2012年10月25日

ものあわれについて589

雨はやみて、風の竹に鳴る程、はなやかにさし出でたる月影、をかしき夜のさまもしめやかなるに、人々は、こまやかなる御物語にかしこまりおきて、け近くも侍はず。常に見奉り給ふ御なかなれど、かくよき折しもありがたければ、言に出で給へるついでの御ひたぶる心にや、なつかしい程なる御衣どものけはひは、いとよう粉はしすべし給ひて、近やかにふし給へば、いと心憂く、人の思はむ事もめづらかに、いみじうおぼゆ。まことの親の御あたりならましかば、おろかには見放ち給ふとも、かくざまの憂き事はあらましやと悲しきに、つつむとすれどこぼれ出でつつ、いと心苦しき御けしきなれば、源氏「かう思すこそ辛けれ。もて離れ知らぬ人だに、世のことわりにて、皆許すわざなめるを、かく年へぬるむつまじきに、かばかり見え奉るや、何のうとましかるべきぞ、これよりあながちなる心は、よも見せ奉らじ。おぼろけに忍ぶるにあまる程を、なぐさむるぞや」とて、あはれげになつかしう聞え給ふこと多かり。




雨がやんで、風が竹の葉に音を立てる頃、華やかに差す月の光は、素晴らしい夜の気配も、しめやかで、女房達は、差し向かいの話しに遠慮して、お傍近くに、控えていない。いつもお会いする二人だが、こんなに良い機会はないようで、口に出したついでの、一途さからか、柔らかい御衣の衣擦れの音は、上手にごまかして、お脱ぎになる。姫のすぐ傍で、お休みになったので、姫は、ぞっとして、女房たちも、変に思うだろうと、たまらなく思う。本当の親であれば、冷たく放っても、このような酷い目に合わすことはないと、悲しく、隠そうとしても、涙が溢れる。それを気の毒と思い、源氏が、こんなに、嫌になられると、辛い。まるで、赤の他人でも、世の習いで、女は誰にでも、身を任せることなのに、このように、年を重ねて、親しくしているものなのに、これくらい、して差し上げるのを、何の嫌がることがあろうか。これ以上、無理な事をする気持ちは、決してありません。堪えている気持ちを、更に堪えて、心をなだめる、と、心を込めて、やさしくお話になることが、多い。

とんでもない、養父である。
だが、この時代の、恋愛の様子が解るというもの。

まあ、紫の上でさえ、幼女の頃から育てて、我が妻にする程である。
もののあはれ・・・
その実態には、実に、滑稽な様子もある。

これを、喜劇の物語としても、面白い。

いと心憂く
ああ、嫌だ・・ぞっとする・・・

あはれげになつかしう
これも、物語の得意技である。
とてもとても、優しく・・・非常に大切に・・・可愛くてしかたがない・・・




ましてかやうなるけはひは、ただ音のこことちして、いみじうあはれなり。わが御心ながらも、ゆくりかにあはつけきことと思し知らるれば、いとよく思しかへしつつ、人もあやしと思ふべければ、いたう夜もふかさで出で給ひぬ。源氏「思ひうとみ給はば、いと心憂くこそあるべけれ。よその人は、かうほれぼれしうはあらぬものぞよ。限りなく、底ひ知らぬ心ざしなれば、人のとがむべきさまにはよもあらじ。ただ昔恋しきなぐさめに、はかなきことをも聞えむ。同じ心にいらへなどし給へ」と、いとこまやかに聞え給へど、われにもあらぬさまして、いといと憂しと思いたれば、源氏「いとさばかりには見奉らぬ御心ばへを、いとこよなくも憎み給ふべかめるかな」と、嘆き給ひて、源氏「ゆめけしきなくてを」とて出で給ひぬ。




特に、このような時は、夕顔そのままの気持ちがして、酷く心が痛む。自分ながらも、呆れて、身分に相応しくないと思うので、反省し、女房も変だと思うだろうと、夜の深くないうちに、お出ましになられた。源氏は、嫌がっては、辛い気持ちになりましょう。ほかの人は、これほど、夢中にならないものです。限りなく、底の無い思いだから、人が批難するようなことは、しません。ただ、昔恋しい心の慰めに、取り留めない事を、お話ししましょう。あなたも、そのつもりで、ご返事などしてください、と心を込めて、申し上げるが、姫は取り乱した様子で、とても辛いと思っている。源氏は、これ程とは、思いませんでした。これは、また、酷く憎んでいますね、と嘆き、決して人に気づかれないように、と、おっしゃり、お出ましになられた。






posted by 天山 at 00:07| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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