2012年11月11日

霊学88

ユングの自著である、心理学と錬金術、の中から・・・

読者諸賢は私の説明に仕方にグノーシス派的神話の響きがあるというので腹を立てないでいただきたい。なんとなれば、われわれが今ここで問題にしている心理学的領域は、他ならぬグノーシス「真の認識」の源流なのであるから。キリスト教の象徴が伝えようとしているのはグノーシスであり、無意識の補償作用の意味するところはいよいよもってグノーシスに他ならないのである。神話素はこのような心的過程を物語る最も原初的な、最も本来的な言葉であって、いかなる知的表現といえども神話的な像の豊かさと表現力とに比べれば、それに近づくことはあってもその域に達するということは絶対にない。無意識の補償という心的過程に見られるのは根源的な諸像であって、従ってこれを最も的確に表現しうるのは神話におけるような象徴的な言葉以外にない。

とても、大胆な意見である。

最も的確に表現しうるのは、神話におけるような、言葉以外にない・・・

神話の奇想天外、狂いの表現以外に無いというのである。
最も、恐ろしいことは、キリスト教の象徴が伝えようとしているのは、グノーシスであるという、意見である。

端的に言えば、キリスト教が異端とするものを、それこそ、キリスト教の伝えるものであると言うのであるから、穏やかではない。

であるから、ユングが考えていた、神話的類型の第一には、グノーシス派の神話であるということだ。

また、ユングがグノーシスという時には、純粋に真の認識という意味であって、必ずしもヘレニズム時代の異端であるグノーシス主義を指すとは限らないが、ユングがグノーシスという時は、まず最初に考えているのは、やはり、この歴史におけるグノーシス主義の存在といえよう。
秋山さと子

ここで、断っておくことは、あくまでも、ユングは西欧の一部、ユダヤ、キリスト教の時代精神の中に在って、無意識を詮索したということである。

勿論、中国、インド、チベットなどの、ゲテモノにまで手を伸ばして、無意識、更には、普遍的無意識という概念まで、広げて行くのだが・・・
それを、そのまま、はいそうですか、とは、聞けないのである。

ユングは、心理学の権威としてあるが、それは、それである。

彼自身が狂いの手前まで、その寸前まで行き着いて、辛うじて、その狂いを免れるために、頼ったものが、グノーシスをはじめとする、ゲテモノである。

それは、キリスト教が正しく、グノーシスが誤りであるとは、言わない。
その逆であると考えている。
だが、ユングが見えなかったものは、端的に言えば、霊なのである。

無意識の奥に存在する、霊的存在である。
いや、ユングも、自己を、個我とか、霊我とも言うし、そのように訳されているが・・・

霊的まやかしまでも、ユングは、考えたのである。
霊的まやかしとは、ゲテモノのことである。

目に見えるもの、それが書かれた文字であっても、見えるものしか、方法が無いという、学問の世界である。
目に見えないものは、学問足り得ないのである。

とすると、学問の世界を超えなければ、ならないのである。

兎に角、ユングが、精神科医として、患者の妄想を読み解くためには、学問超える世界にまで、足を踏み出したことは、事実である。

1933年から、イタリアの国境に近い、マジョーレ湖畔のアスコーナで、オルガ・キャプティン夫人の主宰により、エラノスの集いが開かれた。
それは、死後の魂、霊界との交信という、神智学、更にはオカルトと呼ばれるものである。

そこで、ユングが中心人物として動き出すと、世界の宗教学者が集まり、学問的な雰囲気に包まれた研究発表の機関となったというから、矢張り、学者が必要なのである。

そこで、ユングは、錬金術、グノーシス主義についての考え方を発表した。

そのエノラス会議と軌を一にして、地中海沿岸から、新たに多くの古文書が発見された。それが、現在まで続く、学問的成果を上げるものになるのである。

秋山さと子氏は、
彼が表面的な西欧文化の背後にあったこれらの奇異で象徴的な表現の意味を理解したことは、おそらく、現代人の夢を解こうとする努力が役立ったもののようである。つまり、ユングと錬金術やグノーシス主義との関係は相互的で、これらの知識が夢の解釈に役立つと同時に、夢が提出する象徴言語もまた、これらのものの理解を助けたということができよう。
と、述べている。

夢という、無意識への扉・・・
更に、夢という、得体の知れないものに対しての、ユングの情熱は、凄まじいものがあることは、認める。

そこで、夢が提出する、象徴言語ということに関して、少し詮索すると、ユングは、自己のイメージ的表現を、チベットの曼荼羅に似ているということから、心理用語として、マンダラと名付けている。

それは、円形の中に、四角い城壁と、四つの門に囲まれて、天と地を結ぶ場を表すものであるとして、更には、天への窓、などともいうのである。

ある夢を見た人の夢からの、分析であるが、短絡的過ぎる。
どこか、何かの文献を探せば、それに似ているものが、見つかるだろうが・・・

それを、単純に、マンダラと呼ぶとは・・・

神話、古文書・・・
そこから、夢に関するものを取り出して、また似ているものを取り出して、夢を分析するという努力は、認めるが・・・

そこから、普遍的無意識を探り当てたとして、一体、何の意味があるのか。

まだまだ、説明は続くが、結論から言えば、ユングが後半に探り当てた、シンクロニシティ、共時性の法則が、最高なものであろう。
そこに至って、ユングは、評価されるべきである。



posted by 天山 at 06:57| 霊学2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月12日

