2012年11月01日

平成24年ネグロス島へ2

首都のマニラには、古くから多くの親日家がいることは耳にしていたものの、このネグロス島の田舎町にさえ、親日家のいることに改めて驚異の念を抱いたのであった。・・・

案内役の青年は、好意をもってあらゆる角度から、フィリピンと日本、そして今後のアメリカとの将来のかかわりについて熱心に語った。・・・

「われわれのフィリピンは、三百年にわたる長い年月、スペインの植民地だった。続いてアメリカが百年近くもこの国を支配してきた。そして今、あなたの国、日本が占領している。初めて来たスペインの人々は、私たちの先祖に、キリスト教を、偉大な精神文明を与えてくれた。次に現れたアメリカ人は、これまた素晴らしい精神文化と物質文明を与えてくれた。
さて問題は、これからである。「日本人は世界で最高の優秀な人種である」こう、日本の為政者は、日本の軍人は、われわれに高言してはばかることをしらない。しかし、この国に侵入して来た日本人はわれわれに、フィリピンの国民に、一体何をこれから与えようとするのですか。
日本軍が、フィリピンのネグロス島に来て、アメリカを、われわれと日本の共同の敵であるといって攻めて来た。自分たちは静かで平和な祈りの日々を、昨日まで過ごしてきた。そこへ突然に日本軍が現れた。
私はあなたに対して何の恨みもない。あなたは私が最も信頼する日本の友人の一人である。けれども、今日までの日本軍の行動について、私は許すことができない。
日本が東洋の盟主であると自負するのであれば、われわれフィリピン国民の一人ひとりが納得のできる方法を、手段をとるべきである。きっとできるはずだと思う」
ネグロス島戦記 池 平八

その青年に対して、一家の主人が、なだめるような優しいまなざしで、言う。
「そのような話はよせ。私たちの心の内は、この方には十分にわかって戴いているはずである。大切な日本の友人に対して失礼ではないか。今は混乱の中にいる。遠い日本からはるばるこのシライの町まで来てくれている日本の方に、こうして会えることだけで十分ではないか。それだけでも私たちは幸せではないのか」

シライの町とは、バコロドの隣町であり、そのシライに日本軍のネグロス島本部があり、そこから、日本軍が壮絶な戦いをする、マンダラガン山は、すぐ目の前である。

ネグロスにおける戦闘は、フィリピン第三の激戦地として知られる。
マニラのルソン島、レイテ島に次ぐ。

軍属の総数は、14000名であり、生き残った者は、600名程度である。

一部在留邦人の非戦闘員の痛ましい死もある。

更に、遺骨が内地の遺族に戻ったのは、僅かに、数十柱であり、その他の遺骨は、マンダラガン山中の、樹海の底に放置されたままだった。

生き残り、捕虜となった兵士が、帰国する際に、多くの戦友の遺骨を見捨てることに対して、慙愧の念を強く抱き、涙して帰国したと言う。

戦闘は、ネグロスの名峰の三山、シライ、マンダラガン、クワンラオンの山中である。

三山の中央に悠然と位置する名山。そのマンダラガンの山頂に、今、私は立っている。平和はまだまだ遠いというのに、自分の足で山頂を踏みしめている。悲しい現実の中で、やっと思いはかなえられた。それにしても、この日まで、なんとも長い月日であった。
池 平八

副官をはじめ、ネグロスの守備隊の第百二師団の将と兵は、死を賭してこのマンダラガンの頂上を目指した。しかし、そこにあったものは戦死と戦病死と餓死であった。死をかけてまでも、なぜ、マンダラガンに登らなければならなかったのであろか。己の行く手に死が待っているというのに、人々は先を争うようにしてこの山に向かったのであった。
だれがこの決死の競技を企てたのであろうか。なんと無謀なことをしたものだ。何万もの戦友が落伍し、挫折して最期を遂げたというのに・・・

私が、仙人峡の深い密林の独房にただ一人取り残され、歌い続けたある歌は、多くの戦死者への、餓死者への、鎮魂の挽歌であったのか。

遥か西に向かって、ゆるやかな裾野の先にシライの町がある。海岸には南の国の黒潮が寄せているというのに、山の頂上は寒風が吹き荒れ、冷たい霧雨がほおを流れ落ちる。
ああ、一時も忘れ得ぬ思い出多き日本。故郷の山河、故郷の人の心の温かさが足元の大地の底から伝わってくるようだった。
池 平八

引用は、これで止める。

先の、案内役の青年の言葉に関して、私は、別の感慨を持つ。
三百年のスペインの植民地時代によって、フィリピンは、バラバラに分断され、伝統を破壊され、すべてをキリスト教によって、まとめられた。

偉大な、精神文明・・・
嘘である。

そして、アメリカがもたらしたもの・・・
軽薄な、精神文化である。
フィリピンの島々にある、伝統の方が、実に深く、実りあるものだった。

スペインも、アメリカも、フィリピンのすべてを、奪ったのである。

残していったものは、争いの種である。
特に、根強いものは、宗教対立である。

元からの、イスラム教徒を、カトリックは、平然として、虐殺した。
それが、ミンダナオ島の、反政府組織となった。

今年、はじめて、その反政府組織と、政府の間で、和平の調停が整った。そこに、日本が最初から、アドバイザーとして存在していた。
日本の仲介を求めたのは、反政府側である。

仲介に、宗教の国々では、話にならないと、宗教色の無い、日本を選んだのだ。

さて、今回、私は、ネグロス島だけに留まらず、フィリピン戦線にて散華した、すべての日本兵の追悼慰霊を、ネグロスにて行おうと決めて、出掛けた。

それは、今までの、追悼慰霊六年間の、締めくくりでもあるという、意識だ。
更に、これからも、死ぬまで続けて行く覚悟であり、七年目からは、また再度、慰霊地を訪ねて、追悼慰霊の儀を執り行いたいという、決意である。

