2012年12月15日

国を愛して何が悪い42

白人が植民地にするということが、どんなことか少しばかり書いてきた。
まだまだ、続けるが、ここで一度、日本の統治支配について、寄り道する。

例えば、満州、朝鮮、台湾、などの、植民地支配では、奪うのではなく、与えることが、先決だったということ。
これに関しては、後々で、書くことにする。

植民地・・・
日本が統治した場所が、すべて植民地支配だったと、考えている人が多いが、そうではない。

例えば、現在のパラオ共和国を見る。

敗戦後、パラオは、自治政府として、パラオ共和国になり、アメリカの支配下だった。
それが、アメリカの信託統治を外れて、真の独立国になったのが、1994年である。つまり、平成6年である。

戦前まで、パラオは、日本の、委任統治領だった。
これは、植民地政策ではない。

国際連盟規約第22条に基づき、国際連盟の指定を受けた国が、一定の期間、非独立地域を統治するという、制度である。

実際、この制度は、白人諸国が、有色人種諸国を統治する、というより、植民地として支配することに、国際法の正当性を与えるものだった。

だが、日本は、あくまでも、委任によって、統治するという意識である。
つまり、その地域から、何かを奪うという、白人主義の考え方ではないのである。

であるから、日本は、パラオに対して、収奪することは、一切なかった。
それどころか、教育、文化、行政、法制度、都市インフラに至る、あらゆるものを与えたのである。

しかし、日本は、それ以上に、パラオに与えたものがある。
大和心である。

1941年、大東亜戦争が開始される。
パラオは、日本にとっての、グアム、サイパンの後方支援基地として、また、太平洋防衛の、重要な拠点となった。

それは、敵対する米軍にとっては、脅威でもある。

1943年、米軍は、アメリカ太平洋艦隊司令長官、連合軍中部太平洋方面の陸海空3軍の最高司令官デアル、チェスター・ミニッツ提督の指揮下、パラオ・ペリリュー島の攻略作戦を計画した。

当時、ペリリュー島の島民は、899名である。
島民たちは、スペイン植民地時代を知っている。つまり、白人の収奪の有様と、日本の統治の実態を見ている。

日本兵と仲良くなり、日本の歌を一緒に歌う島民だった。
彼らは、集会を開く。
そこで、全員一致で、大人も子供も、日本軍と共に戦うことを決定したのである。

パラオの古来からの習慣で、決め事は、村人が全員で話し合うのである。
決るまで、何日も続けられるという。

さて、その島民たちが向かった先は、当時、ペリリューの守備隊長、中川州男、なかがわくにお、陸軍中将、当時は大佐である。
島民たちは、いつも優しい中川であれば、皆で決定したことを、すんなりと受け入れてくれると、考えた。
その、皆の決定を報告する。
暫しの沈黙の後、中川の口から出た言葉に、島民たちは、驚く。

帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか・・・
島民たちは、土人という言葉に、凍りついた。
今までは、同士、仲間と言っていたはず・・・・土人とは・・・

島民は泣きながら、帰り道を歩いたという。
そして、その後、日本軍が用意した船で、島民全員が、パラオ本島に向かう日が来た。
島民たちは、悄然として、船に乗り込む。
日本兵の姿は一人も見えない。

舟が海岸を離れた始めた時である。
ジャングルから、おーーーーという声が上がった。
日本兵全員が、浜に走り出してきた。そして、一緒に歌った歌を歌う。

その時、島民たちは、知った。
我々を戦いに巻き込まないということだと・・・
島民の目には涙が溢れた。

中川隊長の姿も見える。

であるから、独立記念の歌を作った時の歌詞が出来た。

激しく弾雨が降り注ぎ
オレンジ浜を血で染めた
つわものたちはみな散って
ペ島はすべて墓となる

小さな異国のこの島を
死んでも守ると誓いつつ
山なす敵を迎え撃ち
弾射ち尽くし食糧もない

兵士は桜を叫びつつ
父母よ祖国よ妻や子よ
別れの桜に意味深し

日本の桜は春いちど
見事に咲いて明日は散る
ペ島の桜は散り散りに
玉砕すれども勲功はとこしえに

今もののふの姿なく
残りし洞窟の夢の跡
古いペ島の習慣で
我ら勇士の霊魂守る

平和と自由の尊さを
身をこなにしてこの島に
教えて散りし桜花
今では平和が甦る

どうぞ再びペリリューへ
時なしさくらの花びらは
椰子の木陰で待ちわびし
あつい涙がこみあげる

そして、パラオの国旗は、太平洋の青に、黄色の満月であり、その満月を中心にするのは、日本に失礼であると、少し中心をずらしたのである。

統治した国に対して、こんな国民がいただろうか。

日本軍の死者は、10695名。捕虜、202名。
だが、島民の死者は皆無である。

そして、敗戦後、アメリカ兵はその兵士の遺体だけを集めた。
日本兵の遺体を集めて、ねんごろに、埋葬したのは、島民たちである。

私は、ペリリューに慰霊に出掛けて、パラオの人たちに接し、日本人に対する思いを覚えてきたのである。




posted by 天山 at 05:54| 国を愛して何が悪い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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