神仏は妄想である。390

天台宗を開いた最澄が、比叡山を開くにあたり、大山昨神、おおやまいくのかみ、更に、大三輪神、おおみわのかみ、を勧請して、日吉山王、ひえさんのう、と称した。

ここで、面白いのは、勧請したということである。
何故、そんなことが出来るのか・・・出来ない。

勧請とは、お呼びすることである。
ここにいらして下さいと、願うことである。
僧侶が何故、そんなことが出来るのか・・・
ここでも、その妄想の極みが見える。

兎に角、山王一実神道が出来たのである。

仏教神道、天台神道・・・
誠に、奇妙なものである。

ちなみに、山王とは、日吉神の別名である。

最澄の妄想は、色々あるが、省略する。
釈迦如来を、どこどこの神の本体に定めただのという、笑い話ばかりである。

この山王一実神道が確立させたのは、鎌倉時代の、元寇による、日本侵略の時に、神国日本という、思潮が最高潮に達した時である。

また、その頃は、鎌倉仏教が興る時期である。
浄土宗、臨済宗などが、勢力を盛り上げた。つまり、旧仏教である、天台、真言が侵食されてゆくのである。

そこで、日本の神を奉じる、朝廷、貴族、武家、豪族との連結を強めるために、神道思想をこしらえたのである。

鎌倉の新興宗教の撲滅を願ったのである。
そして、自ら、この神道が日本最高の神道と言い出すしまつである。

本地垂迹説にのっとって、日吉神の信仰と、天台密教を結合させるという、狂いである。

その後は、鎌倉末期から、室町時代に至り、吉田神道、伊勢神道の影響を受けて、日吉神と天照大神との一体説まで生まれた。

吉田神道については、後で書くが、これも、実に曲者である。
神道の堕落に手を貸した、吉田神道である。

更に、この山王という文字に、屁理屈をつけたから、笑う。
その文字は、山も、王も、三本と一本の線から出来ている。
これは、天台宗の観想の方法である、三諦一実という教えから出ているというもの。

三諦一実を、山王で表すというのである。
また、三諦一実は、生死や煩悩を脱して、悟りの境地に達するという、一心三観の悟り、日の心が、そのまま全宇宙であるという、一念三千を象徴するともいわれる。

兎に角、何とでも言うのである。

織田信長の、比叡山焼き討ちにより、日吉山王社も焼失したが、豊臣秀吉、徳川家康らによって、再興された。

江戸時代になると、家康の参謀でもあった、天台宗の天海僧によって、再び勢いを増す。

また、この天海も、こじつけの専門であるから、何やら、色々と屁理屈をつけた。
日吉神と、天照大神と、大日如来は、一緒であるという、仰天したことを言うのである。

神仏の元は、天照大神であると、幕府の力を背景にして、この神道を盛り上げたのである。
本当に、節操が無い。

そして、山王一実神道も、儒学系の、吉川神道、垂加神道、復古神道によって、批判されるようになるが、それぞれ妄想の産物であり、呆れるばかりである。

いずれ、明治維新により、神仏分離となり、廃絶されることになるが・・・

さて、神道の稀代の詐欺師といえば、吉田神道の、吉田兼倶である。
室町末期、仏教、儒教の教えを交える事無く、我が国固有の神道を説いたといわれる。

その実、やったことは、詐欺である。

神産霊神、かみむすびのかみ、の子、天児屋根命、あめのこやねのみこと、から直接伝えられ、それを継承した絶対的本源的神道という意味で、唯一宗源神道などとも、言われる。

伊勢神道に続く、神主仏従の考え方、つまり、仏教を神道の格下とする考え方である。

神々を中心とする、神道教義をはじめて作り上げたといわれる。
が、それ自体が、嘘である。
神道には、教義も無く、教祖もいないのである。

神道理論と言われるが、理論があれば、神道ではない。
神道は、ただ、所作にだけ意味がある。

吉田神社は、平安中期に、藤原氏が奈良の春日大社に祀る氏神を、京都の神楽岡西麓の吉田山に勧請し、平安京の鎮守神として創建したのが、はじまりである。
室町期に衰え、南北朝を経て、応仁の乱以後は、荒廃してしまったのである。

そこに、兼倶が登場する。

政治力を使い、神道の総本山の位置の基礎を築いたのである。
吉田家は、何とそれでも、幕末まで、その地位を持ち続けたのであるから、大したものである。

吉田家とは、元々、卜部氏の後裔であり、占いの一つである、亀卜を司る家系である。
徒然草を書いた、吉田兼好も、吉田家の出である。
優れた学者が多いことで、知られる。

兼倶の兄は、比叡山で天台教学を学び、伊勢神道の立場をとって、豊葦原神風和記などを著した、慈遍などもいる。
家代々の書物もあり、そこで十分に学ぶ事が出来たという、環境にいた、兼倶である。

ただし、そこで理論を作るということは、仏教、儒教だけではなく、道教の影響が、多分にあるということである。

そこから、方法を学び、とでもない妄想を繰り広げたのである。
次回に、その妄想を紹介する。

posted by 天山 at 07:20| 神仏は妄想である。第8弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月13日

神仏は妄想である。391

空海が、日本仏教の稀代の詐欺師であれば、吉田兼倶は、神道、神社神道の、稀代の詐欺師である。

吉田神道、唯一宗源神道・・・
仏教と、道教の影響を甚だしく受けている。
特に、道教の、嘘話をその神道原理に使うという、呆れた行状である。

兼倶は、それまでの仏を主とする本地垂迹説に対して、神道を仏教、儒教などの諸宗の根元、大元だとする。

神道大意、唯一神道名法要集、などの著作がある。

その中で、日本の神道、各神社の由緒に基づく社伝神道、密教の入り混じった両部神道などを、批判する。
そして、太古より、天児屋根命、あめのこやねのみこと、の神宣として、綿々と吉田家に伝えられた、元本宗源神道を、宇宙の根本原理にかなった、正統宗教であるとした。

