2012年10月26日

国を愛して何が悪い36

ヨーロッパ大陸の西の外れ、イベリア半島の最先端にある、ポルトガル。
内陸部の争い、宗教の矛盾に汚染されなかった国。

だからこそ、早くから、西南の海に、活路を見出すことができた。
土地が狭く、海外に夢を託したのである。

後に、航海王と呼ばれた、エンリケ王子の時代、多くの探検家を南アフリカ大陸の西海岸に派遣している。
アフリカの西北岸に沿って、カナリア諸島、ベルデ岬諸島を探検し、ギニア湾に達した。

やがて、バーソロ・ソロミュー・ディアスが、アフリカの南端、喜望峰に達する。つづく、バスコダ・ガマは、アフリカの南端を回り、インドの西岸カリカットに到達し、インド洋貿易を開拓する。

ガマによって、西欧から海上を通り、東洋に達する事ができると、証明された。

ポルトガル軍は、更に東に進み、1511年、マレー半島の南端、マラッカに到達し、マラッカ王国を征服して、占領する。マラッカを東洋貿易の拠点とするのである。

更に、ポルトガルは、南シナ海に出て、北上し、1557年、シナのマカオを獲得する。

15世紀のマラッカ王国は、14世紀に、マレー半島の南半分と、対岸のスマトラ島バレンバンと、スンダ海峡の先、ジャワ島を支配していた。
16世紀、ポルトガルに征服されるまで、東南アジアの資源を貿易する国として、全盛期を迎えていた。

だが、ポルトガルの軍隊と、その策略により、簡単に亡ぼされる。

これを見ると、弱肉強食の動物の世界を見る思いがする。
そして、それを当然としていた、白人主義である。

ポルトガルの東洋侵略の先端が、日本に到達したのは、1543年である。
種子島に、マカオ関係の、ポルトガル船が台風に遭い、漂流した。
そして、そこで鉄砲を伝えた。

西欧世界の小さな国、ポルトガルが、一大強国になれたのは、東洋貿易の利益を一手に収めたからである。
そして、それが西欧人の夢でもあった。

香料群島に、海から達する方法に、ポルトガルは、東航路の道を選んで、勝利した。

東方貿易が、何故利益を上げたのか・・・
それは、インド大陸と、その先の香料群島に直接乗り込めば、長く地中海世界を支配してきた、イスラム商人、イタリアのヴェネチア商人の特権を奪い、東洋の富みを独占できたからである。

当時の、ヴェネチアの香料は、インドを出る際の価格の、26倍になったという。
競って、冒険家たちが、スパイスを求めたのが理解できるというもの。

ポルトガルが、喜望峰廻りの航路を発見してから、リスボンの胡椒の値段が、十分の一に下がったという。

その後、スペインも、ポルトガル人、マゼランを援助して、西回りでも東洋に達する航路の発見を命じた。

マゼランは、海賊行為を続けならが、1519年、南米大陸の南端マゼラン海峡を発見し、南太平洋を横断して、サイパン、テニアン、グアムなどを廻り、1521年、フィリピンのセブ島に到達した。

マゼランは、そこでも、寄航した土地に、十字架とスペイン王室の標識を立てた。
更に、勝手に、スペイン領としたのである。

だが、彼はセブ島の先住民との戦いで、毒矢に辺り、死ぬ。

隊長を失った、マゼラン隊は、フィリピンを逃れて、海賊行為をしつつ、スパイスの島である、モルッカ諸島に辿り着く。

出発当時は、232名の人数が、スペインに到着した時は、一隻、18名だったという。

だが、一隻の、スパイスの売り上げが、全船隊の費用を上回ったという。

さて、この航海により、地球が球形であることが、解ったのである。

スペインは、マゼランが発見したことを理由に、ルソン島と、その周辺の多くの島を、1571年、国王のフェリペ二世の名にちなみ、フィリピンと命名した。
ルソン島のマニラを首都として、その後、330年間、植民地支配を続けることになる。

スペインは、フィリピンをアジア侵略と、経営の拠点して、重要視することになる。

スペインの、数々の犯罪は、アステカ、インカ帝国を滅亡させ、金銀を奪い、先住民族を虐殺した。
更に、インディアスをプランテーションで、強制労働させ、そこで砂糖の収奪も行ったことである。

砂糖は、中世以来の、貴重品である。
当時の、西欧人は、砂糖を白い黄金と呼んだほどだ。

農耕を知らぬ西欧人は、先住民族を奴隷にして、文明生活を楽しむことになる。

現在のスペインが、崩壊の様、当然のように思うのは、私だけか・・・

スペインとポルトガルは、新航路発見により、両国間で発見した、土地、島の帰属を巡る紛争が続出する。
そこで、出てくるのが、最悪の罪人である、ローマカトリックである。

法皇アレクサンドル六世が、教書を出して、両国の進出領域を決していた。
呆れ果てる行状である。

それによれば、アフリカの西岸ヴェルデ岬諸島の西方の、西経45度の子午線を基準に、西方をスペイン、東方をポルトガルの範囲としたのである。

1494年、トルデシリャス条約と呼ぶ。

しかし、その後も、1529年、サラゴサ協定により、アジアの分界線を東経135度に定めた。
この線は、日本を二つに分断するものである。

1549年、スペインのフランシスコ・ザビエルが、鹿児島に上陸する。
そこは、二つの侵略国の先端が衝突する地点である。
キリスト教の布教とは、侵略行為と同じである。

今までの、行為を見れば、歴然としている。
侵略者が、聖人とされている、カトリック教会である。
呆れる。

まあ、その二つの国も、16世紀末には、衰退の陰りを見せるが・・・



posted by 天山 at 00:22| 国を愛して何が悪い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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