が出来るのかである。

児童買春の場合は、告発である。
しかし、法整備がなっていない国は、難しい。
ただし、建前は、法整備が出来ているのだ。

それが実行されていないのである。
地元の真っ当な人に相談すると、無理だと、言われた。
それは、無いということになっているから。

さらわれた子供は、そこから連れ去り、保護をして貰うことだが・・・
その前に、保護をしてくれる施設を見つけることだ。

臓器売買は、手をつけるには、危険過ぎる。
犯罪組織が背後にあり、個人では、無理である。

児童に関する問題は、兎に角、その国の法律が問題である。
そして、それが、実行されていることだ。

現在、バンコクでは、児童買春を求める客がいる場合は、そのまま警察に連れて行かれるまでになった。
だが・・・

心ある人たちは、私に、近づくなと、アドバイスする。
危険だ。
誰も、あなたを守れない・・・

確かに・・・
ルポライターも、命懸けで取材をするのである。

そして、もう一つは、障害者の問題である。
決して、彼らは、表に出ない。
出ている人は、物乞いをしているのみ。

バンコクで、両足の利かない人が、道を這っているのを見た時は、本当に驚いた。

貧しい国の障害者の置かれている環境は、想像も出来ないのである。

追悼慰霊と、衣類支援、食糧支援・・・
それで、満足しなければならないのだろうか・・・
と、いつも、考えている。


posted by 天山 at 05:15| ミャンマー難民孤児に逢う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

もののあわれについて595

今はただ大方の御睦にて、おましなどもことごとにて大殿籠る。などてかく離れそめしぞ、と殿は苦しがり給ふ。大方、何やかやともそばみ聞え給はで、年頃かく折り節につけたる御遊びどもを、人づてに見聞き給ひけるに、今日めづらかしかりつる事ばかりをぞ、この町のおぼえきらきらしと思したる。




今では、ただ一通りの仲である。寝床なども、別々で、お休みになる。何故、このように別々になったのだろうと、源氏は、嫌になるが。まあ、花散里は、あれこれと、嫉妬もせず、長年、こうした折節にちなむ遊びも、人伝に聞くのみで、今日は珍しくこちらであった、ということで、この御殿の名誉だと思うのである。

きらきらしと思したる
華やかで、目立つことであり、それが、名誉と思うのである。




花散里
その駒も すさめぬ草と 名にたてる 汀のあやめ 今日や引きつる

とおほどかに聞え給ふ。何ばかりのことにもあらねど、あはれと思したり。

源氏
にほどりに 影を並ぶる 若ごまは いつかあやめに ひき別るべき

あいだちなき御言どもなりや。朝夕の隔てあるやうなれど、かくて見奉るは心安くこそあれ」と、戯れごとなれど、のどやかにおはする人ざまなれば、しづまりて聞えなし給ふ。床をば譲り聞え給ひて、御凡帳引き隔てて大殿籠る。気近くなどあらむ筋をば、いと似げなかるべき事に、思ひ離れて聞え給へれば、あながちにも聞え給はず。




花散里
馬さえ食べない草と評判の、岸辺のあやめのような私を、今日は節句なので、引き立ててくださったのですか。
と、おっとりとして、申し上げる。たいしたことはないが、源氏は、心を打たれた。

源氏
夫婦仲のよい、にお鳥と影を並べる、若駒の私です。いったい、菖蒲と、あなたと、別れたりするものですか。

愛想の無い歌ですよ。と、源氏は、常日頃は、離れているようですが、こうして、お目にかかると心が休まります。と、冗談にも言うが、相手が、おっとりとしているので、しんみりとした話し方である。御帳台は殿に譲り、御凡帳を隔てて、お休みになる。一緒に寝るということは、全く不釣合いなことと、すっかり諦めているので、無理に言うことも無い。


posted by 天山 at 23:53| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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