誰もが、自分の信仰する宗教が一番だと思うと、同じである。
正統宗教などというものは、無い。

正統だと信じて、人殺しを延々と続けている、キリスト教などは、その良い見本である。

元本源神道には、顕露教と、隠幽教、おんゆうきょう、の、二つがある。

顕露教は、外部に現れた教えであり、先代旧事本記、古事記、日本書紀により、天地開闢、神代の由来などを知り、各種の祭祀を、延喜式の祝詞などで、行うとする。

隠幽教は、その奥にある教えであるという。
吉田神道の真髄になるものである。

天元神変神妙経、地元神通妙教、人元神力妙教、からなる、三部の神経に基づき、天地人の三才を霊応させ、三元三妙の加持という、秘儀を行うという。

それが、天児屋根命が、語ったもので、北斗七元星宿真君という、北極星にかかわる神が、漢文に写して、経典としたものだという。
勿論、そんなものは、無い。経典も無い。

全く、道教の嘘話に乗せられているようである。
というより、その程度の、頭だった。
それを信じた人も、人である。

大元尊神という、神を最も、重要視する。
この漢字を見ても、道教であることが、解るというものだ。
呆れる。

その、大元尊神を、国常立神イコール天御中主神、あめのみなかぬしのかみ、と同じであるとする。

そして、吉田神社の南東に斎場所を設け、中央に大元宮を建てた。
天照大神をはじめ、八百万の神が、大元尊神に帰一するという。
その、大元尊神を祀る吉田神社こそが、神道の総本山であるとしたのである。

時に、伊勢神宮が戦災に遭い、外宮が焼けて、神体紛失の噂が流れたこともあり、それを利用して、大元宮を権威付けるための策略を巡らしたという、詐欺師である。

天から光が大元宮に降臨して、そこに神器が出現したと、朝廷に報告する。
伊勢の、内宮、外宮が、戦乱を嫌い、吉田の地に移られたということを匂わせて、調査に当らせるという・・・

朝廷では、その対処に苦慮したが、兼倶の裏工作により、その件は事実であるとしたのである。

更に、面白いのは、伊勢神宮の神々が、二見ガ浦の潮に乗って、大元宮に移られたので、加茂川の水が、塩気を帯びてきたと、朝廷に報告する。
そこで、調べると実際に、水に塩気がある。

だが、バレるものである。
加茂川上流に、密かに塩俵を埋めさせていたことが、発覚した。
兼倶の謀略である。

宗教家の前に、詐欺師であるから、どうしようもない。

だが、詐欺師というのは、懲りないもの。

教えを権威づけるために、太古神典を勝手に作り、神祇伯を世襲してきた、白川家を圧倒して、神祇官を支配するため、家系図を作り変えて、吉田の先祖が古代の神祇伯中臣氏であると、偽証する。

更に、神祇伯に対抗して、神祇官領長を名乗るという・・・
そして、朝廷ではなく、室町幕府に承認させて、神道の家元の地位を確立させるという、仰天である。

それ以来、全国の神職は、吉田家の免許により、任命されることになるのである。

驚くべきは、この、嘘八百の、教義のようなものが、後世に影響を与えたということである。

例えば、林羅山の神道、吉川神道、垂加神道・・・
だから、それらの神道には触れないでおく。

室町期の吉田家から、免許を受けた、神職は皆々、ニセモノである。
ということは、当時、全国の神社であるから、皆、ニセモノである。

ここに、神社神道の極めつけが、確定した。
つまり、神社神道は、神道とは言えないのである。

勿論、その後の吉田家は、衰退するが・・・

兎に角、残念なことに、神社神道というものは、手垢にまみれ過ぎた。

現在、神主になるための、大学もある。
そこで、古事記をはじめとして、色々と、学ぶが・・・

最澄、空海と共に、志があっても、真っ当なものを、学ばなければ、如何ともし難いのである。
そして、それは、時代性と、時代精神によって、変化する。
それは、それでいいが・・・
きっと、サラリーマンのようになっているだろう。
神主も・・・


posted by 天山 at 06:47| 神仏は妄想である。第8弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

神仏は妄想である。392

土御門家、本来は、安倍である。

安倍神道、天社神道とも呼ばれる。
安倍清明で有名である。

勿論、稀代の詐欺師より、一段劣るが、手品師のような存在である。

土御門神道が、陰陽五行に基づくものというから、まさに、神道の邪道である。
それは、道教からのものである。

中世以降、土御門家によって、陰陽道が管轄されたことにより、その名を持つようになる。

道教の際に、説明した通り、平安期、朝廷をはじめ、貴族、庶民の間にも、広く普及した道教の亜流である。

陰陽寮という、役所が置かれて、方角や日の吉凶、祓いや、祈祷を行う。
また、天文、暦などの研究である。

それを専門にする家を、加茂家と呼び、加茂保憲が、その道の達人と言われた。

この保憲は、陰陽道の暦を、その子の光栄に伝え、天文道を弟子の安倍清明に伝えた。
それ以来、加茂と安倍の両家が、陰陽寮に仕える。

清明は、陰陽道の術を自在に駆使して、様々な不思議を行ったという。
道教に他ならない。

のちに、清明から19代の孫の時に、従三位に叙せられ、土御門の称号を拝した。
本家であった加茂家は、逆転して、土御門に仕えるようになる。

ここにおいて、神道に、道教の考え方が取り入れられることになる。
例えば、鬼門という考え方。丑寅の信仰、干支にちなんだ色々な信仰である。

中世以後の神道哲学に、陰陽道が入り込んだのである。
つまり、堕落である。

悪鬼、妖物を祓い、それを防ぐ、鬼はらいの祭り、みちあえの祭り・・・
神道と、陰陽道が一緒になったものである。

占卜など、神社で行われる祭りであると共に、陰陽師が、それを行ったという。

江戸時代になっても、その勢力が衰えなかったのである。

何事も、うまく取り入れて、新しいものを創るというものではなく、神道の場合は、単なる堕落である。

更に、マジシャンの安倍清明などが、安倍神社などを作るというのは、実にゆゆしきことである。

それに、影響を受けた、吉川神道、垂加神道も、批判の対象にならない。

その第一に上げられる、神道の言葉である、大和言葉に対する、理解がまったく無い。神の名も、道教に準じて付けられている。

そこで、江戸時代の、国学というものが、現れる。
それを復古神道という。

荷田春満、かだのあずままろ、加茂真淵、かものまぶち、本居宣長、平田篤胤の、国学四大人の説が、その本流になるのである。

真淵と、宣長の出会いがいい。
真淵は、万葉集を明らかにすることが最終の目的ではなく、万葉集により、古語を知り、それによって、古典を研究し、古義を明らかにする。そして、古道を鮮明にするという研究を宣長に伝える。

