2012年10月30日

国を愛して何が悪い40

イギリスに産業革命が起こったのは、18世紀後半である。そして、19世紀はじめ、世界の工場と言われる、黄金時代、つまりビクトリア時代を迎える。

これに刺激されて、フランス、アメリカも、1830年代から、そして、ドイツは、1840年代から、ロシアは、1860年代から、それぞれの産業革命を起こした。

つまり、19世紀末期から、20世紀初期になると、ヨーロッパ列強は、産業の資源の獲得のため、市場拡大のために、更に植民地の必要性が高まり、その植民地の争奪戦も激化したのである。

さて、アフリカは、北部の地中海沿岸が知られていたのみで、広大なサハラ砂漠の背後の地域は、魅力のある土地ではなかった。
ただ、黒人を奴隷狩りして、新大陸に売り飛ばすのみであった。

しかし、19世紀、奴隷貿易が下火になる一方で、アフリカの内陸部の探検が活発になった。

そして、ヨーロッパ列強は、アフリカ大陸に出で行くことになる。

最初は、海岸部を中心とする、10パーセント程度の土地が、1900年代には、エチオピア、リビア、南アフリカを除く、すべての土地を白人が支配し、その資源を、むしりとることになる。

フランスが一番多くの土地を支配した。
そして、イギリス、ドイツ、ベルギーと続く。
最後が、スペインと、イタリアである。

ただ、フランスの場合は、広大なサハラ砂漠が含まれるので、実質的には、イギリスが一番である。

フランスは、アメリカ大陸と、アジアで、イギリスとの争奪戦に負けたので、アフリカで、その分を取り戻そうとした。だが、砂漠を手に入れてしまったのである。

イギリスは、エジプト、東アフリカという、主要部分を計画的に取得した。

結論から言えば、現在のアフリカの諸問題は、すべて、その時期からのものである。
アフリカの自然は、厳しい。

気候条件にも、恵まれない。北部、南部の、回帰線辺りは、サハラ、カラハリ砂漠という、乾燥地帯が広がる。
中央を赤道が通り、コンゴを中心とする熱帯雨林地帯が広がる。
それを取り巻く、草原のサバンナ地帯、乾燥地帯が続く。

そのため、疾病、飢饉が襲い、死亡率も高い。
その人口は、6億7千万人である。

その少ない原因は、白人の人為的なものである。
奴隷で多数の働く者たちが、連れ去られた。

更に、現在の、アフリカの国境を見ると、直線が多い。
それは、白人の都合で、人種を無視し、勝手に分割したのである。

同一民族が二分されたり、対立民族が同じ地域に、まとめられたりしたのである。

つまり、民族の、歴史、文化、生活を無視した不合理な分割統治が、現在の、様々な問題を生み出している。

アフリカに支援しても、それを彼らが、有効に生かしきれないという批判を聞くが、とんでもないことである。
それらは、白人たちが、起こしたことなのである。

今更、である。

その、最も象徴的な問題は、南アフリカのアパルトヘイト政策であろう。

アフリカ南端の土地に、250年ほど前に、入植した白人は、オランダ人である。
その、入植白人は、何と、我らこそ、アフリカ人であると宣言して、アフリカーナーと自称した。

イギリスは、アフリカーナーを、ボーア人と呼んだ。
百姓という意味である。

その地を、ケープ植民地と呼ぶ。
ところが、後からやってきた、イギリス人によって、武力で奪い取られたのである。

すると、オランダ人たちは、イギリスの支配を嫌い、北上してズール国やマタベレ国を占領し、トランスバール共和国とオレンジ自由国を樹立したのである。

その後、それらの国から、ダイヤモンドや金が発見された。
すると、イギリスは、自国民をどんどんと、送り込み、乗っ取りを図ったのである。

そして、起こったのが、ボーア戦争である。
結果は、三年間に渡って戦争が続いたが、イギリスが勝利し、イギリスの自治領である、南アフリカ連邦に併合された。

結果、アフリカーナーの多くは、プアー・ホワイトと呼ばれる、極貧層に転落した。そして、悪いことに、敵だったイギリス人と協調して、アフリカ黒人の徹底的な収奪により、貧困から脱することを行ったのである。

これが、アパルトヘイトである。
白人と黒人を完全に、隔離するというものである。

黒人の住んでいた土地に入り、勝手に、別々に住もうとする政策である。

こんな勝手な行為が許されていると、考えるところに、白人の欠落がある。それが、差別である。
そして、傲慢、非寛容、排他性である。
そのまま、キリスト教に言える言葉でもある。

南アフリカの土地の九割が、全人口の五分の一の白人の所有であり、一割が黒人のもの。
更に、白人の、四分の一の給与で、黒人を働かせるのである。

第二次世界大戦後、アジアだけではなく、アフリカ諸国も、次々に独立を果たした。
よって、日本の戦いは、そこまでに至ったのである。

だが、南アフリカのみは、アパルトヘイト政策を確立した。
しかし、国際世論に厳しい批判が有り、デクラーク政権は、1990年、長年投獄していた、マンデラを釈放して、アパルトヘイトの廃止に踏み切った。
1994年、初めて黒人の政権として、マンデラ大統領が誕生した。

最後にアフリカについて、きわめて大事な点を一つ指摘しておきたい。アフリカは人類発祥の地でありながら、現代までほとんど世界史に登場せず、真実の歴史が伝わなかったのは、アフリカは「文字のない文化」だったからだ。話し言葉は各民族にたくさん生まれているが、文字がないため、歴史が伝わらなかった。アフリカは「歴史のない大陸」だったということができる。
侵略の世界史 清水馨八郎




posted by 天山 at 02:21| 国を愛して何が悪い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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