準じて、尋ねる国と地域の人たちに、衣類支援と、孤児たちには、食糧支援をするという、決意である。

これを、人生最期の希望として、生きる。
更に、忘れた兵士たちの思いを、人々に伝えることである。
歴史は、我が心の内にある。


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2012年11月02日

平成24年ネグロス島へ3

日本から飛び立ち、その日のうちに、ネグロス島のバコロドに着く予定である。
凄いことだ。

朝、部屋を六時に出て、バコロドには、現地時間の夜、七時前に着いたのである。
時差は、一時間。日本の方が、一時間早い。

一時間の時差は、体に与える影響が少ないのが、助かる。

台北で、乗り換えするが、一時間飛行機が遅れた。
それを考慮して、マニラの国内線では、三時間の余裕を取った。
であるから、ギリギリの国内線の搭乗手続きである。

マニラの国内線は、国際線乗り場から、バスで移動する。
それが、端から端まで、30分程度かかるほど。

兎に角、横浜から、夜にはバコロドである。
そのバコロドは、10月がお祭りである。
次第に盛り上がる頃に、何と、お祭り広場に近いホテルを予約した。

つまり、カテドラルの前の公園が、メイン会場であるから、カテドラルに近く、公園に近いという、便利さ。
何故、便利か。
そこに、ストリートチルドレンが集うからである。

カテドラルとは、カトリック教会のことで、司教がいる場合に、カテドラルと呼び、司祭、神父の場合は、チャーチになる。

大司教なら、枢機卿に当る。
だが、アジアから、大司教が消えた。
この、ローマ法王になってから、アジア人の大司教を解任したのである。

つまり、白人のみが、大司教になれるのである。
まあ、そんなことは、どうでもいいが。

いつも、泊まっていたホテルは、このお祭りの稼ぎ時なのに、改装工事をしていたので、止む無く、新しいホテルにした。

私は、古いホテルが好きである。
つまり、部屋が広くて、料金が安い。
ただ、幽霊ホテルのような感じはあるにはあるが・・・

見慣れたバコロドの町である。
土曜日の夜である。
いきなり、お祭りの大音響が聞えてきた。

ホテルに着いて、すぐに、バコロドのお世話役の、エジアさんに電話する。
ところが、知らない人が出て、話しが通じないと、コータが言う。

エジアさんの家は、部屋貸しをしているので、その人が出ることがあり、話しが通じないこともあると、知る。

シャワーを浴びて、夜の食事を取るために出ようと思うが・・・
勿論、現地の人たちが行く、食堂である。
ところが、疲れで、食欲がない。

日本から出たら、アルコールを飲まない私だが、仕方なく、ホテルでビールを飲んだ。
食欲を出すためである。

そして、結局、コータのみが、食事に出掛けた。
私は、食べたくないのである。
ただ、酔いが回って、暫くすると、何か食べたくなり、日本から持参した、おにぎりを、一つ食べた。

日本からは、何と七つ、おにぎりを持参してきていた。
途中で食べたので、三つ残っていた。
二つ残ることになるが、私は、それを忘れて、翌日から現地の食堂に出て、食べた。気づいた時、おにぎりが、腐っていた。

海外に出かける時は、必ず、おにぎりを作る。
朝の四時頃に起きて、おにぎりを作り、もう一度、体を横にして、五時になったら、準備をする。
慌てるのが嫌なので、時間は鷹揚に取るのである。

今回は、半年も休んでいたので、再び、旅に慣れるために、頑張った。
頑張るというのは、あの旅の感覚を取り戻すということである。

明日は、日曜日である。
本当は、支援の日なのだが・・・
着いた翌日は、一日休むことにしている。
更に、活動した翌日も、休む。

休んでばかりいるのである。
つまり、極力、疲れないようにする。
日本は、秋の風が吹き始めていたが、ここは真夏である。
知らずに、熱中症になるのであるから、兎に角、休む。

外からの、大音響を聞きつつ、寝ることにした。
何せ、ホテルの前にも、屋台が出て、とても賑わっているのである。
人の声も、響いて聞えるほどだ。

マスカラフェスティバル・・・
一年に一度の、大変なお祭りである。

私たちが、隣の島のパナイ島、イロイロに渡る日が、最高潮の日で、何でも、仮面をつけて、体に色を塗り、それが見物で、現地の人も近くのホテルに泊まるほどだという。

更に、フィリピン各地からも、人が集まるのである。

予定は、四泊であるが、私は、お祭りのために来たのではないと、三泊にして、早々に、イロイロに渡った。

だから、三泊の予定のイロイロで、四泊することになる。
後で、じっくり書くが、イロイロは、バコロドと比べて、本当に田舎町である。更に、観光客などを当てにする業者など無く、淡々として、物価も安く、過ごしやすかった。

町に埋没することが出来たのである。

翌日は、休む日のはずだが・・・
私は、何と、翌日の朝から、カテドラルの公園に出て、ストリートチルドレンと会うことになる。


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2012年11月03日

平成24年ネグロス島へ4

翌日は、朝六時前に目覚める。
矢張り、寝ていられないのである。

普段着に着替えて、休んでいると、カテドラルの鐘が、やたらに長い。
ああ、自動でメロディーを奏でるようにしたのだ・・・と、思う。

ある時間ごとに、それが鳴り響く。
バコロドには合っている。

さて、私は、市場にコーヒーを飲みに出た。
絶品のコーヒーである。
説明すると、長くなるので・・・
一杯、10ペソ、20円である。

その贅沢な煎れかたといったらない。
挽いたばかりのコーヒーを延々と、落としている。
それを、カップで掬い出す。

市場の回りは、もう商売を始めている。
マンゴーの切り売りを買った。
隣の花屋の、兄ちゃんが通訳である。
ネグロス島の言葉しか出来ない人も多い。
若者は、英語が出来る。