宣長は、古事記伝を完成させた。

更に、宣長没後、それを受け継ぎ、古道思想を発展させたのが、平田篤胤である。

篤胤は、特殊能力があった。

出羽の国秋田から、冬一月に江戸に向かう途中で、遭難しかかった際に、謎の異人に助けられて、その際に、霊法を伝えられたといわれる。
自ら天下を知る神である、久得延毘神、くえびこかみ、のことを伝えられたといわれる。

江戸では、人が変わったかのように古今東西のあらゆる本を読み解き、それを記憶し、著述を続けたという。

更に、宣長の著作に接して、感激し、その門に入った。
宣長の古道を盛んに唱導したという。

更に、神祇伯白川家、吉田家からも、その配下の神職に古道を伝えることを頼まれるようになる。
当時の神社は、白川家か、吉田家に属していたゆえ、全国の神社は、篤胤の復古神道をもって、統一されたという。

更に、彼は、霊能真柱、という死後の世界についての著述をする。
心霊学である。

ところが、そこからが悪い。
中国の医術は、日本の、大己貴神、おおなむちのかみ、少彦名神、すくなひこのかみ、が創始して、それが日本に逆輸入された。
易を創った、フッキも、日本の大国主神である。
インドの帝釈天は、日本の皇産霊神である。
すべての起源が日本にあるとして、日本が世界で一番尊い国である。

上記、これでは、行き過ぎである。

これでは、現代の韓国人と同じである。

それにインドの神は、魔界のものであり、帝釈天が、皇産霊神とは、蒙昧も甚だしい。

だから、遭難した時に、出会った、謎の異人というのが、問題である。
その異人の良し悪しを判断できなかったのである。

幽冥界についても研究し、神界と現界の関連、霊魂、神仙に存在に関しても、多くを書いた。だが、確実に妄想である。
あるいは、一部の霊界からの、一つの情報である。

ここで、一つだけ、真っ当なことは、大和言葉によって、古事記を解釈するという、宣長の研究である。

更に、復古神道とは・・・
言葉がおかしい。過ちである。

古神道の復活という意味か・・・
それでは、道教、儒教、仏教の手垢にまみれている。


posted by 天山 at 23:59| 神仏は妄想である。第8弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月23日

平成24年ネグロス島へ8

三日目の朝、早く目覚める。
六時前である。
もっとも、日本時間では、七時であるから、遅い目覚めである。

早速、市場のコーヒー屋に向かう。
今度は、ブラックにする。
それに、砂糖を少し。
ネグロス島は、サトウキビの産地であるから、精製前の砂糖がある。

それが、また、いい。
ミルクを入れると、台無しになる。
砂糖でいいのだ。

その日は、朝10時に車が来て、活動開始である。
いや、もう、開始している。

コーヒーを飲んで、ホテル前の公園に行く。
いたいた・・・
ストリートチルドレン、五名である。

近づくと、一人の女の子が、私に手を出す。
オッケー・・・と、言って、口に手をやると、頷く。
そこで、皆を連れて、屋台のチキン揚げ、ご飯を売る店に連れて行く。

私の後ろを、ポンポンと跳ねるように、着いて来る。
皆、四、五歳から八歳程度・・・
もっと、年が上かもしれない。
栄養不足で、小さいのだ。

五人分の食べ物を買って渡した。
はじめて、口を開いた子供たち。
サンキューと言う。でも、それ以上は、解らない。
ただ、パパ、ママは、通じる。
ノー、パパ、ママと、よく尋ねている。

その日だけでも、三組のストリートチルドレンに食べ物を渡すことが出来た。

簡単に言う。
これは、偽善的行為である。
一度ならば、誰でもする。継続してしなければならないのだ。
しかし、私の立場で、出来ることをする。だが、それでも、偽善的行為であると、得心している。

