一億人である。
悲劇は、まだ続く。
虐殺した。人手が無い。
金銀の鉱山が発見されても、採掘の労働者がいない。
更に、白人に都合の良い、砂糖、コーヒー、タバコなどの農耕の人手も足りない。
そこで彼らが考えた、極悪非道のもの・・・
黒人奴隷である。
アフリカから、労働力として、奴隷を連れて来るという。
原住民を殺し過ぎたことで、労働力不足に気づき、鉱山、農場の労働力を、アフリカから収奪することを考えた。
この身勝手な考え方が、どうして起こるのか・・・
白人主義という。それに、拍車を掛けたのが、キリスト教、ローマカトリックである。
ギニア湾は、ポルトガルからアフリカ西岸に沿って、南下し東に回りこんだところである。そこは、アフリカ内の内陸部から、奴隷を駆り集めて、奴隷船で需要地の、西インド諸島、南米に送り込むのである。
奴隷狩りには、三つの方法があった。
一つは、拉致である。動物を捕まえるのと同じように、先住民を攫う。
一つは、白人奴隷商人と、アフリカ人の首長との契約である。首長が他部族に戦争を仕掛けて、捕虜を大量に捕らえて、商人に渡すのである。
その代わりに、安物の鉄砲、タバコ、酒、ガラス球を渡す。
一つは、首長が白人と組んで、同胞を売り渡すのである。
集められた奴隷たちは、海岸の奴隷貯蔵庫に入れられ、奴隷船が来るのを何日も待つ。
奴隷貯蔵庫の悲惨な実態がある。
奴隷船には、複数の奴隷商人の奴隷がいる。そこで、所有者が解るように、牛馬のように、腕、腹に、焼印を押される。そして、二人ずつ鎖でつながれ、暗い船倉に放り込まれる。
船倉は、天井が低く、立つことも、横になることも出来ない。奴隷たちは、そこに詰め込まれて、汗まみれ、糞まみれになり、航海中に半数は死ぬ。
死体は海に投げ込まれた。
そこに何の憐れみの気持ちは無い。
16世紀から、18世紀に掛けて、奴隷貿易は、欧州、アフリカ、新大陸にまたがる三角貿易によって、組み込まれたのである。
そして、それは、欧州に莫大な利益をもたらした。
参加した国は、ポルトガル、スペイン、イギリス、フランスである。
現在、これらの国々は、その報いを受けて、滅びてもいいはずである。
奴隷商人たちは、ヨーロッパから、安物のビー球、銃器、木綿の製品をもって、アフリカのギニア湾に来て、黒人奴隷と交換し、南米ブラジル、西インド諸島に売り飛ばした。
そして、得た金で、土地の砂糖、綿花、タバコ、コーヒーなど、亜熱帯農産物を積んで、ヨーロッパに戻るのである。
この貿易は、三重の利益が得られたという。
その中でも、イギリスとフランスが、巨利を得たのである。
奴隷貿易の最盛期は、18世紀である。
推計では、16世紀は、90万人、17世紀は、300万人、18世紀は、700万人、19世紀は、400万人である。
概算すると、1500万人。しかし、一人の奴隷を連れて来るにあたり、五人の奴隷が死ぬというから、アフリカから働き盛りの黒人を数千万人から、一億人程度を売買したということになる。
恐るべき罪である。
奴隷を一番多く移入したのは、カリブ海諸島で、約40パーセント。次に、砂糖のプランテーションのためブラジルへ、38パーセント、残りは、アメリカ南部のプランテーションである。
アフリカは、現在世界一の過疎地である。
大量に奴隷として奪われたせいである。
その後、19世紀に、ヨーロッパ列強の、アフリカ分割植民地支配によって、現在につながる、貧困、民族紛争、それらは、すべて白人による勝手な、収奪、民族分割の結果である。
アフリカに、幾ら支援をしても、彼らが、まともではないから・・・
という、批判があるが、冗談ではない。
その、大元、問題を作り続けたのは、誰かである。
奴隷貿易という、大罪は、実に、イギリス、フランスなどの、国家的、組織的犯罪である。
今、誰が、その罪を問うのか・・・
更に、その白人主義を増長させた、キリスト教である。
イギリスの産業革命、ヨーロッパの資本主義の原資となったのは、まさに、新大陸から収奪された、大量の金銀であり、酷使された、黒人、インディアンの労働のお蔭である。
更には、その金により、ヨーロッパは、アジアから、香辛料、茶、ゴムなどを大量に買い入れて、儲けたのである。
ヨーロッパに巨万の富をもたらした。
それは、非白人の苦痛の収奪である。
犠牲である。
今、一体、それを誰が裁くのか・・・
西洋史というものを、再度検証して、書き直すべきである。
恐るべき、白人主義と、キリスト教による、大罪を記すべきである。
人類史最大の、大罪を侵した、西欧列強の罪は、計り知れないのである。
それこそ、謝罪し尽しても、足りない。