2012年11月27日

平成24年ネグロス島へ12

知らない国の、知らない場所の現地の食堂で、物を食べるということは、怖いことか・・・
そんなことは無い。
私は、自分の感覚を信じている。

食中り・・・食中毒・・・
確かに、そういうことはある。
だが、少し食べて、それを感じれば、止める。

今まで、海外を旅して、食中りしたことは、数多くあるが・・・
それでも、それは、たまたまのことだと、思っている。
日本にいても、当る時は、当るのである。

ということで、現地の食堂に、通う。

フィリピンは、島国である。つまり、周囲が海。
魚が豊富だ。魚料理も多い。
魚好きな私は、それらの多くを食べた。

ただ、貝、蟹などは、食べない。
当る確立が高いのである。

だが、インドネシアの、ビアク島で当ったのは、バナナの揚げ物だった。
12時間、下痢を続けた。
その前日の、芋の揚げ物はなんでもなかったのである。
不思議だ。

しかし、それを恐れては、何も口に出来ない。

パナイ島、イロイロの料理も豊富である。
ただ、米が良くない。
実に、不味い。バコロドより、不味い。
それは、パナイ島で採れた米である。

食欲が失せるほど、不味い米である。
全く粘りが無くて、パサパサしている。
糒を戻したような米である。

矢張り、日本の米は、世界一であると、思う。
それを食べている、日本人には、当たり前の感覚。

まあ、所違えば、何もかも違う。

夜の食事も、食堂に出掛けた。
美味しいと、思う。
私は、必ず魚料理を注文した。
コータは、一切、魚料理を食べない。
一度、それで死ぬ思いをしたからだと、言う。

前回、コータは、バコロドの市場で、パイナップルを買ってきて食べ、当った。
私も食べようとしたが、コータがすべて捨てた。
つまり、市場の中で切ったものは、菌がついていて、当るという。
だが、同じものを食べても、私は当らない事が多い。

まあ、人それぞれである。

初めてのパナイ島での、夜の食事である。
矢張り、二人で、100ペソ前後、200円程度である。

ホテルに戻り、シャワーを浴びて、タバコをふかし、寝る用意をする。
コータも、どこにも出掛けなかった。

日本を出て、四泊目である。
そろそろ、疲れる時。

水を飲んだり、コーラーを飲んだりして、寝ることにする。
エアコンを弱くする。
南の島は、湿度が高いが、矢張り、乾燥するのだ。
朝目覚めて、喉が、少しおかしくなる。

私は、現地時間の五時頃に、目覚める。
そして、一階のレストランで、コーヒーを注文して、外で飲む。
ホテルのレストランは、24時間制である。

田舎のホテルにしては、特別である。
このホテルの客は、大半がフィリピン人である。
そして大半が、仕事のために使用しているようだ。

後で知るが、日本の企業が多くある。
だが、日本人には会う事がなかった。
最も、日本人は、もっと高い料金のホテルに泊まるのだろうが。

このホテルには、二泊することになる。

翌日、コータが散歩に出掛けて、支援する場所を探した。
そして、再度、私を連れて、下見に行く。

その場所は、海に面した地区である。
市場の近くで、それはそれは、大きなスラムである。

兎に角、トタン屋根のバラックのような家が続く。
海に出た。
子供たちが泳いでいる。
それを少し年上の女の子が見ていた。
声を掛けた。

英語が出来るか・・・
すると、一人の女の子が、出来ると言う。

そこで、私は、後で、日本からのプレゼントを持ってくると、言った。
すると、女の子は、本当に・・・
本当だよ・・・
いつ頃、来るの・・・
もうすぐだよ・・・

ここまで、待っていてくれる・・・
オッケー、待っている・・・

それで、決まりである。
バイクタクシーをつかまえて、ホテルに戻り、更に、運転手に、もう一度、同じ場所に行き、これこれをするので、待っていて、またホテルに戻ると、頼む。

150ペソと言う運転手に、私は、120ペソでと言うと、了解した。
兎に角、値切ってみることである。

早速、部屋に戻り、すべての支援物資を持って、バイクタクシーに乗った。




posted by 天山 at 05:00| 平成25年ネグロス島へ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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