2012年10月24日

もののあわれについて588

殿は、いとどらうたしと思ひ聞え給ひて、上にも語り申し給ふ。源氏「あやしうなつかしき人のありさまにもあるかな。かのいにしへのは、あまりはるけ所なくぞありし。この君は、物のありさまも見知りぬべく、け近き心ざま添ひて、うしろめたからずこそ見ゆれ」など、誉め給ふ。ただにしも思すまじき御心ざまを見知り給へれば、思し寄りて、紫「物の心えつべくはものし給ふめるを、うらなくしもうちとけ、頼み聞え給ふらむこそ心苦しけれ」と宣へば、源氏「など頼もしげなくやはあるべき」と聞え給へば、紫「いでや。われにても、また、忍びがたう、物思はしき折々ありし御心ざまの、思ひ出でらるるふしぶしなくやは」と、ほほえみて聞え給へば、あな心疾と思いて、源氏「うたても思し寄るかな。いと見知らずしもあらじ」とて、わづらはしければ、宣ひさして、心のうちに、人のかうおしはかり給ふにも、いかがはあべからむ、と思し乱れ、かつはひがひがしうけしからぬわが心の程も、思ひ知られ給うけり。




源氏は、益々可愛いと思い、紫の上にも、お話しする。妙に、人の心を引きつける子だ。あの昔は、あまりに明るさがなかった。この君は、物分りもよく、人なつっこい。心配ないと思う、などと、誉める。放っておけない性格を知っている紫の上は、思い当たり、分別がありますのに、すっかり任せて、頼りにしているのでは、お気の毒ですね、と、おっしやると、源氏は、どうして、頼りにならないことがあろうか、と、申し上げる。紫の上は、いいえ。私としましても、それが思い出されてしまうことも、折々ないでは、ありませんので、と、微笑むと、よく気がつくと源氏は思い、嫌なことに、気が回るものだ。とても、気づかずには、いられない人ですね、と、煩いようなので、話を切り上げて、心の中で、紫の上も、このように、推量するのだ。どのようにしたらものかと、考えがまとまらない。一方では、正しくない、よくないという、自分の考え方も、解るのであるが。

源氏の心と、行動が、紫の上に、読まれているのである。




心にかかれるままに、しばしば渡り給ひつつ見奉り給ふ。雨のうち降りたるなごりの、いとものしめやかになる夕つ方、御前の若楓、柏木などの、青やかに茂り合ひたるが、何となくここちよげなる空を見出し給ひて、源氏「和してまた清し」と、うち誦し給うて、先づこの姫君の御さまの、にほひやかげさを思ひ出でられて、例のしのびやかに渡り給へり。手習ひなどして、うちとけ給へりけるを、起きあがり給ひて、恥ぢらひ給へる顔の色あひ、いとをかし。なごやかなるけはひの、ふと昔思し出でらるるにも、しのびがたくて、源氏「見そめ奉りしは、いとかうしもおぼえ給はずと思ひしを、あやしう、ただそれかと思ひまがへらるる折々こそあれ。あはれなるわざなりけり。中将の、さらに、昔ざまのにほひにも見えぬならひに、さしも似ぬものと思ふに、かかる人の、ものし給うけるよ」とて、涙ぐみ給へり。




気になるので、しきりに渡りになっては、色々とお世話をする。一雨の後は、しっとりと落ち着いた夕方、お庭の先の楓や、柏木などの、青々と茂る様、何となく、気持ちのよい空を見上げて、源氏は、和して、また清し、と歌い、何より先に、この姫の、つやつやした美しさが思い出されて、いつものように微笑み、お出かけになる。姫は、手習いなどして、くつろいでいるが、起き上がり、恥らっている顔の色の様子が、まことに美しい。その物柔らかな態度に、昔の夕顔が、ふっと思い出されて、我慢出来なくなり、源氏は、はじめてお会いした頃は、こんなにまで、似ていると思わなかったが、この頃は、不思議なほどに、夕顔かと間違えてしまうことが、何度もある。感無量だ。中将が、まるで、葵の上の様子に似ていないのに慣れて、それほど、親子は似ないものかと思ったが、こんな方もいるんだ、と、涙ぐむのである。

中将とは、夕霧のことである。




箱のふたなる御くだものの中に、橘のあるをまさぐりて、

源氏
橘の かをりし袖に よそふれば かはれる身とも 思ほえぬかな

世とともの心にかけて忘れ難きに、なぐさむ事なくて過ぎつる年頃を、かくて見奉るは、夢にやとのみ思ひなすを、なほえこそ忍ぶまじけれ。思しうとむなよ」とて、御手をとらへ給へれば、女、かやうにもならひ給はざりつるを、いとうたておぼゆれど、おほどかなるさまにて、ものし給ふ。

玉葛
袖の香を よそふるからに 橘の みさへはかなく なりもこそすれ




お盆の上にある、くだものの中に、橘をみつけて取り
源氏
懐かしい昔の人と、思うと、別の人とは、とても思えないのである。

始終、思い続けて、忘れられず、心慰めることなく過ぎた、この歳月。このように、お世話をするのは、夢かと思うばかりであるが、夢であっても、我慢が出来ない。嫌な奴と思わないで下さい、と、手を握るので、女は、このような経験はなかったので、嫌でたまらないが、気にしない風を装う。

玉葛
懐かしい母と、思ってくださるならば、私の身まで、儚くなりませんでしょうか。

古今集より
さつき待つ 花橘の 香をかげば 昔の人の 袖の香ぞする

古今6帖より
たちばなは 実さえ花さへ その葉さへ 枝に霜ふれ ましてときは木




むつかしと思ひてうつぶし給へるさま、いみじうなつかしう、手つきのつぶつぶと肥え給へる、身なり肌つきのこまやかに美しげなるに、なかなかなるもの思ひ添ふここちし給うて、今日は少し思ふ事聞え知らせ給ひける。女は心憂く、いかにせむとおぼえて、わななかるるけしきもしるけれど、源氏「何かかくうとましとは思いたる。いとよくもてかくして、人にとがめらるべくもあらぬ心の程ぞよ。さりげなくてをもて隠し給へ。浅くも思ひ聞えさせぬ心ざしに、また添ふべければ、世にタグひあるまじきここちなむするを、このおとづれ聞ゆる人々には、おぼしおとすべくはある。いとかう深き心ある人は世にありがたかるべきわざなければ、うしろめたくのみこそ」と宣ふ。いとさかしらなる御親心なりかし。




困ったと思い、うつ伏せたる姿は、素晴らしく懐かしく、手つきは、ふっくらとして、体つきや肌は、きめ細やかで、可愛らしいので、見ていると、かえって物思いを新たにする思いがして、今日は少し、心のうちを、話す。どうして、こんなに嫌がるのですか。上手に隠していても、誰にも気づかれないように、用心している。あなたも何気ない風に、隠していることだ。今までも、大事にしていた、親子の愛情に、夫婦の愛情が加わることになるのです。他には、例がないはずと思うし、この文を寄越す連中よりも、軽くみるはずがないでしょう。こんなに深い愛情のある者は、世間には、ないはずのことですから、他の男に任せるのが、気がかりでしょうがない、と、おっしゃる。
本当に、出過ぎた、親心です。

いとさかしらなる・・・
とは、作者の言葉である。

作者が主人公を、突き放して見ているのである。



posted by 天山 at 00:05| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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