サイパンから始まった、戦没者追悼慰霊である。
様々な、戦地に赴いた。
そして、丸六年が終わろうとしていた。
そのことに、思い至ったのは、日本兵の幽霊が出るという、話からだった。
思えば、25年も前のことである。
戦争が終わって、50年を経ても、幽霊が出るなんて・・・
そして、幽霊になる兵士たちの心の哀れである。
いつか・・・
そうして、その、いつかが、やってきた。
ただ、慰霊をしたかっただけである。
それが、出掛けているうちに、衣服支援を行い、更に、食糧支援にも及んだ。
誰に頼まれた訳ではない。
ただ、心の命ずるままに行為した。
傲慢
偽善
いい気な者
様々な言葉が、浮かんだ。
そして、一番、嫌だったことは・・・
それを公にすることだった。
だが、公にすることになった。
何故か・・・
多くの人に知って貰いたい。何を・・・
先の大戦にて、亡くなられた方々のことである。
私の、爺さんの時代である。
そして、父の時代のことである。
私の父は、最期の志願兵だった。
15歳と聞いていた。
父は死ぬまで、天皇陛下を、口汚く呪っていた。
あの者のために・・・
当然である。
父の年上の男たちは、全員、戻らなかったのである。
死んだ。
天皇陛下のために・・・
死ね・・・
そんな時代に、生きていない私が、戦没者の慰霊を思い立ったのは、ただ、未だに幽霊になって、出るという、一言だった。
追悼・・・
つまり、追って悼む。
だから、調べた。
歴史、戦記を、読みまくった。
自虐史観というものに慣れていた私である。
驚き、戸惑い・・・
激戦地に、何度も、佇んだ。
ここで、死んだのか・・・
こんなところで、死んだのか・・・
戦死ではなく、餓死、病死、狂い、死んだ・・・
日本は、何と言う馬鹿なことをしたのか・・・
そして、天皇というものは・・・何と、馬鹿げた存在なのか・・・
しかし・・・
しかし・・・
事実を知ることになる。
恐るべき事実である。
戦争を求めたのは、日本ではない。
更に、天皇は、最後まで戦争回避を願い、そのために、様々な尽力を尽した。
だが・・・
白人支配の世界史の中で、はじめて、有色人種として、日本は、有色人種の代表として、戦争を受け入れた。
どうしても、白人と戦争をしなければならないと。
日露戦争は、白人との戦いではない。
あれは、結局、白人と白人の戦いだった。
ただ、日本は利用されただけである。
だが、その日露戦争の勝利が、有色人種に、希望を与えたということである。
戦争に、引き込まれた日本の、悲劇を、320万人の犠牲者が負った。
私は、源氏物語風に言えば、人の数にもはいらない者である。
更に、実は、私は静かに生きて、静かに死ぬことが、願いだった。
願わくば 南の島の 浜辺にて 一人静かに 息を引き取る
そのように、考えていた。
だが、違った。
生きたままに、荒ぶる者、祟り神のように生きることを、定められていたのである。
つまり、私は、祟り神にならなければならない。
殺されるまで、我が言葉を言い続ける。
殺されなければ、私は、いい続けるのである。
死ぬことを、恐れない。
いつでも、死ぬ覚悟でいる。