2012年10月22日

もののあわれについて586

右近を召し出でて、源氏「かやうにおとづれ聞えむ人をば、人選りしていらへなどはせさせよ。すきずきしうあざれがましき、今やうの人の、便ない事し出でなどする、をのこのとがにしもあらぬ事なり。われにて思ひしにも、あななさけな、恨めしうも、と、その折にこそ無心なるにや、もしはめざましかるべききはは、けやけうなどもおぼえけれ、わざと深からで、花蝶につけたる便りごとは、心ねたうもてないたる、なかなか心だつやうにもあり。またさて忘れぬるは、何のとがかはあらむ。物の便りばかりのなほざりごとに、口とう心えたるも、さらでありぬべかりける、後の難とありぬべきわざなり。すべて女の物づつみせず、心のままに、もののあはれも知り顔つくり、をかしき事をも見知らむなむ、そのつもりあぢきなかるべきを、宮、大将は、あぶなあぶな、なほざりごとをうち出で給ふべきにもあらず。またあまり物の程知らぬやうならむも、御ありさまにたがへり。そのさきはより下は、心ざしのおもむきに従ひて、あはれをもわき給へ、労をもかぞへ給へ」など聞え給へば、君はうちそむきておはする、そばめいとをかしげなり。




右近を、お召し出しになり、源氏は、このように、手紙を差し上げる人は、よく吟味して、返事をさせるように。浮気っぽく、不真面目に、新しがりやが困ったことをしでかしたりするが、それは男の罪ともいえない。自分の経験から言えば、無神経だ、憎らしいと、その時は、分らずやだとか、また、問題にならない身分の女なら、変なやつだと、考えたものだ。特に深い思いでもなく、花や蝶によせての便りは、じらすように、返事をせずにいる。すると、かえって熱心になることもある。更に、それで忘れてしまう男は、なんで女の罪になるものか。
何かのついで程度の手紙に、すぐに分った返事をするのも、別にしないでよいことで、後々に批難される種になることもある。すべて、女が遠慮せず、心のままに、訳の分った顔をして、興味があることを見知ったとしても、度重なると、嫌な気持ちがするものだが、宮や、大将は、気をつけて、いい加減なことをうっかりと口にするような方でもない。しかし、あまり、男の心の分らないのも、姫の身分には、相応しくない。この御二人により、身分の下なのは、思いの深さによって愛情の程を、判断しなさい。その熱心さも、買ってあげるべきだ、などと、申し上げる。だが、姫は横を向いている。その横顔が、実に美しいのである。

もののあはれも知り顔つくり
訳の分った顔をする、それは、もののあはれ、とは、物事の核心を言うのである。
この場合は、恋心である。

あはれをもわき給へ
愛情、情愛の程度に対して・・・

源氏の、玉葛に対する、恋愛の方法である。
それを右近に聞かせるが、姫にも、聞かせている。




なでしこの細長に、この頃の花の色なる御小うちぎ、あはひけ近う今めきて、もてなしなども、さはいへど、田舎び給へりしなごりこそ、ただありに、おほどかなる方にのみは見え給ひけれ、人のありさまをも見知り給ふままに、いとさまようなよびかに、化粧なども心してもてつけ給へれば、いとど飽かぬ所なく、花やかに美しげなり。こと人と見なさむは、いと口惜しかべう思さる。右近もうち笑みつつ見奉りて、「親と聞えむには、似げなう若くおはしますめり、さし並び給へらむはしも、あはひめでたしかし」と思ひ居たり。右近「さらに人の御消息などは聞え伝ふる事侍らず。さきざきもしろしめし御覧じたる、三つ四つは、引き返し、はしたなめ聞えむもいかがとて、御文ばかり取り入れなどし侍るめれど、御かへりは、さらに、聞えさせ給ふ折ばかりなむ。それをだに、苦しい事に思いたる」と、聞ゆ。




なでしこの細長に、この季節の花の色の、小うちぎ、色合いが親しみ深く、今流行りで、物腰なども、田舎くさかった名残は、そのままで、鷹揚であるということだけが見所だったが、みなの様子を見て理解するにつれて、姿つきもよく、しとやかで、身だしなみも気をつけて、たしなんでいる。益々、足りないところも無くなり、華やかで、美しい。他人のものとしてしまうのは、残念極まる気持ちがする。右近も、微笑みつつ、見上げて、親と申すには、似合わないほど、若くていらっしゃる。ご夫婦でいらした方が、お似合いであろう、と、思うのである。
右近は、全然、人様のお手紙などは、お伝え申したことは、ありません。以前、殿様も御覧になって、ご承知の、三、四通は、突っ返して失礼申し上げても、どうかと、お手紙だけは、受け取りましたが、ご返事は差し上げていません。あなた様が、ご返事をという時だけですが、それさえも、嫌がっているようです、と、申し上げる。




源氏「さてこの若やかに結ぼほれたるは誰がぞ。いといたう書いたるけしきかな」と、ほほえみて御覧ずれば、右近「かれは、しうねうとどめてまかりにけるにこそ。内の大殿の中将の、この侍ふみるこをぞ、もとより見知り給へりけるつたへにて侍りける。げろうなりとも、かの主達をば、いかがいとさははしたなめむ。公卿といへど、この人のおぼえに、必ずしも並ぶまじきこそ多かれ。さる中にもいとしづまりたる人なり。おのづから思ひ合はする世もこそあれ。けちえんにはあらでこそ言ひ紛らはさめ。見所ある文書かな」など、とみにもうち置き給はず。




源氏は、では、この若々しい感じに結んでいるのは、誰なのだ、実に、見事に書いてある、と微笑んで見ていらっしゃるので、右近は、それは、しつこく置いて帰ったものです。内大臣さまの中将さまが、ここにおります、みるこを、前から存じておりまして、その取次ぎでございます。他に取り次ぐ者もございませんので、と、申し上げる。源氏は、可愛らしいことだ。官位は低いが、あの人たちを、どうかして恥ずかしがらせてはならない。公卿であっても、この人の評判に、必ず並ぶとは、限らない人も多い。その中でも、この中将は、まことに落ち着いた人だ。いつかは、解る時もあるだろう。はっきりさせずに、ごまかしておこう。見事な文の書きぶりだ、などと、すぐには、下に置かないのである。

しうねくとどめて
無理矢理に置いて・・・

みるこ
玉葛に仕える、童女の名前。

げろう
身分の低い者のことである。

当時の、宮廷の恋愛の様子が、良く解るのである。
文とは、この書と、文体である。
更に、和歌の教養が、必須であった。
そして、漢籍の素養である。
恋愛とは、それらを総称している。



posted by 天山 at 13:26| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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