その切り売りを持って、市場に向かう途中で、二人の幼児に会った。
挨拶した。
近くにいた母親が、挨拶をする。
路上生活をしているのだ。

私は、母親に、ここにいますか?
後で、プレゼントで衣類を持ってきますと、言った。
母親は、少し英語が理解できる様子で、ここにいますと、答えた。
切り売りの、マンゴーは、手を出す女の子に上げた。

さて、コーヒー屋には、以前の顔がいない。
注文するのに、言葉がある。
つい、アメリカンと言ってしまった。
すると、一人のおじさんが、通訳してくれた。

しかし、出て来たのが、牛乳入りである。
違うのに・・・
まあ、仕方が無い。

砂糖を入れて飲む。
ブラック、プレーンだったか・・・
でも、ブラックと言うと、そのままで・・・

その香りと味わいは、絶品である。
そして、その安さ。
コーターが見つけた店であるが、私も一日、何度か通うことになる。

朝は、仕事前の男たちが多い。
更に、コーヒー屋の前に、米で作った腹持ちする、色々な米お菓子のようなものが、売られている。それを買って食べると、朝ごはんである。

私も、時々、ストリートチルドレンに、それらを買って配ることにしている。

タバコをふかして、コーヒーを楽しむ。
男たちは、皆々、タバコを吸うので、安心して、ふかす。
実は、フィリピンでも、禁煙の場所が多くなった。
ホテルの部屋でも、禁煙が多い。

レストラン、公の場所・・・
地元の人たちの食堂も、一部禁煙になっていた。

だが、喫煙場所も多いのが、救いである。

今日は、何もしない日であるが・・・
しないでいられない、気分である。

後で、また来ようと、立ち上がった。
そして、目の前の、米菓子売りの前に立つ。
私たちも、時々買って食べるものである。

すると、一人の男の子が、通る。
そして、行き過ぎて、また、私の元に戻った。
手を出す。
そこで、いつものゼェスチャーである。口に手を当てる。
すると、男の子が、頷く。

私は、彼に、欲しい物を選べとゼェスチャーで言う。
彼は、何と慎み深く、バナナの揚げ物を一つ選んだ。
私は、店の人に、もっと、上げてと言う。
すると、袋に五つ入れた。

一つ、5ペソ、10円である。
男の子は、現地語で、ありがとうと、言う。

その辺りの人たちは、私が何をしているのか、知っている。
皆、とても親切で、自然、私の存在も、その中に、溶け込む。

フィリピンは、小学生から英語を学ぶので、学校へ行っている子なら、英語で話が出来る。だが、学校に行かない子もいる。
ストリートチルドレンである。

だから、英語の出来る子を呼んで、通訳してもらうこと多々あり。

矢張り、私も、米のお菓子を少し買って、そのまま、カテドラル前の公園に向かった。

公園の周囲は、フェスティバルのために、屋台で覆われている。
その合間を通り、公園の中に入る。
至る所に、皆々、寝ている。

ストリートチルドレンだけではない。
ストリートアダルトも多い。

一人の男の子が目覚めていた。
近づくと、手を差し延べる。
物乞いである。
私は、口に手を当てる。
男の子は、頷く。
その時、一人の男の子かぎやってきた。

モーニングと言うと、モーニングと返すので、英語、オッケーかと問うと、頷く。
年は幾つ・・・
12歳・・
彼は、13歳だった。

父母がいるのか・・・
彼は、いない。僕は、母がいる。

私は、六つ入った、白い米のパンを、13歳の子に渡した。
すると、代わりに、その子がサンキューと言う。

だが、どう見ても、13歳に見えない。日本では、七、八歳程度の大きさである。
つまり、栄養が足りないのである。

私は、後で、シャツ、パンツを持ってくるから、と言った。
日本からの、プレゼントだよ・・・
英語の出来る子が、笑顔で頷いた。

そこから立ち去り、少しして、振り向くと、何と、13歳の子が、英語の出来る12歳の子に、一つパンを上げている。自分が食べる前に、差し出している。
仲間なんだ。
彼らは、決して、物を独占しない。
分配して、仲間と連携するのである。
それには、いつも、関心する。

最後は、荷台の上に寝ていた、小さな女の子の横に、米のパンを置いた。
そのまま、一度、ホテルに戻る。
今日から、活動する。

年を取ると、自分の疲れが解らないのである。
それで、いい。どうせ、死ぬ。

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2012年11月04日

平成24年ネグロス島へ5

一度、部屋に戻り、一時間ほど、休む。
食堂の開く時間まで、部屋にいることにした。

市場の食堂が一番早い。
だが、コータは、そこに行かない。
見るからに、衛生的ではないから・・・

私は、平気である。
すべて、火を通してある。
市場の外回りにも、多くの食堂がある。どちらかというと、そちらの方が、衛生的である。

だが、それは、日本の感覚から言うもので、現地の人は、そんなことは考えない。

私としては、ホテルなどの朝食など、食べていられないのである。
食堂は、現地の人に会う、最高の場所である。

二三件の店は、顔馴染みになっている。

コータは、昼近くまで寝ているはずなので、起こさず、一人で市場に再度出掛けた。

市場の真ん中辺りに、食堂が複数ある。
仕事はじめの人たちが、すでに食事をしていた。
その中に入り、私も、おかずを二つ選んで、席に着いた。

おかずは、二つともに、魚である。
島であるから、周囲は海。
多くの魚介類が獲れる。

魚好きの私には、もってこいである。

ごはんは、日本の米とは、比べ物にならないほど、不味い。しかし、それは、それである。

そんな時に、チルドレンが現れると、必ず誘って一緒に食べるが、その日は、いなかった。
75ペソ、150円である。
少し高い。矢張り、魚類は、高い。

それから、市場の中を見て回り、いつも干しイカの売る店にも行ってみる。
親子で、何件も同じ店を並べて出している。

ハローと、呼び掛ける。
いつもの少年を探した。
だが・・・いない。
ボーイ・・・と、店の人に言う。
あの、ボーイは・・・

その兄なのか、頷くと、一人の少年を連れて来た。
えっ・・・
こんなに大きくなったの・・・
少年は、はにかんでいる。
中学生くらいだったが・・・こちらが、思うより、年が上である。

