2012年11月11日

霊学88

ユングの自著である、心理学と錬金術、の中から・・・

読者諸賢は私の説明に仕方にグノーシス派的神話の響きがあるというので腹を立てないでいただきたい。なんとなれば、われわれが今ここで問題にしている心理学的領域は、他ならぬグノーシス「真の認識」の源流なのであるから。キリスト教の象徴が伝えようとしているのはグノーシスであり、無意識の補償作用の意味するところはいよいよもってグノーシスに他ならないのである。神話素はこのような心的過程を物語る最も原初的な、最も本来的な言葉であって、いかなる知的表現といえども神話的な像の豊かさと表現力とに比べれば、それに近づくことはあってもその域に達するということは絶対にない。無意識の補償という心的過程に見られるのは根源的な諸像であって、従ってこれを最も的確に表現しうるのは神話におけるような象徴的な言葉以外にない。

とても、大胆な意見である。

最も的確に表現しうるのは、神話におけるような、言葉以外にない・・・

神話の奇想天外、狂いの表現以外に無いというのである。
最も、恐ろしいことは、キリスト教の象徴が伝えようとしているのは、グノーシスであるという、意見である。

端的に言えば、キリスト教が異端とするものを、それこそ、キリスト教の伝えるものであると言うのであるから、穏やかではない。

であるから、ユングが考えていた、神話的類型の第一には、グノーシス派の神話であるということだ。

また、ユングがグノーシスという時には、純粋に真の認識という意味であって、必ずしもヘレニズム時代の異端であるグノーシス主義を指すとは限らないが、ユングがグノーシスという時は、まず最初に考えているのは、やはり、この歴史におけるグノーシス主義の存在といえよう。
秋山さと子

ここで、断っておくことは、あくまでも、ユングは西欧の一部、ユダヤ、キリスト教の時代精神の中に在って、無意識を詮索したということである。

勿論、中国、インド、チベットなどの、ゲテモノにまで手を伸ばして、無意識、更には、普遍的無意識という概念まで、広げて行くのだが・・・
それを、そのまま、はいそうですか、とは、聞けないのである。

ユングは、心理学の権威としてあるが、それは、それである。

彼自身が狂いの手前まで、その寸前まで行き着いて、辛うじて、その狂いを免れるために、頼ったものが、グノーシスをはじめとする、ゲテモノである。

それは、キリスト教が正しく、グノーシスが誤りであるとは、言わない。
その逆であると考えている。
だが、ユングが見えなかったものは、端的に言えば、霊なのである。

無意識の奥に存在する、霊的存在である。
いや、ユングも、自己を、個我とか、霊我とも言うし、そのように訳されているが・・・

霊的まやかしまでも、ユングは、考えたのである。
霊的まやかしとは、ゲテモノのことである。

目に見えるもの、それが書かれた文字であっても、見えるものしか、方法が無いという、学問の世界である。
目に見えないものは、学問足り得ないのである。

とすると、学問の世界を超えなければ、ならないのである。

兎に角、ユングが、精神科医として、患者の妄想を読み解くためには、学問超える世界にまで、足を踏み出したことは、事実である。

1933年から、イタリアの国境に近い、マジョーレ湖畔のアスコーナで、オルガ・キャプティン夫人の主宰により、エラノスの集いが開かれた。
それは、死後の魂、霊界との交信という、神智学、更にはオカルトと呼ばれるものである。

そこで、ユングが中心人物として動き出すと、世界の宗教学者が集まり、学問的な雰囲気に包まれた研究発表の機関となったというから、矢張り、学者が必要なのである。

そこで、ユングは、錬金術、グノーシス主義についての考え方を発表した。

そのエノラス会議と軌を一にして、地中海沿岸から、新たに多くの古文書が発見された。それが、現在まで続く、学問的成果を上げるものになるのである。

秋山さと子氏は、
彼が表面的な西欧文化の背後にあったこれらの奇異で象徴的な表現の意味を理解したことは、おそらく、現代人の夢を解こうとする努力が役立ったもののようである。つまり、ユングと錬金術やグノーシス主義との関係は相互的で、これらの知識が夢の解釈に役立つと同時に、夢が提出する象徴言語もまた、これらのものの理解を助けたということができよう。
と、述べている。

夢という、無意識への扉・・・
更に、夢という、得体の知れないものに対しての、ユングの情熱は、凄まじいものがあることは、認める。

そこで、夢が提出する、象徴言語ということに関して、少し詮索すると、ユングは、自己のイメージ的表現を、チベットの曼荼羅に似ているということから、心理用語として、マンダラと名付けている。

それは、円形の中に、四角い城壁と、四つの門に囲まれて、天と地を結ぶ場を表すものであるとして、更には、天への窓、などともいうのである。

ある夢を見た人の夢からの、分析であるが、短絡的過ぎる。
どこか、何かの文献を探せば、それに似ているものが、見つかるだろうが・・・

それを、単純に、マンダラと呼ぶとは・・・

神話、古文書・・・
そこから、夢に関するものを取り出して、また似ているものを取り出して、夢を分析するという努力は、認めるが・・・

そこから、普遍的無意識を探り当てたとして、一体、何の意味があるのか。

まだまだ、説明は続くが、結論から言えば、ユングが後半に探り当てた、シンクロニシティ、共時性の法則が、最高なものであろう。
そこに至って、ユングは、評価されるべきである。



posted by 天山 at 06:57| 霊学2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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