2012年12月09日

もののあわれについて594

殿は、東の御方にもさしのぞき給ひて、源氏「中将の今日のつかさの手結のついでに、をのこども引き連れてものすべきさまに言ひしを、さる心し給へ。まだ明き程に来なむものぞ。あやしく、ここにはわざとならず忍ぶる事をも、この親王達の聞きつけて、とぶらひものし給へば、自らことごとしくなむあるを、用意し給へ」など聞え給ふ。馬場の大殿は、こなたの廊より見通す、程遠からず。源氏「若き人々。渡殿の戸あけて物見よや。左のつかさにいと由ある官人多かる頃なり。せうせうの殿上人に劣るまじ」と宣へば、物見むことをいとをかしと思へり。




源氏は、東の御方にも、顔を出して、中将が今日の、左近衛府の競射のついでに、友人を連れてくるようなことを言ったので、そのつもりで頼む。まだ明るいうちにやって来るだろう。どういうものか、ここでは、内輪の話で隠しておくことでも、例の親王たちが、かぎつけて、わざわざやって来るので、ついつい大袈裟になるものだが。用意をしてくれ、などと、申し上げる。馬場の御殿は、こちらの渡廊から見通せる。それほど離れていない。源氏は、若い女房たちに、渡殿の戸を開けて、物見せよ。左近衛府は、大変立派な官人たちが多いこの頃だ。なまじ、殿上人などに負けないだろう、と、おっしゃるので、女房達は、見物を大変楽しみにしている。




対の御方よりも、童べなど物見に渡り来て、廊の戸口に、御簾青やかに懸け渡して、今めきたる裾濃の御凡帳ども立て渡し、童下仕などさまよふ。菖蒲のあこめ、二監の羅のかざみ着たる童べぞ、西の対のなめる。好ましく慣れたる限り四人、下仕はあふちの裾濃の裳、なでしこの若葉の色したる唐衣、今日のよそひどもなり、こなたのは濃き単襲に、なでしこ襲のかざみなどおほどかにて、おのおのいどみ顔なるもてなし、見所あり。若やかなる殿上人などは、目をたてつつ気色ばむ。




西の対の方からも、童女などが見物にやって来て、渡殿の戸口に、御簾を青々として掛け渡して、今流行りの、裾濃の御凡帳を立て並べて、童や、下仕などが、あちこちとしている。菖蒲重ねの、あこめ、二監の羅のかざみを着た、童女が、西の対の者らしい。感じの良い、物慣れた童女ばかり四人、下仕は、おおちの裾重ねの裳に、なでしこの若葉の色をした唐衣で、皆、端午の今日の装いである。
こなたの、花散里の童女は、濃い紅の、単重ねに、なでしこのかざみなどを、おっとりとして着て、互いに競争しているらしい、立ち居振る舞いは、見ていて面白い。若い殿上人などは、目をつけて、気取っている。




未の時に、馬場の大殿に出で給ひて、、げに親王達おはしつどひたり。手結の、公事にはさま変はりて、すけたちかき連れ参りて、さまことに今めかしく遊び暮らし給ふ。女は、何のあやめも知らぬ事なれど、舎人どもさへえんなる装束をつくして、身を投げたる手惑はしなどを見るぞ、をかしかりける。南の町もとほして、遥々とあれば、あなたにもかやうの若き人どもは見けり。だきょうらく、落蹲など遊びて、勝負の乱声どもののしるも、夜に入りて、何事もみえ見えずなりはてぬ。舎人などの禄しなじな賜はる。いたく更けて、人々皆あかれ給ひぬ。




午後一時頃、馬場の御殿においでになると、なるほどに、親王達が集まる。競技も公式のものとは趣が違う。中将、夕霧たちも、連れ立って参加している。一風変わって、華やかに、暗くなるまで遊ぶのである。女は、玉葛は、何も解らないことなのだが、舎人たちまで、見事な装束を着飾り、命懸けの、秘術を尽しているのを見るのは、面白い。馬場は、南の紫の上の御殿まで通して、続いている。あちらでも、このような若い人たちが、見物している。だきゅうらく、落蹲などを奏でて、勝ち方の楽隊などで大騒ぎするうちに、すっかり夜になって何も見えなくなった。舎人どもが、色々と禄を頂戴する。ひどく夜が更けてから、人々が皆、帰ったのである。




大臣は大殿籠りぬ。物語など聞え給ひて、源氏「兵部卿の宮の人よりはこよなくものし給ふかな。容貌などはすぐれねど、用意気色など、由あり、愛敬づきたる君なり。忍びて見給ひつや。よしと言へど、なほこそあれ」と宣ふ。花散里「御弟にこそものし給へど、ねびまさりてぞ見え給ひける。年ごろかく折り過ぐさず渡り睦び聞え給ふと聞き侍れど、昔の内わたりにてほの見奉りし後、おぼつかなしかし。いとよくこそ容貌などねびまさり給ひにけれ。帥の親王よくものし給ふめれど、けはひ劣りて、大君けしきにぞものし給ひける」と宣へば、ふと見知り給ひにけり、と思せど、ほほ笑みて、なほあるをば、よしともあしともかけ給はず。人の上を難つけ、おとしめざまのこと言ふ人をば、いとほしきものにし給へば、右大将などをだに、心にくき人にすめるを、何ばかりかはある、近きよすがにて見むは、飽かぬ事にやあらむ、と見給へど、言にあらはしても宣はず。




大臣、源氏は、花散里の元で、休まれた。お話などされて、兵部卿の宮は、人より、ずっと立派でいられる。お顔は、それほどでもないが、身だしなみや態度は、教養が見えて、愛すべき方です。そっと御覧になりましたか。立派だといえるが、もう一息だ。とおっしゃる。花散里は、弟君でいらっしゃいますが、お年上に見えます。ここ何年か、このように、折りあるごとに、お出でになっては、親しくされていると聞きますが、昔、宮中でお見受けしてからは、よく存じ上げません。たいそう、ご立派に、お顔立ちなどは、お年と共に、おなりになりました。帥の親王は、ご立派ではいらっしゃいますが、どうも品が落ちて、王族程度のようです。と、おっしゃる。一目で見抜いていると、源氏は思ったが、微笑んで、それでも今に生きている人は、良いとも悪いとも、おっしゃらない。他人のことは、難癖をつけ、悪口をいう人を、困った者だと考えているので、右大将などをも、世間では、立派だと言うらしいが、何のたいしたことがあろうか。身内の者として見るには、不十分だと思うが、口に出しては言わないのである。

右大将とは、黒髭右大将のこと。

心にくき人にすめる
世間で言うこと。

近きよすが、とは、身内の事。ここでは、玉葛の婿になる者をいう。

遊びの後に、源氏が花散里の部屋に渡り、休むのであるが、二人の話は、何気なくも、物語の核心を突くような話しをしている。

構成されているような雰囲気である。
それが、また、面白い。




posted by 天山 at 06:22| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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