以前なら、品物を色々と見せて、売るのだが・・・
今回は、一切そんなことをしないのである。

私は、後で買いに来ると言って、一度、さようならと、言った。

二年も経つと、少年も成長する。特に、成長期である。

再度、カテドラル前の公園に行く。
だが、ベンチに寝る人が多い。
ストリートアダルトである。

公園は、ゴミで一杯だった。それを朝から、清掃している。
お祭りのゴミである。

すでに、店を開けている所もある。
タバコの一本売り、水、飴などを売る。
そこに、二人の青年が座っていた。

声を掛ける。
英語はいいか・・・
二人共に、英語が出来た。
年を尋ねる。
22歳と、23歳である。

仕事は・・・
無い、でも今は、ゴミの清掃がある・・・
その日を暮らすので一杯なのである。

明日のことなど、考えられないのだ。
今日を、どう食べるか、である。

彼らも、ストリートチルドレンだった可能性がある。
何もしないで、ボーっとしているのに、慣れているのか・・・
二人は、じっとベンチに腰掛けていた。

更に、私に何も要求しない。
二人には、品格を感じた。
卑下することがない。

そのうちに、ゴミ集めのトラックが公園に入って来た。
男たちが、私に何か言う。
現地語であるから、解らないが・・・

凄いだろう・・・見てよ・・・
そんな感じに聞える。

だが、ゴミ集めだけではなく、数名の老人が清掃をはじめていた。
それは、自発的なものだろう。

私は立ち上がり、さようならを言って、カテドラルに向かった。
そこには、また、壮絶な人たちがいる。
玄関横に屯するのは、障害者と高齢者である。
福祉の無い町であるから、カテドラルに参る人たちからの、布施を求めている。

日曜であるから、カテドラルには溢れるほどの人である。
私は、その後から、遠くの祭壇を見た。
ミサがはじまる。
日曜は、何度も、ミサがある。

それ程、町の人は、カトリックなのである。
スペイン統治時代の教会である。
その、330年、そして、アメリカ統治の100年。

カトリックが伝統になったのである。

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2012年11月05日

平成24年ネグロス島へ6

昼近くにコーターが目覚めて、コーヒーを飲みに行くというので、それではと、支援物資のバックを持った。

路上生活をしていた、親子の所に行く。
コーターに、カメラを持たせて、出掛けた。

市場から、一本道が離れている。
そこへ行くと、子供が、五人に増えていた。

一番大きな子が、男の子である。
そして、その弟と、三人が、女の子。
赤ん坊といってもいい子もいる。

さて、支援物資を出した。
子供たちが、オーッと声を上げる。
一人一人に合わせた、シャツ、ズボンを渡す。

周囲から大人たちも、見にやって来た。

そして、私は、一番上の男の子に、食べ物は・・・と、聞いた。
と、言っても、ジェスチャーである。
頷く。

その子を連れて、道端で売る、腹持ちするものを買おうと思った。
一人の、おばあさんが売る、餅のようなもの。
ところが、男の子が、こっちがいいと、指差す。

日本で言えば、ジャンクフードの店であるが・・・
中に連れて入った。
私は、その中のパンを10個買った。
すると、その子は、あれが食べたいと、指差すのである。

それが、セットメニューにある。
ハンバーガーと、パスタ、コーラーが着いている。
それを注文していると、女の子が店のガラスの前に来て見ているので、私は、先ほど買ったパンを渡した。

弾むように、親の元に戻った。
男の子は、持ち帰りにして貰い、それを持って、戻る。

先ほどの、おばあさんに、ごめんなさいと、日本語で言うと、笑顔で、何やら言う。
子供たちのことを、毎日見ていたのだろう。

写真を撮って、私たちは、市場のコーヒー屋に向かった。
コーヒーを飲んだ後で、そのままカテドラルの公園に行くことにした。

ブラック、10ペソ、20円のコーヒーは、本格的コーヒーである。
日本では絶対に飲めない代物。
香り良し、味良し。

タバコをふかしつつ飲む。
最高の気分である。
こんな場所に、まさか、こんなコーヒーの店があるとは・・・

その時間帯に出て来た女の子は、顔見知りである。
片言の英語で話しをする。
美人ではないが、愛敬がある。

ブラックには、お湯が着く。
要するに、お湯を足しても、お湯を飲みつつでもいいのだ。
だが、地元の人たちは、お湯を飲まないし、薄めもしないで、飲む。

男たちは、ばら売りのタバコを買って、ふかしている。

道端で、バリ売りのタバコを売る、おじいさんに、コーターが一月の収入を尋ねた。
500ペソ、1000円だという。
えっ、1000円で一月・・・それで生活しているの・・・

