2012年10月06日

霊学84

魂は世界という迷宮のなかに捕らえられて途方に暮れており・・・彼方の光からの救済者は身の危険もかえりみず下なる世界に侵入し、闇を照らし、道を開き、神界の裂け目を癒す。これは、光と闇、知識と無知、静謐と情念、奢りと敬神の物語だ。それも人間の次元ではなく永遠の存在の次元での物語である。永遠の存在も苦悩と迷いを免れてはいないのだ。
グノーシスの宗教 ヨナス

グノーシスの諸派にも問題があった。
彼らは攻撃的で、排他的であり、彼らに特有な倫理観に基づく、極端な禁欲主義、あるいは放埓主義は、人々の受け入れがたいものだった。

更に、この世は、神ならぬ悪魔が、または、堕天使が作り出したものという、反コスモス的な思想である。

そこで、ユングは、キリスト教のあり方に満足出来ず、聖書の物語と、舞台も主題も同じテーマであるにも関わらず、その内容と、意味が全く違う、グノーシスの物語に惹かれたのである。


それらは時間と空間の概念を持つことで、人間が過去や未来と、自他の区別を知るようになる以前の、永遠の世界における神々が引き起こしたドラマであった。そして人間が感覚でとらえ、思考によって想像し得るこの宇宙とは隔絶した、はるかに遠くの異次元における出来事であった。
秋山さと子

ユングは、己自身も、そして、多くの患者たちにも、人間の小さな意識の中にある自我では、どうしようもない、抗えない運命的なものがあると、感じたようである。

そこで、グノーシスの物語が、一つの救いとなる。

ユングは、人間の存在を超える、更に大きな力を、星の強制力と呼んだ。

これでは、オカルトである。しかし、オカルトを通してまでも、人間の無意識の世界を理解し、研究したいという、心意気である。

だが、実際に、ユングの時代は、このグノーシスの文献は、破壊されていた。
だから、ユングは、辛うじて、それを知る得る限りの文献を漁っていた。
その後、エジプトで、そのパピルスが発見されるという、事態になるのだが・・・

ユングが、元型、という言葉を生み出したのは、ブルグホリツリ病院の医局長をしていた頃、患者が語る、筒のある太陽と風の由来に関する妄想が、ミトラス教の文献と一致したという話である。

元型という、概念が、古代文献による知識と深く関わるということである。

20世紀前半、死海文書、その他の古文書、そして、グノーシスの文献である、ナグ・ハマディ文書が公開されてから、グノーシス諸宗教を異端と考える人は少なくなった。
キリスト教と同時期に発生した、別の宗教運動であると、捉える。

キリスト教によって、消滅した、諸宗教は、キリスト教に欠けているものを、有していると、ユングは考え、そして彼の研究に取り入れたのである。

その中には、イエスの双子の兄弟のことが、書かれてあった。
イエスが、兄弟のトマスに語った言葉がある。

あなたがたの中にあるものを引き出すならば、それがあなたがたを救うであろう。あなたがたの中にあるものを引き出さなければ、それはあなたがたを破滅させるであろう。

無意識を見つめる者には、十分にその意味が解るという言葉である。

つまり、自分の中にあるものにより、救いがあるという。
360度廻って、元に戻る類の話である。

ギリシャ文化の隆盛は、人間の意識に表層と底流という二重構造をもたらしたが、それがヘレニズム後期になると、オリエントの神話やバビロニアの占星術、イランの二元論やヘレニズム的ユダヤ教が、プラトン主義の概念やストア派の宇宙論と合体し、勢いを増しつつあったキリスト教の救済=終末論がさらにこれにかぶさって、一大宗教的シンクレティズムの時代を作り上げつつあった。
秋山

グノーシス主義の、原理としては、この宇宙とは隔絶した超越的神の存在を信じていたことである。
その超越的神の実在を説くために、コスモスの内と外に分かれた、二つの世界を作り上げた。
そこから、神とコスモス、霊と物質、光と闇、善と悪、生と死などの、対立概念が生まれたのである。

絶対的二元論である。

超越的神のもとの二元論による、人間の救済こそ、グノーシス主義の原理である。

グノーシスとは、ギリシャ語で、知識という意味である。
そして、その知識とは、コスモスにおける、人間に対する知識ではなく、隔絶された、コスモスの外の神々の行為に対する、知識となる。

人間はつねに因果律の上に立ち、時間と空間の概念の中で、自らの意識を発達させて文化を築いてきた。・・・しかしまた、そのために我々は、時間と空間とに限定され、縛られて生きることにもなった。神秘思想は、言葉よりも、主として体験とイメージによって、これらの束縛からの解放を説くものである。
秋山

グノーシス主義には、ギリシャの調和のとれた宇宙の秩序と言う概念を、逆転させた宇宙観が生まれた。
人間は、幾層もの天に土牢のような世界に住むものであり、人間が、そこから抜けようとすると、それぞれの天球を支配する、人間と隠された神との間を隔てる、星の神々が邪魔をする。

この、天球のイメージは、バビロニアの占星術による観念が使われている。
だが、その占星術からの概念も、逆転して用いられている。

七層の天球を支配する、それぞれの惑星は、そのまま人間の魂の脱出を妨害するものとなる。
その外には、更に、第八の恒星界があるとする。

この星の看視人たちは、旧約聖書の神の名で呼ばれているが、それも、ユダヤ教の唯一神の全能の神の概念みが、覆されている。
その神は、真の神ではない。
神性はもつが、下級の霊的存在であるとする。彼らの支配が、ヘイマルメネーと呼ばれる、星の強制力、である。




posted by 天山 at 06:30| 霊学2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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