彼らに、毎日、食べ物を与え続ける行為が、偽善を超える。
そんなことは、百も承知、二百も合点、なのである。

私は、彼らに、後でパンツやシャツのプレゼントをすると言う。
この場所でだよ・・・
イッ・ヒアー・・・オッケー
その身振りで、何とか、意思が通じる。

それが、後で大変なことになるのだが・・・・

今日は、特別な日である。
ネグロス島戦没者の追悼慰霊のみならず、フィリピン戦線で亡くなられた、英霊の追悼慰霊である。
いつもより、心が昂ぶる。

一度ホテルに戻り、再度、朝食のために、市場に出掛けて、いよいよ10時である。
車は、早めにホテルに来ていた。

荷物をすべて積み込み、まず、ロザリオ通りから、メモリアル通りに入り、慰霊碑に向かう。

ホテルからは、15分程度の場所である。

もうすでに、日が高く、暑い。
気温は、30度程度であるから、日本の真夏である。

慰霊碑の周囲は、いつも、整然として、清掃されている。
あの、おじさんである。
まだ、姿は、見えないが・・・

早速、私は、慰霊の儀を執り行った。

まず、本日は、国旗を掲げて、君が代を斉唱する。
それは、すでに決めていた。
いつも、その時に、決めるが、本日の行為は、決めていたのだ。

フィリピン戦線で散華した英霊に対し奉り・・・君が代斉唱である。
一切の祈りの言葉無く、黙祷をする。

その慰霊碑の下には、ネグロス島山中で散った日本兵の遺骨が納められている。

黙祷を終えて、慰霊碑の後ろに回り、国旗、日の丸で、清め祓いをする。
その時、ふっと、慰霊碑の円周の内側にある、石に気づいた。

これは・・・
遺骨発見の場所の石ではないか・・・

更に、清め祓いをする。

そして、一通り終わると、あの、清掃をしてくれている、おじさんが、現れた。
私は、日本語で、お元気でしたかと、話し掛けた。
更に、日本語で、いつもありがとうございますと、続けた。

少しばかりの、お礼を渡すと、その息子だろうか、サンキューと丁寧に挨拶する。
おじさんと、写真を撮る。

慰霊碑の横に小さな公園がある。
それも、おじさんが、整理している。

彼は、きっと日本兵の良い面を見たのか、知っているのだろう。
当時は、フィリピン人も、日本に対する感情が悪い人と、良い人がいたのである。

私は、また慰霊に来ると信じて、最後に慰霊碑に、深く頭を下げて、車に乗り込んだ。今回の、最大のテーマが終わった。

ネグロスの
山中にあり
散華する
日本の武士は
今 ここにあり

posted by 天山 at 23:36| 平成25年ネグロス島へ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月24日

平成24年ネグロス島へ9

今回伺った唯一の施設は、幼児から幼稚園児くらいまでの子供たちがいる施設である。

ところが、着いて門を開けて貰うと、何と、大半が学校に行っているという。
ただ、すぐに私に飛び着いて来た、男の子がいた。
三歳くらいの子である。

覚えていたのか、どうなのか・・・
兎に角、抱き着いて来たので、驚いたし、嬉しかった。

結局、院長のシスターも他の施設に出掛けていて、会うことが出来ず、それではと、赤ん坊、幼児物の支援物資を広げて、職員の人たちに確認して貰い、差し上げた。

ここで、あまり書きたくないことだが、エジアさんから、忠告を受けていた。
前回、話さなかったが、私たちが子供たちに支援をしている間に、職員たちが、自分たちの子どものために、支援物資を盗っていたということだった。

勿論、私は必要なら、差し上げても何の問題も無い。

だが、エジアさんは、正義感が強く、あれは、施設の子供たちに上げるものだから、それを盗るのは、いけないことだと、言い張った。
その通りである。
だから、今回は、注意して欲しいと言われていた。

しかし、私は、気にしなかった。
誰にでも渡れば、それでいい。
更に、持って行く職員も、子供が大きくなれば、他の人に上げるだろうと、思えた。
貧しい人たちは、皆々、助け合うからである。
更に、分配するという、気持ちを持っている。

職員も、大枚な給与を得ているのではないことは、見れば解る。

その施設には、丁度、バコロドに送った、ダンボール一つ分ほど差し上げた。
だから、後は、ストリートチルドレンと、パナイ島のイロイロにて、渡すことが出来る。

さようなら、と、何度も言いつつ、施設を後にした。
あっという間の、時間である。
そこから、ホテルに戻る。
そして、カテドラルの公園にある、フィリピンの無名戦死の碑に黙祷することにした。

丁度、昼前の時間である。
公園には、人が多くいた。
その中を、日の丸を掲げて、無名戦死の碑に深く黙祷を捧げて、終わった。

私は、また後で、公園でストリートチルドレンと会うことに決めた。

ホテルに着いて、1500ペソ、3000円を運転手に差し出した。
とても、割のいい仕事である。
会社を通さないので、売り上げは、すべて彼のものである。

また、次の時も同じように、頼むことにして別れた。
運転手は、40代後半のおじさんであるが、実に協力的な人だ。

私たちは、汗だくになりつつ、部屋に戻り、シャワーを浴びて、今回の活動のテーマを終えたことに、安堵した。

だが、私には、それからが、問題だった。
とても、変な気分を感じることになる。

コータの知るマッサージ屋を教えて貰い、それぞれ別々の行動をした。
すぐに、マッサージをする気がなくて、市場の付近を歩いていた。
どうも、おかしいのである。

とても、空しく、切なく、辛いのである。
どうしたのか・・・

その時、ふっと、知り合いが亡くなったのか・・・と、感じたが・・・
その後、その前日に、叔母が亡くなったことを、実家に電話して解る。
今回は、最初の日に電話しただけである。いつもは、毎日電話していたが・・・

そのことは、イロイロに着いてから知ったので、三日後のことだった。

昼ごはんを市場の外側にある食堂でして、一度、部屋に戻る。

そして、再び、マッサージの店に行くために、出た。
公園を通る。

昨日の子供の二人に会った。
ごはんは、食べたのか・・・
何も要求しない。
そこで、私は、二人の女の子に、アイスクリームを買って上げた。
とても、喜ぶ。

また、後でね・・・
そうして、マッサージ屋に向かった。
一時間のマッサージが、200ペソ、400円である。
強いマッサージということで、ボーイを指名すると、おじさんがやって来た。
ベテランという感じである。
ああ、これは、いいと思い、マッサージを始めると、巧い。

久々のマッサージだった。
日本のマッサージは高いので、行かなくなった。
タイに行けば、フィリピンに行けば・・・と思うと、気が進まなくなる。

矢張り、時々のマッサージは必要だ。
特に、足は、酷いのである。
痛みが出る。
つまり、使い過ぎなのである。
それは、飛行機に乗ることと、支援物資を持つことである。