驚いた。

一箱を売っても、5ペソの利益である。
当然といえば、当然である。

さて、コーヒーを飲み終えて、公園に向かった。

渡せる子がいれば、いいが・・・
ストリートチルドレンは、神出鬼没である。
いつ、現れるか、解らない。

昼近くは、姿が見えない。
だが、その日、私は何度も足を運んで、グループになっている子たちに、食べ物を与えた。
それで、すぐに顔見知りになる。

ホテルに戻り、私はコーターに提案した。
ストリートチルドレンを集めて、パーティをしよう。
そこで、皆に、食べ物、飲み物を上げて、色々と話をする。

と、計画はいいが・・・
何せ、今は、お祭りの最中である。
公園の広場では、夕方前から、踊りなどの催し物があり、それは、実現しなかった。

だがら、目に付いた時に誘って、道端で売られる、チキンとご飯を人数分買って、渡した。
兎に角、安いので、大盤振る舞いである。

一人分、25ペソ、50円程度。
日本では、考えられない金額である。

そうして、何もしない日に、すでに活動をはじめていた私である。

その夕方、エジアさんの家に行くことにする。
一箱だけ届いた、支援物資を取り、エジアさんから、明日行くべき、施設の場所などを確認する。

更に、私たちは、その夜、日本食の店に行くことにした。
今までは、決してないことである。
お祭り気分に乗せられたとしか、言いようが無い。

だが、結局、日本食の店に行ったのは、翌日の夜であった。

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2012年11月06日

平成24年ネグロス島へ7

夕方、少し薄暗くなってから、エジアさんのお宅に伺うことにした。
電話連絡も着き、相手も待っている。

自転車タクシー、シクロに乗った。
おじいさんだった。
息を切らせて、自転車をこぐ。
これで、彼は生活をしているのだ。
そして、それがまた、多いのである。

エジアさんの家は、バコロドの中心部で、長屋が延々と続く、端にある。
そこに入ると、その辺の人たちが皆、知りあいになるという、場所である。

家に入ると、エジアさんの他に、ボーイフレンドの、フランシス君、おばさん、親戚の子供たち三人がいた。

お互いに、顔を見合って、歓声を上げる。
一年振りである。

おばさんが、私たちのために、パスタを作ってくれていた。
それをご馳走になる。
そして、デザートのプリンと、果物。

コーラーも私たちのために、用意していた。

必要なものは、近くの小さな店、サリサリデパートという店で買う。
そういう、一間の店が、フィリピンには多い。

エジアさんの英語は、見事で、とても聞きやすい。
だが、答えることが出来ない。
ただ、片言の英語を口にする程度だ。

エジアさんは、朝五時から活動していた。
日曜日は、忙しいのである。
最後に、教会のミサに出たという。
熱心なカトリック信者である。

暫くして、ようやく、明日の行動の計画である。
今回は、平日の支援なので、孤児施設の子どもたちは、学校へ行く。だから、施設に行くならば、夕方以降になる。
すると、追悼慰霊とズレる。

そこで、二つの施設に絞った。
学校へ行く前の子供たち、幼児がいる施設である。
その他の衣類は、主にストリートチルドレンに上げることにした。

エジアさんは、その場で、車をチャーターし、運転手も前回と同じ人にした。

その場で電話して、すべてが決った。
朝、10時にホテルを出て、最初は慰霊すること。

それから、施設に行き、衣類を支援し、ホテルの近くに戻り、カテドラルの前の公園にある、フィリピン無名戦士の碑に慰霊する。

時間は、おおよそ、二時間程度になる。
荷物が多いから、車は、バンである。
それで、2000ペソ。4000円と高い。

だが、翌日、一つの施設行きをやめたので、1500ペソに値引きして貰った。

マザーテレサの修道会が行う施設であり、そこには、多くの支援があると聞いたからだ。

一時間ほど、お邪魔して、ダンボールの支援物資一個を持って、シクロに乗って、ホテルに戻る。

皆、総出で、見送ってくれた。
また、来年会うことになるという、予定である。

現地に、こんな知り合いがいるということが、心強い。
帰国しても、メールと電話でやり取りすることを、確認する。

ホテルに着いて、矢張り、日本食のレストランに行くことを止めた。
もう、腹が一杯である。
それに、疲れた。

外は、お祭りの騒ぎで、煩い。
物を食べると、酒が飲みたくなくなるので、その夜は、酒は飲まなかった。

更に、外にも出たくない。
コーターが夜に出掛けた。
彼は、夜行性なので、問題ない。

私は、シャワーを浴びて、早々にベッドに就く。
と、携帯電話の番号を新しくしたので、日本の辻友子理事に、電話をした。
一年以上使用しないと、以前の番号が無効になるのである。

最初は、コータの電話を使っていたが、私用の電話にも、番号を入れた。
新しい番号は、安いもので、300ペソである。
そして、100ペソ分の通話料を入れる。

こういうことに関しては、実に便利になったものだ。

辻さんは、電話をすると、掛け直してくれるので、助かる。
ただ、私と長話して、一万円ほどもかかると聞いて、驚いた。
日本にいる調子で、話しているのだ。

だから、要点のみを話して、終わるように心掛けた。

ホテルの扉は、閉めても、自動ロックにならず開くので、そのまま寝ることにする。
ただし、海外では、決して、そんな真似はしないで欲しい。
更に、私のように、扉を少し開けたまま寝るとか・・・

ホテルでは、一番危険なことだ。
扉を少し開けるということさえ、フィリピンの人もしない。
とても、とても、危険だから・・・

私の場合は特別である。
死ぬのが、怖くないし、取る物もありまないし・・・
強盗の方が、がっかりするだろう・・・
まあ、そんな問題ではないが・・・


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2012年11月07日

最後の沈黙を破る68

今年、2012年、平成24年は、半年、日本にいた。
つまり、海外に出掛けていない。

何故か。
活動費の金策が尽きたことと、足の調子が、戻らないことである。

金策については、実の弟が、支えてくれることになった。
ありがたい・・・
家族に理解されることが、何より嬉しい。

一年間で、10回、東南アジア、太平洋の国々に出掛けた。

皆、暑い国である。
ところが、六年振りに、日本の夏を過ごすと、暑さの意味が違うのである。

タイ、バンコクも、都市であるから、似ていると思ったが、それも、違う。

非常に不快なのである。
それでは、と、エアコンを点けてみるが、それも、不快なのである。

要するに、日本にいることが、不快なのか・・・と、考えてみた。

確かに、日本にいることは、不快である。
その一つに、新聞がある。
勿論、海外でも、日本の新聞を読むことが出来るが・・・
毎日、配達される新聞を読むのが、苦痛になる。

楽しい気分で、新聞を読むことはない。
そして、テレビも、見ないが、目に入ることが多々ある。

待合室などでは、テレビが点けられてあるからだ・・・
そのテレビを見ると、具合が悪くなる。
芸無しの芸人たちが、何やらやっている。
それが、実に腹立たしいのである。

