2012年12月20日

霊学90

錬金術は、グノーシス主義が栄えかかる、四世紀から、特に、アレクサンドリアを中心にして、盛んになる。
その中でも、伝説的人物は、ヘルメス、イーシス、特に、エジプトの農耕・牧畜の神クヌムのギリシャ名で、アガトダイモーンなどが、その始祖と考えられている。

アガトダイモーンは、頭に光輪を戴く蛇で、古代の護符に、よく描かれている。

その他、アレクサンダー大王、ビザンチンの帝位についた、ヘラクリウス、また、紀元前2600年、ギゼーの大ピラミッドを建設したという、エジプトの王クフの名前も、錬金術師として知られている。

更に、プラトン、アリストテレス、ピタゴラス、ゾロアスターなど、有名な哲学者、宗教家が書いたとされる、文献も含まれる。

更に、三世紀から、五世紀にかけて、実在した人たち、エジプトのパノポリス生まれのギリシャ人で、アレクサンドリアで活躍した、ゾーシモス、またユダヤ人婦人マリア、コプト婦人クレオパトラなどの、女性の錬金術師もいたという。

錬金術、つまり、別名ヘルメスは、六、七世紀には、ビザンチンから、更に、アラビアに移る。
そこでは、グノーシス主義、新プラトン学派の影響の強い、イスラムの神秘主義者たちの間に、エジプトのコプト系の学者たちによって、広められたという。

アラビアで有名なのは、ラテン名では、ゲーベルとも呼ばれる、イブン・スィーナーなどで、いずれも数学者、医者を兼ねる学者である。

また、アル・ガザーリーのように、物質的な実験操作を全くやらず、瞑想と、修行による神秘思想家として、知られる錬金術師もいた。

この、錬金術が、中世ヨーロッパに伝われるのは、十字軍の遠征によるものと言われる。

ヘルメス・トリスメギストによって、エメラルドに刻まれた謎のような言葉をつらねた「エメラルド板」が詳しく研究され始めたのは、12世紀という。

この文献は、四世紀頃に、ギリシャ語から、アラビア語に移され、更に10世紀頃に、アラビア語から、ラテン語に翻訳された。
それは、賢者の石の作り方に関して、最も短い文献で、後のフリーメーソンの結社にまで、影響を与える、ヘルメス思想の原点とされる。

これで、解ることは、最初は、アラビアによって、開花し、その後、ヨーロッパにもたらされたということだ。
つまり、ヨーロッパの文化、文明は、アラビアより、遅いのである。

世界史を学ぶときに、西洋史が主になるので、気づかないが、文明の花は、アラビアからなのである。

14世紀の、ダンテの「神曲」には、グノーシス主義、カタリ派の異端、その他様々な要因が含まれて、キリスト教的な錬金術の象徴として、十字、薔薇、鷲、ひなに餌を与えるために胸を切り裂くペリカン、すなわち救世主のイメージなどが、描かれている。

カタリ派とは、錬金術ではないが、中世の異端の歴史で、よく知られる、南仏に広まったものであり、マニ教の影響を受けている。彼らが、十字軍によって、絶滅させられた後も、南仏の吟遊詩人たちによって、伝えられた。

これと関わり、聖杯伝説が広まる。
聖杯の探求は、失われた、隠された知を再び見出そうとする物語で、錬金術と同じ文脈がある。

そして、グノーシス主義や、錬金術が、堂々と姿を現すのが、ルネサンスであった。

秋山氏は、
ルネサンスこそ魔術的でオカルト的な時代であった。
と、言う。

ヘルメス文書の、翻訳も始まる。

当時は、この著者こそ、モーゼと同じ時代、あるいは、それ以前の人であると言われた。
ゆえに、ヘルメス文書は、創世記と同様に神聖なものと、信じられた。

ヘルメス文書を翻訳した、マルシオ・フィチーノの親友であった、ピコ・ミランドーラは、キリスト教カバラの創始者であり、最初で最大の解説者だった。

ピコは、ユダヤ神秘主義のカバラによって、キリスト教の真理を確認出来ると考えた。
カバラもまたモーゼより伝わった、古代の叡智の伝承だと、信じられたので、これにより、古代の異教とされる、ヘルメス文書も、確認できると思ったのである。

面白いのは、フィチーノの著作で、よく読まれた「天上的に準備されるべき生について」である。
ヘルメス文書の「アスクレピウス」という文献によるもので、そこで彼は、どのようにして、エジプト人が神々の像に、天上の諸惑星の影響力を呼び寄せているのかを述べているという。

そして、それが、フィチーノの魔術であった、という。

ピコの創始した、キリスト教的カバラは、フィチーノのヘルメス主義的魔術と共に、ルネサンスの中心的思想を作り上げたという。

上記を見ても、キリスト教という宗教が、妄想なのか、グノーシス主義が妄想なのか・・・
あるいは、ヘルメスのカバラが妄想なのか・・・

実際は、表と裏なのである。

キリスト教によって、抑圧され続けた、思想の数々が、ルネサンスに復活するという。
人間復興・・・なのではない。

異端復興なのである。

だが、それを異端に仕立て上げたのは、キリスト教である。
異端の方が、本筋のように思えるのだが・・・

まさに、モーセの黒聖書にある、黒い神が、白い神を作った・・・

兎に角、ユングは、人間の無意識を突き止めるために、それらのもの全般に渡り、知ろうと努めたのであることは、間違いない。

つまり、味噌も糞も一緒の世界を見なければ、無意識の世界の一端も掴めないということだ。

本当に、ご苦労なことである。



posted by 天山 at 01:26| 霊学2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。