日本では、決して運動らしいことはしないが・・・

さて、私は、もう一泊、バコロドに泊まる予定だったが、翌日、パナイ島のイロイロに移動することにした。
つまり、イロイロに宿泊するのを、一日増やしたということである。
それは、初めて行く場所であり、状況がつかめないからでもある。

そして、それは、良い決断だった。
早速、ホテルフロントにて、イロイロ行きの、船便を教えてもらい、その時間も決めた。
午前中に、イロイロに到着する予定である。

だが・・・
翌日の朝に、公園にて、ストリートチルドレンに衣類を渡すことになる。


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2012年11月25日

平成24年ネグロス島へ10

一日早くパナイ島、イロイロに向かうことにした朝、私たちは、その前に公園で、ストリートチルドレンに、衣類を上げようと、ホテルを出た。

今回は、これで最後である。

数名の男の子が遊ぶ、芝生の一角に行き、声を掛けた。
ユー・パパ、ママ・ノー
あるいは、ノー・パパ・ママである。
英語が出来なくても、何となく解るのである。

一人の子が、ノーと言った。
そこで、バックを開けて、その子に合う服を取り出した。
プレゼント・・・日本からだよ・・・

と、いつの間にか、大勢の子供たちである。

私は、何度も、ノー、パパ、ママと、問い掛けた。
ストリートチルドレンだけに上げるということを、強調した。

しかし、誰がそうなのか、それでないのか、解らない状態になり・・・

更に、男の子が、私の肩に乗ってくるという。
親しみの表現か・・・

肩車をしてあげると、喜ぶ。そして、また、多くの子供たちが、また、お姉さん、おばさんが、やって来た。
赤ん坊がいる・・・

おばあさんまで、来た。
公園の一角が、大変に状態になった。

兎に角、渡せるだけ、渡す。
そして、もう限界だと思い、私は皆に
明日、ここに来るから・・・もう一度、来るから・・・
と、嘘を言った。

そうでも言わないと、収まらない状態なのである。

と、その時、目の不自由な、あの子が現れた。
騒ぎを聞きつけたのだろう。
以前、食べ物と飲み物を買って上げた、男の子である。

目が見えないのに、私の方を向いて、笑うのである。
すぐに、彼に合う、長袖の服を取り出して、差し出す。
誰も、それを奪おうとしなかった。

そして、私たちは、素早く、その場を離れた。
もし、もう少し、人が少なければ・・・
あの、目の不自由な子に、食べ物、飲み物を買って上げたかった。

フェリーの時間は、10:30である。
乗り場まで、タクシーで10分もかからない。

急ぎ、シャワーを浴びて、出る準備をする。
朝の食事は、市場で食べていたので、後は兎に角、時間までに、乗り場に行けばいい。

次回も、このホテルに泊まることにした。
何せ、ストリートチルドレンと会うのが、簡単であるから。

パナイ島のイロイロでは、四泊の予定になった。
そこから、マニラ行きの国内線を取っていた。

フェリーは、二つの会社があり、隣同士である。
その手前の会社のチケットを買う。
だが、30分待っても、出る様子が無い。

と、コーターが、あっちの方が早いということで、払い戻して貰い、移る。
こういう適当さが・・・何ともいえないのが、東南アジアである。

一時間と少しで、イロイロに到着。
迎えてくれた人たちは、皆々、タクシー勧誘の人たち。
それが、また、喧しい。
つまり、タクシーの運賃に上乗せして、料金を吹っかけるのである。

そこで、私の大声が響く。
メータータクシー・・・・
更に、手を打ち鳴らした。
何の意味も無いが、皆々、シーンとする。

それで、メータータクシーに乗る。
そして、ホテルへ。

前日、電話をしたホテルは、予約しなくてもいいですよ・・・だって・・・
つまり、客がいない。
タクシー運転手が言う。
あの、ホテル汚いよ・・・別のホテル紹介しようか・・・
いや、いい。そこに泊まる、と、私が大声で言う。

古いホテルであるから、大きいのである。
確かに、建物は汚いが・・・
それなりにやっている、ホテルである。
料金も安い。650ペソ。1300円で、二人。

ボーイさんが、部屋に案内するが、窓が無いので、取り替えてもらう。
同じタイプの部屋である。

そのボーイさんと、話す。
兎に角、話し掛けるのである。
セブ島から、働きに来ていると言う。
えっ・・・
普通なら、逆でしょう。セブの方が都会なのに・・・

だが、イロイロは、セブやバコロドと比べると、物価が二割程度、安いのである。暮らしやすい町。
観光する場所は、古い二つの教会と、博物館である。
私は、一つの教会に出掛けただけ。
観光はしない。
それより楽しいのは、市場とスラムに行くことである。

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2012年11月26日

平成24年ネグロス島へ11

パナイ島は、ビサヤ諸島の最西端に位置する島である。
4州から構成されている。
その中でも、経済、産業の中心が、イロイロである。

産業は、サトウキビ、米作、養殖漁業である。
現在は、近代化に向かって進む。

また、戦禍を受けなかったゆえに、スペイン統治時代の建物が、そのままに残る。

島のお祭りとして有名なのが、アクラン州にある、カリポという町で開催される、アティアティハン祭である。
13世紀の初頭、この地にやって来た、ボルネオのダトゥ族と、アクランの先住民族、アティ族との間に、親密な友好関係が築かれた。
その際に、アティ族が、喜びを示すために、ダトゥ族の容姿を真似て、顔を黒く塗ったのが、始まりである。
毎年、一月に開催されている。

さて、イロイロは州都になる。

私が見たところ、それほどの近代化というイメージはなかった。
町の半分がスラム・・・そんなイメージである。

建物では、矢張り、教会である。
ハロと、モロ教会がある。
私は、モロ教会の近くのホテルに二泊したので、モロ教会には出掛けた。
更に、一人しかいないという、司祭のアントニオ神父に出会う事が出来た。