更に、コマーシャル・・・
具合が悪くなる。

韓国のドラマ・・・
一体、何のために、このような韓国のドラマが流されるのか、全く意味が解らない。
勿論、韓流ドラマが、何故、テレビに流れるのかの、理由は知っている。

ステマ、つまり、ヤラセであるから、それは、納得済みである。

あまりに、お粗末で、頭の悪い者たちが、作るドラマである。

勿論、日本のテレビ全体が、頭の悪い者たちが作るということも、知っている。

テレビの時代は過ぎたということも、である。

唯一、許せるのは、マンガ程度である。

そして、その他に、何が問題なのか・・・
それは、日本人の意識である。

私の廻る国々は、日本を理想として、希望を持って見ている人たちに多く会う。それは、大変ありがたいことだ。
しかし、帰国すると、その日本人に、愕然とする。

どこの国にも、犯罪は、ある。
しかし、日本の犯罪が、このところの、数年で、大きく変わった。

子殺しに、いじめ・・・
いじめ自殺・・・

それに対する、解決策は、見えない。
更に、それに携わる人たち・・・
あらゆる人たちである。
皆、金を得るために、何事かを行うのみ。

どの事件にも、共通する、責任の所在が解らないというもの。

東電の国有化・・・
一兆円も、注ぎ込むとか・・・

JALの株式上場・・・

皆、税金を使う。
そして、それを決める国会議員たち・・・

何か違う・・・と、感じるのだが・・・

不透明で、よく解らないのである。
それは、責任の所在と同じように、である。

日本の伝統的な、曖昧さとも、違う。
不透明なのである。

曖昧さとは、明確に曖昧であることが、解る。
しかし、不透明は、曖昧ではない。
不透明なのである。

心理療法士が、患者を治すような、不透明さ・・・
良く解らないが・・・よくなってきている・・・

別に、心理療法士でなくとも、そんなことは、出来る。
昔は、皆そうして、皆で、治していた。

ところが、資格を作り・・・
そうして、本来の姿とは、別物になるような・・・
不透明さである。

だが、それが時代が要求したことであるとするならば、それで、いい。

時代には、その精神がついている。
時代精神というもの・・・
それには、逆らえないのである。

それにしても、矢張り、海外に出掛けていた方が、楽なのである。


posted by 天山 at 06:23| 沈黙を破る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月08日

霊学85

占星術による運命決定論が見られ、人間はこの運命的な星の強制力から逃れることができずに、さまざまな苦労を重ねる。彼らの主神こそ、この宇宙を創造したものたちであり、その神、または悪霊は、プラトンの「ティマイオス」に描かれているこの世界の製作者、デーミウールゴスの名でよばれている。そして、デーミウールゴスをはじめ、各天球の看視人たちこそ、死後の人間の魂が、その故郷である欠けたるもののない充満の場、プレーローマに戻ることを防げるのである。
秋山さと子

以下、要約すると、
人間は、これらの下級な霊が作った仮の衣である、肉体だけしかない、肉体人間であり、物事を感じ取る心はあるが、星の影響下で苦しむ、心魂人間である。
そして、肉体と、心魂の中に閉じ込められて、脱出を求める神性を持つ、霊的人間の、三種に分けられる。
天界を構成する、大宇宙では、人間そのものが、幾層もの天球により、閉じ込められて苦しんでいる。
その人間の、内的世界である、小宇宙では、幾層もの心魂という衣の中に、真の魂である霊が埋没している。
人間が持つ、本来の神性の断片は、この宇宙の毒に酔わされ、肉体の快楽と、心魂の中で、麻痺し、眠り込む。自己の本質を自覚しない。
グノーシスの知恵は、眠れる自己の本質の、神性に対する覚醒と、解放の呼びかけである。

キリスト教の教義より、グノーシスの知恵は、霊学に近いものである。

自己の本質に、神性を認める。
そして、その覚醒と解放を言う。
まさに、宗教の大元の考え方である。

ユダヤ・キリスト教の神も霊の一つであり、それが悪質であることも言う。
ここでも、複数の神、悪霊を上げている。

壮大な妄想である。
あるいは、事実なのか・・・

グノーシスによる、人間の救済は、拘束的な宇宙とは無縁であることを知り、人間の本質は、全一的で充足した世界に属するという。
そこに、知ることのできない、神が実在するという、隠された知識を得ることである。

これは、既成宗教にとっては、脅威である。
神は、認識できるものではない。
そして、そのことを知ることが、知識なのであるという。

神を語る何ものも人間は有しないのである。
そして、それを知ることが、知識なのである。

名前のある神は、単なる霊である。
それは、私の霊学と、同じである。

ユングもまた、彼世界と、彼の経験の中から、これらのものを知ったと思うし、それを知るには、いわゆる知識を越えた一瞬の飛躍が必要であろう。そして、ユングにとってこの知識こそ、彼をはじめとして、多くの近代以降の人々が陥っている人間の問題、合理と非合理、意識と無意識、その他さまざまなものの間で分裂し、散乱して収拾のつかなくなった人間の自我の救済となるものと考えられたに違いない。
秋山

ユング心理学と、グノーシスの関わりについては、推測するしかないという。
更に、グノーシスといっても、微妙に違う教義を、それぞれの派閥が持つのである。

最初に引用した、ヨナスという人は、グノーシス精神を伝えるものとして、マンダ教文献を取り上げた。

それは、チグリス・ユーフラテス沿岸に住む、サバ人の宗教であり、ヘレニズムの影響から、地理的にも社会的にも、遠く、今でもそのまま残されているという。
だが、概念化、体系化されていないため、理論的には、一貫性に欠ける。

