2012年12月29日

伝統について59

奥山の 真木の板戸を 音速み 妹があたりの 霜の上に寝ぬ

おくやまの まきのいたどを おとはやみ いもがあたりの しものうえにねぬ

奥山の、真木で作った板戸は、音が大きい。だから、妻の家の近くの、霜の上で寝た。

これは要するに、板戸の音が大きい。つまり、出入りをする音が大きくて、人に気づかれるから、霜の上に寝たというのである。

当時の状況が理解できる、歌である。

あしひきの 山桜戸を 開け置きて わが待つ君を 誰か留むる

あしひきの やまさくらとを あけおきて わがまつきみを たれかとどむる

あしひきの、山桜の板戸を開けて、待っているあなたを、誰が引き止めて、留めておくのか。

君が来ないのである。
それは、誰のせいなのか。
どこの女が、留めているのかとも、考える。

月夜よみ 妹に逢はむと 直道から われは来れども 夜そ更けにける

つくよよみ いもにあはむと たたぢから われはくれども よそふけにける

月が美しいので、妻に逢おうと、真っ直ぐな道を通り、急いで来たのに、夜が更けてしまった。

月の光に、慕情を募らせて、急ぐ若者である。
妻に逢いたいとの、思い、ただそれだけである。


物に寄せて思をのべたる
事物に託した、心情を歌うのである。

朝影に わが身は成りぬ 韓衣 裾の合はずて 久しくなれば

あさかげに わがみはなりぬ からころも すそのあはずて ひさしくなれば

朝の影法師のように、身が痩せた。韓衣の裾のように、合わず、久しくなってしまったからだ。

裾が互い違いになって、合わないというのを、二人が逢えないというのに、かけている。

恋いやつれである。

解衣の 思ひ乱れて 恋ふれども 何そ汝がゆえと 問ふ人もなき

とききぬの おもひみだれて こふれども なそながゆえと とふひともなき

解衣のように、心を乱して恋をする。どうして、人は、私のせいかと、声を掛けてくれないのか。

解衣とは、ほどいた衣である。
その、ほどけた衣のように、思い乱れて恋をする。
それを、私のせいかと、問う人もいないのである。

片恋である。

摺衣 着りと夢見つ 現には 誰しの人の 言か繁けむ

すりころも けりといめみつ うつつには だれしのひとの ことかしげけむ

摺染の衣を着ていると、夢を見た。実際、誰との仲だと、煩く言われるのだろうか。

色に摺るということで、恋が色に出る、予兆と感じた時代である。
どんな恋人なのだろうかと、乱れる心である。

更に、それを人に、噂されるのである。
当時の情報は、恋の情報が主である。
そんな時代があったのだ。



posted by 天山 at 05:45| 伝統について2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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