さて、最初に泊まったホテルである。
日本のビジネスホテルのようである。

水の出が悪く、不便を感じた。
ただ、シャワーは温シャワーで、エアコンもある。
値段通りである。

ただ、一階にある、レストランの食べ物が、意外に、美味しかったのである。

外で食事をして、少し食中り気味になった時に、そのレストランで食事をした。

バコロドより、食事も、現地の行く人の場所なら、二割程度安い。
だから、二人で食べても、100ペソ前後で、200円である。

私が、食中りしたのは、生焼きのピザだった。
少し、何か食べたいと、一切れ買ったのが、原因である。

寝る事が出来れば、上等と思っているので、ホテルの部屋に不足は無い。
ガードマンも、ボーイの数も多く、深夜も、見張りがつく。
私は、相変わらず、部屋の戸を少し開けて、タバコを吸っていた。

何度も書くが、決して真似をしないで欲しい。
最も、危険な行為である。
特に、夜から、深夜にかけては。

フィリピンでも、禁煙対策が進み、公の場所では、禁煙が多くなった。
ホテルの部屋も、禁煙というところも多い。

人の集う所が、禁煙になるのである。
フェリー乗り場も、禁煙だったから、驚いた。

外に出るしかない。
タバコ嫌いな人には、いい。
だが、フィリピンでも、タバコを吸う人が多いのである。
それに、救われた。

イロイロでは、何をするのか。
実は、パラオに出掛けた時に、イロイロから出稼ぎに来ていた、母と娘に会った。
娘が、泊まったホテルのフロントにいたのである。

二人と話しが合い、私が何をしているかを知ると、是非、イロイロにも来て欲しいといわれた。イロイロにも、貧しい人が沢山いるからと。

それを覚えていた。
もしや、彼女たちに会えるかもしりないと思った。
彼女たちは、パラオでの給料が安いので、もう少ししたら、イロイロに戻ると言っていたからである。
だが、会うことが出来なかった。

しかし、多くの出会いがあった。

町の人たちは、親切である。
ただし、観光客を歓迎するという雰囲気ではなく、よそ者として扱わないということだ。

料金も、地元の人たちと同じで、コータも驚いていた。
同じ物を、バコロドで買うと、もう少し高いが、ここは、それより二割安いし、ボラないと言う。

食堂で、食事をして、ホテルに戻り、私が疲れてベッドに横になっている間に、コータが散歩をして色々と、町の様子を見て来た。

スーパーがあるというので、早速、水を買うために出掛ける。
この水を買うというのが、旅の一番の大切なことだ。
兎に角、飲み水である。

ホテルから、5分ほど歩くとスーパーがある。
私の大好きなスーパーである。
そこで、物の値段を知る。
街中で、水を買うと、少し高いのである。
更に、大きなボトルはスーパーでなければ無い。

二日分の水を買って、適当なパンやお菓子を買う。
今回は、日本のヤクルトを買った。
タイでは、地元のヨーグルトを買うが、イロイロのヨーグルトが高いのである。
ヤクルトは、山積みして売っていた。
日本では、買わないものである。
そして、酒を飲まない代わりに、コーラーを買ってみる。
コーラーは、糖分もあり、暑い国では、飲み物として、私には、いいのである。

後は、夜の食事をして、寝るだけ。
もう、何もしない。
矢張り、旅は疲れるのである。


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2012年11月27日

平成24年ネグロス島へ12

知らない国の、知らない場所の現地の食堂で、物を食べるということは、怖いことか・・・
そんなことは無い。
私は、自分の感覚を信じている。

食中り・・・食中毒・・・
確かに、そういうことはある。
だが、少し食べて、それを感じれば、止める。

今まで、海外を旅して、食中りしたことは、数多くあるが・・・
それでも、それは、たまたまのことだと、思っている。
日本にいても、当る時は、当るのである。

ということで、現地の食堂に、通う。

フィリピンは、島国である。つまり、周囲が海。
魚が豊富だ。魚料理も多い。
魚好きな私は、それらの多くを食べた。

ただ、貝、蟹などは、食べない。
当る確立が高いのである。

だが、インドネシアの、ビアク島で当ったのは、バナナの揚げ物だった。
12時間、下痢を続けた。
その前日の、芋の揚げ物はなんでもなかったのである。
不思議だ。

しかし、それを恐れては、何も口に出来ない。

パナイ島、イロイロの料理も豊富である。
ただ、米が良くない。
実に、不味い。バコロドより、不味い。
それは、パナイ島で採れた米である。

食欲が失せるほど、不味い米である。
全く粘りが無くて、パサパサしている。
糒を戻したような米である。

矢張り、日本の米は、世界一であると、思う。
それを食べている、日本人には、当たり前の感覚。

まあ、所違えば、何もかも違う。

夜の食事も、食堂に出掛けた。
美味しいと、思う。
私は、必ず魚料理を注文した。
コータは、一切、魚料理を食べない。
一度、それで死ぬ思いをしたからだと、言う。

前回、コータは、バコロドの市場で、パイナップルを買ってきて食べ、当った。
私も食べようとしたが、コータがすべて捨てた。
つまり、市場の中で切ったものは、菌がついていて、当るという。
だが、同じものを食べても、私は当らない事が多い。

まあ、人それぞれである。

初めてのパナイ島での、夜の食事である。
矢張り、二人で、100ペソ前後、200円程度である。

ホテルに戻り、シャワーを浴びて、タバコをふかし、寝る用意をする。
コータも、どこにも出掛けなかった。

日本を出て、四泊目である。
そろそろ、疲れる時。

水を飲んだり、コーラーを飲んだりして、寝ることにする。
エアコンを弱くする。
南の島は、湿度が高いが、矢張り、乾燥するのだ。
朝目覚めて、喉が、少しおかしくなる。