しかし、純真で生彩に富む、神話的空想に溢れる。
秋山氏によると、それは、グノーシス的な神性の魂が、いかにこの世で、苦しんでいるのかを物語るという。

秋山氏の案内で、進むと、その特徴的な表現は、異邦のもの、という考え方である。

マンダ教の文献は、ほとんどが、光の諸世界より来た第一の異邦の命、一切のわざの上に立つ至高のものの名において、という、一文からはじまる。

多くのグノーシスの文献には、異邦の神、異邦の者、他者、知らざれる者、名を持たぬ者、隠れたる者、知らざれる父、などと呼ばれる。

自分の異邦性を想起し、流離の地を異国として認識することであり、そこから失われた故郷に戻ろうとする彼の苦難の道が始まるのである。
秋山

これは、日本人が、仮の宿りと呼ぶ心境に近い。
人生は、仮のものであり、本来のものではない。
とすると、つまり、何処かに、故郷があるということだ。

しかし、日本の場合は、それ以上に追求しないというより、仏教の極楽浄土に取られてしまった感がある。

更に、他宗教でも、簡単に天国とか、神の国になってしまう。
この辺り、グノーシスには、特殊な実存思想がある。

グノーシスの基本的思考は、この世を越えて存在する優越性と、そのために苦しむ異質性である。

そこから孤高なる魂の劇的な救済の道が続くのである。
秋山

つまり、人間は、この世では、異邦者であり、本来の世界、故郷に帰るべく存在である。とすると、他宗教も皆、同じようなことを言う。
だが、その考え方が、違うのである。

人間は、この世界にあり、この世界に属することで、彼岸から隔絶されているとする。
他宗教は、神仏も世界に抱かれて、この世があると、認識する。

グノーシス派は違う。
隔絶されてあるという。

実在界が、あの世で、この世は、虚仮の世界という認識でもない。
とすると、道元が言う、生は生、死は死という、世界でもない。そこでも、連続性がある。何せ、すべてが仏の世界であるから。

これは、非常に面白い。


posted by 天山 at 06:26| 霊学2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

霊学86

マンダ教の文献には、諸世界という表現がよくあらわれる。世界はこの世のほかに連鎖的に続く閉じられた権力圏の諸世界によって成立している。「異邦の命」が故郷に戻るためには、これらの諸世界を通り抜けねばならない。その世界を統制するものは霊的なダイモーンの一族である。そこで「異邦の命」である魂は道に迷い、さすらい、出口を探し求めるが、一つの世界を出ても、またべつの世界に入り込むだけである。
秋山

つまり、輪廻転生などという、単純明快なものではないということだ。
生まれ変りなどと、暢気なことを言っていられない世界を、魂は、さ迷うのである。

この、マンダ教の、諸世界という概念は、ヘレニズム的グノーシス主義では、七層、十二層、また更に、多くの天球による層を示す。
そして、それぞれの天球を支配する、アイオーンという天使のイメージと対応する。

それは人格でもあり、空間的領域そのものを指す概念であり、その領域を通り抜けることは、彼らの権力を打ち破り、その天球、また世界の魔力から、解放されるということになる。

更に、魂が遍歴する、諸世界と諸時代は、絶望的に広く長いものであるか。

宇宙の広大でほとんど無限に思える空間的で時間的な二重の様相への恐怖は、ヘレニズムのグノーシス主義におけるアイオーンという表現にさらによくあらわれている。
秋山

アイオーンとは、寿命、宇宙的時間の長さ、永遠性などをあらわす、純粋に時間的な概念だった。
それが、ヘレニズム的な宗教の中で、人格化され、ペルシャのズルヴァン神にならい、崇拝の対象となったのである。

更には、神話的な変容を遂げて、神的、半神的、ダイモーン的な存在のすべてを指す総称となった経緯がある。

アイオーンは、宇宙のダイモーン的な諸権力、闇の領域のダイモーン的な力、時間と空間が人間に、魂に強制する、巨大な圧力を示すものとなる。

そして、彼らの人格化が極端に進むと、本来の時間的形相は、その背景に隠れて、神話的想像力の流れを通じて、変化自在の姿をとるようになる。

この世界は、広大であるが、同時に閉じられた小部屋のようであり、外から来る救済者は、この世界の外側から、呼びかける。
この世界の逗留は、仮の宿であるという。

身体も衣服も、家も、本来の、自らの源流から分断されて、命、また魂は、肉体の衣の中で、憔悴し切っている。

何故、そうなったのか・・・
それは、それぞれの、グノーシスの体系によって、異なることになる。

日本の、仮の宿り、という表現は、そこまで深くない。
また、深くなくても、良かったのである。

それは、自然というものに対する、捉え方の違いである。
厳しい自然環境の中で、生まれた考え方である。

何せ、その自然でさえ、異邦の者には、異質なものなのであるから。

ある種の、狂いである。
だからこそ、ユングは、そこにわが身の狂いを、また、患者の狂いを昇華させ得る、グノーシス主義に、救いを求めたとも、言える。

それは、通常人々が、受け入れる価値の逆転の思想であり、この世と調和して生きる人には、受け入れ難いものだったからだ。

神も霊であり、更には、魔力を持つものである。
本来の神は、分断されてある存在で、それを知ることが、知識である。

キリスト教から異端視されるはずである。

夢見心地で、神の国、天の国に行くなどという、考え方は無いのである。

神の世界の内になど、いない。
すべてが、仏であるなどという、考え方はない。

さて、その典型的なグノーシス主義は、イラン型グノーシスと呼ばれるものだと、秋山氏は言う。

更に、イラン型の二元論を最も完全に、表現しているのが、マニ教である。
このマニ教について、更に詳しく述べていると、話しが進まないので、別の機会にする。

この世を構成する、二つの要素を見る。
一つは、壮麗にして闇なき世界であり、反乱のない純粋な穏和な世界。騒乱の無い正義の世界、老いや死のない永遠の世界、悪の混入しない世界である。

もう一つは、闇の世界であり、悪に満ち、焼き尽くす火と、欺瞞と策略に満ちている世界、安定なき騒乱の世界で、善が衰亡し計画が無に帰する世界である。

マニの説をとれば、この世は、光と闇との混合だが、その主たる実質は闇であり、その中に光が混入している。
マニ教の神話は、この世の二つの対立する存在によって、成立している。

