源氏が、酷いことに、一人意気込んで、兵部卿の宮を待ち構えていることも知らず、宮様は、悪くない返事が来た事を喜び、こっそりとお出でになった。妻戸の間に、座布団を差し上げて、凡帳だけを中の隔てにして、姫に近い所である。源氏は、大変心を配り、空薫物を、奥ゆかしいほどに匂わして、世話を焼く様子は、親ではなく、困ったおせっかい者の、それも、まあこれまでもと、お見えになる。宰相の君なども、宮への御返事の申し上げようも解らずに、恥ずかしがるのを、源氏は、しっかりと、つねるので、困っている。夕闇も終わり、淡い月の出た空は、曇りがちで、物静かな宮の様子も、実に美しい。内からの、ほのかな追い風に、更に、優れた源氏の香の匂いが加わり、ひとしお深い香りが、部屋に満ちた。宮は、予想以上に、素晴らしい姫の様子に、心を引かれた。口に出して、思い心のさまをおっしゃる言葉は、落ち着いて、好き心というよりも、どこか違うのである。源氏も、これは、素晴らしいと、聞いている。
姫君は、東面に引き入りて大殿籠りにけるを、宰相の君の御消息つたへにいざり入りたるについて、源氏「いとあまりあつかはしき御もてなしなり。よろづのこと事さまに従ひてこそめやすけれ。ひたぶるに若び給ふべきさまにもあらず。この宮達をさへ、さし放ちたる人伝に聞え給ふまじきことなりかし。御声こそ惜しみ給ふとも、少し気近くだにこそ」など、いさめ聞え給へど、いとわりなくて、ことつけてもはひ入り給ひぬべき御心ばへなれば、とざまかうざまにわびしければ、すべり出でて、母屋のきはなる御凡帳のもとに、かたはら臥し給へり。
姫君は、東座敷に引き込んで、お休みになっている。宰相の君が、お言葉の取次ぎに、入ったのに、源氏がついてきて、どうも、好意のない扱いです。何事も、時と場所に応じたることです。もう子供のような年ではないのです。この宮にまでも、遠く隔てをおいた人伝の挨拶など、されるべきではありませんよ。直接お話しせずとも、せめて少し近くに、などと、お叱りがある。だが、姫は、途方に暮れる。お叱りにかこつけて、こっそりと、入り込みそうな源氏のことゆえ、どちらにしても、辛いことで、そっと出て、母屋の傍の御凡帳の元で、横になっていた。
とざまかうざま
黙っていても、源氏が何をするのか、といっても、宮の傍に行くのも、どちらにしても・・・である。
何くれとこと長き御いらへ聞え給ふこともなく、思しやすらふに、寄り給ひて、御凡帳のかたびらをひとへうちかけ給ふにあはせて、さと光るもの、紙燭を差し出でたるか、とあきれたり。蛍を薄きかたに、この夕つ方いと多く包みおきて、光をつつしみ隠し給へりけるを、さりげなく、とかくひきつくろふやうにて、にはかにかくけちえんに光れるに、あさましくて、扇をさし隠し給へるかたはらめ、いとをかしげなり。「おどろかしき光見えば、宮ものぞき給ひなむ。わがむすめと思すばかりのおぼえに、かくまで宣ふなめり。人ざま容貌など、いとかしくも具したらむとは、え推し量り給はじ。いとよくす給ひぬべき心、惑はさむ」と構へありき給ふなりけり。まことのわが姫君をば、かくしも、もて騒ぎ給はじ。うたてある御心なりけり。こと方より、やをらすべり出でて渡り給ひぬ。
あれこれと、長い物語に、お返事することもなく、考え込んでいると、源氏が寄ってきて、御凡帳の帷子を一枚、上げると共に、ハッと光るものがある。紙燭を差し出したのかと、驚く。蛍を薄い布に、今日の夕方、沢山包んでおいて、光が漏れぬように隠していたのだ。そうと解らないように、そこらを整えるようにして、急に、明るく光ったので、びっくりして、扇で顔を隠された、その横顔は、実に美しいと、見える。源氏は、驚くほどの光が射したなら、宮も覗かれるだろう。自分の娘だと思う、それだけのことで、こんなにも熱心にしている。人柄や器量などが、これほど、整っているとは、まさか思わないであろう。十二分に、女に熱心な宮の心を、迷わせてやろうと、源氏は、趣向を凝らして、動き回っているのだ。
実の自分の姫君は、こんなに、大袈裟な騒ぎはしないだろうと思う。困ったものである。
源氏は、別の戸口から、そっと抜け出て、行ってしまったのである。
最後は、作者の心である。
宮は、人のおはする程、さばかりと推し量り給ふが、少し気近きけはひするに、御心ときめきせられ給ひて、えならぬ羅の帷子の隙より見入れ給へるに、一間ばかり隔てたる見わたしに、かくおぼえなき光のうちほのめくを、をかしと見給ふ。程もなく紛らはして隠しつ。されどほのかなる光、えんなる事のつまにもしつべく見ゆ。ほのかなれど、そびやかに臥し給へりつる様体のをかしかりつるを、飽かず思して、げに案のごと御心にしみにけり。
宮
鳴く声も 聞えぬ虫の 思ひだに 人の消つには きゆるものかは
思ひ知り給ひぬや」と聞え給ふ。かやうの御返しを、思ひまはさむもねぢけたればときばかりぞ。
玉葛
声はせで 身をのみこがす 蛍こそ 言ふよりまさる 思ひなるらめ
などはかなく聞えなして、御みづからひき入り給ひにければ、いと遥かにもてなし給ふ憂はしさを、いみじく恨み聞え給ふ。
宮は、姫の居るのは、あの辺と推測し、その場所がわりに近いので、つい胸がドキドキする。美しい薄物の帷子の隙間から覗き込むと、柱一間一つ隔てた先に、思いがけない、光がちらつくのを、綺麗だと御覧になる。まもなく、女房達が取り囲み、見えなくなった。だが、このほのかな光は、話のきっかけになると思う。微かではあるが、すらりとした、身を横にしている姿が美しいので、もっと見たいと思い、矢張り、心に深く留まる。
宮
鳴く声も聞えぬ、蛍の光でさえ、人の力では、消せないもの。人の心の火が、どうして消すことができるでしょう。
お解かりくださいましたか、と、申し上げる。これくらいの御返事に、思案していては、変だと、ただ早くと思い、
玉葛
鳴きもせず、ただ身を焦がす、蛍のほうが、口に出すより、もっと深い思いでいるでしょう。
など、あっさりと、御返事をして、引き籠ってしまった。随分と、疎ましい扱いを、辛いと、延々と、恨みことを言う。
はかなく聞えなして
何でもないことのように・・・扱うのである。