私は、現地時間の五時頃に、目覚める。
そして、一階のレストランで、コーヒーを注文して、外で飲む。
ホテルのレストランは、24時間制である。

田舎のホテルにしては、特別である。
このホテルの客は、大半がフィリピン人である。
そして大半が、仕事のために使用しているようだ。

後で知るが、日本の企業が多くある。
だが、日本人には会う事がなかった。
最も、日本人は、もっと高い料金のホテルに泊まるのだろうが。

このホテルには、二泊することになる。

翌日、コータが散歩に出掛けて、支援する場所を探した。
そして、再度、私を連れて、下見に行く。

その場所は、海に面した地区である。
市場の近くで、それはそれは、大きなスラムである。

兎に角、トタン屋根のバラックのような家が続く。
海に出た。
子供たちが泳いでいる。
それを少し年上の女の子が見ていた。
声を掛けた。

英語が出来るか・・・
すると、一人の女の子が、出来ると言う。

そこで、私は、後で、日本からのプレゼントを持ってくると、言った。
すると、女の子は、本当に・・・
本当だよ・・・
いつ頃、来るの・・・
もうすぐだよ・・・

ここまで、待っていてくれる・・・
オッケー、待っている・・・

それで、決まりである。
バイクタクシーをつかまえて、ホテルに戻り、更に、運転手に、もう一度、同じ場所に行き、これこれをするので、待っていて、またホテルに戻ると、頼む。

150ペソと言う運転手に、私は、120ペソでと言うと、了解した。
兎に角、値切ってみることである。

早速、部屋に戻り、すべての支援物資を持って、バイクタクシーに乗った。


posted by 天山 at 05:00| 平成25年ネグロス島へ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月28日

平成24年ネグロス島へ13

日の丸を掲げて、バイクタクシーに乗る。
市場に近くなり、一つの細い道を示す。
ようやく、バイクが通れる道だ。

そこを抜けて、海に出る。
子供たちが待っていた。

すると、私たちを歓迎するように、男の子五人が、飛び込みを見せてくれる。
私は、拍手をして、歓声を上げた。

少し大きな女の子が、私が渡す日の丸を掲げてくれた。
そして、何と、それを振るではないか。

男の子たちが、傍に来たので、バックを開けて、それぞれに合う衣服を取り出すと、歓声が上がる。
日本からの、プレゼントだ・・・

その騒ぎに、人が続々と出て来た。

ボーイ、ボーイ
ガール、ガール
次々と、取り出すと、それを受け取る子供たち。

お祭りのようになってきた。
その周辺は、スラムである。
私は、先に進んだ。
でも、皆、着いて来る。

ボーイ、ガール
すると、赤ん坊を抱いた若い女も出て来て、ベイビーと言うので、幼児物を探して、渡す。
それが、30分ほど続いた。

バイクタクシーの運転手は、動けないので、入って来た場所にいるとのこと。

どうして、そこに入っていたのか・・・
冬物の帽子が、幾つかあった。
すると、驚いた。
皆、それを欲しがるのである。

それを貰った子は、すぐにかぶった。
すると、それを見て、おじいさんが出て来た。
私にも、帽子を・・・

だが、子供用しかない。
つまり、帽子は、日焼け止めに必要なのだ。

おばさんたちも、出て来て、帽子が欲しいと言うのである。

延々と、着いて来た、男の子たちの一人は、白いパンツの中に、大量の衣類を入れていた。
そんなに一人で、取ったの・・・
しかし、後で、彼は、スラムの子供たちに上げていたという。

貰うのが、楽しいのだ。

少しばかり、先を進んだが、もう一度、元に戻る。
そこで、残ったものを、すべて取り出す。

何一つも残らず、渡すことが出来た。

最後になった。
皆々、揃って、私たちを見送るのである。

バイクタクシーに乗り込んでも、子供たちが並んでいるので、もう一度、降りて、私は、一人一人と、手を握った。

一人の男の子に、好きだよ、また来るから、と言うと、彼も、僕も好きだよ、待っているという。
学校に通っているから、英語が出来る。
そして、バイクが動くと、子供たちも、動いた。
追いかけて来る。

ウイリーと言った、男の子は、バイクタクシーの後に乗り、私に、アイ・ラブ・ユーと、言う。

ネクスト・タイム・・・また、会おう・・・

日の丸の旗を振っていた女の子は、何度も、サンキューを繰り返した。
彼女には、ガールセットを上げたのである。
その小さなバックには、女の子が好きな、様々な、髪飾りが入っていた。

差し上げている際に、おばさんが、何度も子供たちに注意していた。
ほら、この人は、汗だくだよ・・・
もう、いい加減にしなさい・・・
そんなことを言っていたように思う。

スラムから抜ける時に、大人たちも、私たちに笑顔で、さようならと言う。

兎に角、終わった。
バイクタクシーは、スピードを上げて、ホテルに向かう。

ホテルに着くと、本当に汗だくで、メガネも濡れていた。

私は、運転者に、150ペソを上げた。
約束通りである。
値切ったが、待ち続けてくれたお礼である。

運転手が、ホテルのガードマンに何かを言う。
ガードマンが、私たちに、ありがとうと、言った。

部屋に戻り、早速、シャワーを浴びる。
この手渡しは、非常に疲れる。
着物も汗で、濡れている。

良い写真も撮れたようで、安堵する。
支援をしてくれた人たちに、公開して、その人たちが下さったものが、確かに、手から手へと、渡されていることを、お知らせする。

いつも、次の約束をするので、それを守りたいと思う。
初めての場所での、初めての支援は、大成功である。


posted by 天山 at 06:54| 平成25年ネグロス島へ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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