2012年12月16日

国を愛して何が悪い43

1620年、巡礼の始祖と言われる、ピルグリム・ファーザーズの一団が、イギリスの宗教弾圧を逃れて、メイフラワー号で、北米大陸の、プリマスに上陸した。

彼らは、予想外の厳しい環境の中で、飢えと寒さに苦しみつつ、先住民のインデアンの温かい支援に助けられて、植民地の一歩を踏み出した。

ここで、言うが、最初に、インディアンの温かい支援を受けたということである。
しかし、その後、彼らは、そのインディアンを虐殺して憚らないのである。

それから、100年のうちに、イギリスから、続々と移民が押し寄せた。
インディアンの土地を奪い、ヴァージニア州から、13番目のジョージア州までの、13州が成立するのである。

だが、イギリス、エリザベス女王の時代以来、北アメリカの植民地政策を強化する本国は、植民地を、本国への原料の供給地、商品の販売市場と考え、様々な干渉を行う。

最もなことは、重税である。

移民者は、自主独立の気風が強く、それに反発する。

1773年のボストン茶会事件から、列強の力を借りて、1776年7月4日、独立を宣言する。

独立宣言は、トマス・ジェファーソンの起草である。
人間の自由と平等、人権の尊重である。

だが、それは、白人にのみ、適用されるものである。

ここに、アメリカの独立の蒙昧と、偽善がある。
そこには、先住民の人権も、自由も平等も無い。

更に、黒人奴隷に対しても。

アメリカの独立は、フランスを刺激した。
絶対王政のフランスでは、ついに、自由、平等、人権を求める、フランス革命が起こる。

フランス革命はフランス植民地主義の上にのり、利益を独占して空前の絶対王政を形作ってきた特権身分の僧侶や貴族に対する市民、農民の反乱であった。つまりフランス革命も、フランス植民地主義の産物であったのである。
清水馨八郎

イギリスは、植民地政策により、産業革命を起こして、富を得たが、フランスは、植民地争奪戦で敗北し、大半の植民地を失い、国家財政が破綻して、革命が起こったのである。

西欧の国運は、すべて、植民地を前提としているのである。
白人は、有色人種を犠牲にして、富んだのである。
それを、失えば、破綻した。

だから、中南米の独立により、スペインとポルトガルは、急速に没落したのである。

だが、その独立も、先住民の独立ではない。
西欧から移住してきた者たち、及び、先住民との混血児の、本国に対する、独立である。

それでは、先住民は、どうなったのか・・・
白人の過酷な支配下で、奴隷として酷使され、虐殺され、あるいは、土地を追われたのである。

アメリカが行った、領土拡大と、インディアンの抹殺計画は、この世の地獄を生み出した。
アメリカの建国は、先住民の血を大量に流し、その思想の嘘八百を暴露したのである。

更に、その思想の原点である、キリスト教というもの。
キリスト教精神とは・・・
今更、アメリカの牧師たちの、説教を聞くほど、馬鹿ではない。

オーストラリアでもそうだが・・・
原住民を、これまでかと痛めつけて、今は、その原住民を保護支援すると、言う。
その、キリスト教精神の、偽善性には、呆れる。

さて、当時、北米大陸に侵略したのは、イギリス人、フランス人、スペイン人である。
その中で、一番最悪なのは、イギリス人である。
彼らと出会ったインディアンたちは、悲惨だった。

フランス人は、毛皮、スペイン人は、貴金属に関心があった。しかし、イギリス人は、土地だった。

フランス、スペイン人は、先住民を使うことで、それを得たが、イギリス人は、土地を奪うために、インディアンを虐殺しなければならないのである。

インディアンには、土地所有の観念は無い。
それを利用して、土地の権利、売却、譲渡、契約・・・それを無理矢理、イギリス人は、インディアンに署名させた。

そして、合法的という言葉で、騙し、脅し、インディアンの土地を奪った。

当初の、白人植民者の飢えと、苦難を救った友好的なインディアンが、その白人たちに虐殺されるのである。
これ以上の悲劇はない。

しかし、白人イギリス人の、暴挙は続く。
1830年、ジャクソン大統領は、野蛮人の一掃と称して、強制移住法を制定した。
すべての、インディアンを、ミシシッピー川の西に、立ち退かせた。

ところが、調査が進むにつれ、西にも、多くの資源があることが判明し、白人の幌馬車隊は、川を越えて、西へ西へと進んだのである。

インディアンは、白人の度重なる約束違反に対して、激昂する。
更に、最悪なのは、インディアンの命綱である、バッファローを面白半分に、撃ち殺すという、暴挙である。

西部を舞台に、凄惨なインディアン戦争が繰り広げられることになった。

映画の、西部劇である。
白人を正義として描いた、最悪の映画である。

インディアンの武力抵抗は、1876年にカスター中佐指揮下の第七騎兵隊の一個大隊を壊滅したリトル・ホーンの戦いで絶頂を迎える。しかし結局、圧倒的に優勢な合衆国軍の前に敗退を余儀なくされて、1890年のウンデット・ニーのスー族約300人の虐殺事件をもって幕を閉じた。残った彼らは自由の天地を奪われ、狭い保留地に閉じ込められた。
清水馨八郎

北米の先住民の人口は、200万人から、500万人であり、そのうち、80パーセント以上が、現在のアメリカに住んでいた。
17世紀以降、植民地化が進み、殺戮と、白人がもたらした伝染病で、その数が、激減する。

1899年頃には、35万人まで、減ったのである。

1924年に、ようやくインディアン市民権が制定され、はじめて、人間として認められた。

日本が、植民地政策で成したことを見れば、雲泥の差、天地の差である。

これ以上、言葉を尽して、白人主義の云々を言わない。
事実だけで、十分である。




posted by 天山 at 01:25| 国を愛して何が悪い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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