この世は、その両者の混合であるとするが、それは本体から切り離され、自分とは異質なものの中に、深く沈み込んだ光の部分にとっては、悲劇的なドラマであるという。

さて、イエス・キリストは、私は光であり、道であり、真理であると、聖書に書かれる。
だが、グノーシス主義は、それを超越しているのである。

それは、根源的な統一が分裂し、多様なものの中に散乱し、その粉々に砕けた光の断片こそ、創造の全域に散乱している、閃光なのである。
そこで、救済とは、ただ一つ、闇の中に散乱した光の断片を取り集め、元の一者に返すことであり、その完成が、世界からの究極的開放の条件となる。

気違い沙汰である。

混合、散乱、一、多、という概念が、一者に向かい、統合をはかることが、人間の、世界の救いになるのである。

この狂いの教えを持って、ユングは、そして、彼の患者も、救われるのである。
グノーシス主義が、狂っているからである。

小さな狂人は、大きな狂人には、適わないのである。

ユングの、全体への統合へと向かう、個性化の過程という理論は、ここからの影響を受けたものだろうと秋山氏は言う。


posted by 天山 at 23:59| 霊学2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月10日

霊学87

ユング心理学が、人間の無意識の根底に集合的で普遍的な元型の存在を認め、その内容をあらわすものとして神話や御伽噺をあげていることはよく知られている。しかし、ユングが考えていた神話的類型の第一に位置するものは、グノーシス派の神話なのである。
秋山さと子

そこで、今までのグノーシス主義の説明に足りないものがある。
それでは、何故、人間がまた、命、魂が、この世に閉じ込められたのかということである。

それぞれの派閥では、言い方が違うが、その大半は、ただ、そうなったという説明だけである。人間の存在の、その元が、ただ、投げ捨てられた、という表現で終わる。

他の宗教にはない、呆気なさである。

実存主義の、所与の実存的状況という。

マニ教の場合は、あらゆる動きは、闇の力によるという。
更に、神的なものが、この世界に転落したり、沈下することは、もっと自発的なものがある。

そして、後に、楽しいとなる神的要因は、最初は、神的なものが、好奇心や虚栄心、情念を起こして、はるか下の領域へ傾くという。

それは、前宇宙的な出来事で、その結果、世界そのものが創られた。
その中に、個々の命、魂が捕らえられたのである。

ああ、我いかにして、この世に生まれしぞ、という、嘆きの言葉生まれる。

更に、異邦の人、人間は、その環境に慣らされ、この世の毒に酔わされる。
多くの人は、その境遇を知らず、恐怖も、苦悩もない。自分のあり方を意識せず、この無意識からの覚醒は、恐怖と絶望につながる。
生きることは、無知にしがみつき、目覚めることをしない。

空海も、仏を知らぬのは、酒に酔ったようなものであると、言うが・・・
少し、似ている。

無知からの、覚醒のために、外からの呼びかけの声が聞えてくる。それを妨げるために、この世界は、騒音をかき立てる。

マンダ教や、マニ教では、超世界的な異邦のものが、人々の前に姿をあらわす。
そして、この異邦のものは、自分の異邦性に気づく人たちに、迎えられる。

グノーシスの特有な考え方に、救済者の命は、救済される命と、同一であるということ。
下降する救済者が救済するのは、かつて世界の中に失われた自分自身の部分である、魂なのである。

救済者は、時の始まりから、様々な姿になり、この世をさ迷う。彼自身が、世界の中に追放されて、自分自身を常に新たに、あらわし続けるという。

ユングは、そのグノーシス主義の、神話に、その狂いを託したのである。

ユングは自分の夢や幻想や、そして、全く学問的素養のない彼の患者たちの妄想の中から、この不思議な、知性と情緒性の混合したこの思考法を見出した。そこには、誰の心にも不思議な感動を呼び覚ます素朴なドラマがあり、同時に奇妙な客観性が伴っていた。
秋山

つまり、ユングは、多くの人の心に眠る、無意識とは、神話的、御伽噺的な主題を持ち、その中に、超越的な客観性を持つなにものかとして、考えたのである。

その普遍性と、集合的な影響力によって、人々は、運命に操られる。
これが、ユングの無意識という概念の背景だと、秋山氏は言う。

そして、その中に、埋もれている、自己こそ、救済されるべき救済者である。

つまり、ユングも、一つの宗教的伝道者であるということだ。

自己が、救済するべき、救済者であるという、結末である。

まさに、オカルトの中に入り込んだ、ユングである。
そして、そこから、様々な論文を発表する。

古代の人間が、妄想したものに、救いがあるとは・・・
人間とは、なんと、救い難いものか・・・

心理学も、精神分析も、学問としての、地位を持つ。
その根底にあるのは、フロイトや、ユング、その他諸々の、妄想なのである。

ちなみに、ユングは、その後、ヘルメス思想、つまり錬金術、秘密結社といわれる、薔薇十字団、更には、東洋の思想から占いに至るまで・・・

その、狂気を収めるために、続々と研究したのである。
妄想に浸る患者よりも、ユングの方が、苦悩していた。

妄想に浸ることは、楽しみである。苦痛は無い。
ところが、それに浸ることが出来ないとしたら・・・

苦しむ。

西欧文化の背後の流れに、それらの奇異とも見える、象徴的な表現の意味を理解したというが、意味づけしたのである。

つまり、現代人の夢を解こうとして・・・

ユングと錬金術やグノーシス主義との関係は相互的で、これらの知識が夢の解釈に役立つと同時に、夢が提出する象徴言語もまた、これらのものの理解を助けたということができよう。
秋山

いやいや、こじ付けである。
理解・・・
何の根拠も無いのである。

いやはや、大変ご苦労な、試みを行ったものである。
これは、ユング教である。

様々な神話、宗教を取り入れて、ユング教を作り上げたということだと、理解する。

そして、学問としたという、驚き。


posted by 天山 at 07:28| 霊学2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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