2012年11月30日

平成24年ネグロス島へ15

翌日、イロイロ最後の日、私は近くのモロ教会に出掛けた。
スペイン統治時代に建てられた、古い建物である。

そこで、教会に入ろうとしたが、表門が開いていない。
そこで、裏側に回った。
それが、幸いした。

教会に入る扉が見当たらない。
その教会の裏に住む人に声を掛けた。
すると、何と、日本語で返事をされた。

わたし、すこし、日本語できるよ・・・
出て来た人は、女性だった。
昔、日本で働いていたよ・・・

その夫も、一緒だった。
とても、礼儀正しい。

教会に入れますか・・・
ああ、入れますよ、案内します・・・

そこで、彼女に連れられて、逆の方向に向かった。

もし、そのまま、私が逆の方向に行って、教会の中に入れば、それからのことは無かったのである。

彼女は、教会の中に案内してくれた。
そして、説明した。

聖堂の祭壇の真ん中の像が、聖母アリアの母の、アンナの像であること。
そして、マリアの像が横にある。
実に、巧みな、聖堂であった。

聖母の母が、真ん中にある。
そして、マリアの像である。
十字架が無い。

カトリックは、その地に合わせて、崇拝の対象を変えたのである。

母の母を祭ることで、母なる教会を意識させる。
これは、カトリックの独特の手法である。

それでは、イエスの像というと、聖堂の後ろにある。
それも、黒いイエス像である。
その地方の人の肌に色に合わせた色なのである。

これ以上は、説明しない。

さて、次ぎに彼女は、私を司祭のいる場所に連れた。
神父様に会わせるというのである。
この教会には、一人しか、司祭がいないと知る。

この巨大な教会に、一人の司祭である。
ということは、大変なことである。

案の定の、司祭は多忙だった。
その事務所で、少し待たされた。
司祭のスケジュールが、黒板に書かれている。
予定が、びっしり。

それでも、私に会うという。
光栄である。

その日は、特に暑い日だったので、事務所で待つことにした。
隣が司祭の部屋である。

呼ばれた。
快く、司祭が私を迎え入れた。
たどたどしい英語で、私は挨拶した。
そして、フィリピンにて活動していることを言う。

司祭は、アントニオ神父と言った。
とても、感激してくれた。
神父は、修道会の司祭ではなく、教区司祭である。
つまり、司教の下にいる司祭である。

私は、カトリックの洗礼名で名前を言う。
ミカエル、マイケルである。

少し、話しをした。
そして、忙しい中を会って下さったことを感謝すると、神父は、お会いして大変嬉しいと、言う。

私は、信者が求めるように、祝福を求めて手を合わせ、頭を垂れた。
アントニオ神父は、私を祝福した。

神父様、ありがとうございます。お会いできて、嬉しいです。また、イロイロに来ますと、言った。
また、会いましょう・・・
神父は、そう言って、私を送った。

カトリックに会えば、カトリックに。イスラムに会えば、イスラムに。私の信条である。
勿論、私は、カトリックの洗礼を受けているので、カトリックと言っても間違いないが・・・

私は、キリスト教徒であり、イスラムであり、バリヒンドゥーであり、ブデッストであり、古神道であり・・・
気違いといわれても、それでいい。

宗教による、争いを最も忌むものである。

我が国の宗教というものは、無い。
日本は、宗教の国ではないのである。
日本は天皇を戴く伝統の国である。
その意識で、宗教に対する。

そこにいた人たちは、皆々、親切だった。

私は、ロザリオを買った。
友人に差し上げようと思った。

スペイン統治時代から、フィリピンは、カトリックの布教がついて回ったのである。
そして、今は、伝統になっている。
それを否定する何ものも無い。

幸福感というものは、人それぞれである。
だから、私は、どの宗教に対しても、否定はしない。

相手の大切にするものを、私も大切にする。
だから、話し合いが出来る。

この姿勢は、日本人なら、ある意味で、簡単に出来る行為である。
相手の信じるものを、否定することなく、日本人は、対応出来るのである。




posted by 天山 at 00:00| 平成25年ネグロス島へ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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