2012年10月01日

神仏は妄想である389

神道の堕落は、欽明天皇の仏教伝来からはじまる。
ここで言う、神道とは、神社神道のことである。

538年、百済の聖明王が、欽明天皇に仏像を献上したことから、はじまる。

仏教を受け入れる云々に関しては、推古天皇の時に、豪族たちの戦いによって決着した。結果、蘇我馬子が勝ち、聖徳太子といわれる皇子が、仏教を全面的に受け入れて、根を下ろすことになった。

最初は、外国の神という、意識の仏であった。

日本の神とは、共存を許されないという、考え方が支配的だったが・・・
神道を奉じていた家柄が、仏教勢力に滅ぼされることで、以後の日本に、仏教が大きな位置を占めることになる。

その仏教が、神道と結びついて、できたものが、両部神道、山王一実神道、さんのういちじつしんとう、である。

これは、明らかに、仏教系の神道である。
奈良の初期から、明治維新に至る、神仏分離の時まで続いたのである。

つまり、神仏習合である。

インドで発生した仏教も、変転を繰り返し、大乗仏教になると、インドの神々を仏教を守護するものとして、神の位置を、仏の下に置いた。

同じように、日本でも、仏教の勢力が拡大するにつれて、神道の神々を仏教の下に置くという、考え方が現れた。

それは、神道の神々は、仏や菩薩を守る守護神であるというもの。
そして、仏や菩薩が、人々を救うために、神の姿を取るというもので、本地垂迹説といわれるものである。

全く、人間の考え出したことである。
神と仏は、同一である。
明らかに、誤りであり、妄想である。

平安初期になると、奈良仏教の堕落から、新たな国家仏教の最澄の天台宗、そして、空海の真言宗が成立する。

この両派は、何と日本の従来の神々を摂取、包括するという手段で、それぞれの仏教体系を形成してゆくのである。
思いつきも、いいところである。

最澄は、延暦寺を開くにあたり、地主神、つまり土地の神を祀り、天台の守護と発展を祈願した。

空海も、真言宗を創建するにあたり、鎮守の社として、丹生都比売社、にふつひめしゃ、を祀ったのである。

天台宗の神道の考え方を、山王一実神道と呼び、真言宗の考え方を、両部神道と呼ぶことになる。

それ以前に、両者が学んだ、中国の仏教自体、大乗仏教の更に亜流である、密教であるから、最初から誤りなのである。
だが、朝廷、天皇の加護により、その教えが広がる。
そこには、奈良仏教界の堕落甚だしいことが、上げられるのだが・・・

稀代の詐欺師、空海が考え出した、伊勢神道と、密教の合併は、その神道を密教によって、解釈するというものである。

両部というのも、密教の、金剛、胎剛の、両界から取られている。

伊勢神宮の、内宮、天照大神を、胎剛界の大日如来とし、外宮の、豊受大神を、金剛界の大日如来の、象徴とした。
その両方が、合体して、大日如来の顕現たる、伊勢神宮を形成しているという、大嘘である。

明らかに、空海の野心が見えるというものである。

更に、神々を仏教の悟りの三段階に分けて、区別するという・・・
呆れた行状である。

最も、悪質なのは、神道曼荼羅なるものを、作り上げたことである。
そして、神像というもの。

神道には、一切そのようなものは、無い。
必要無い。
堕落以外の何ものでもない。

これは、鎌倉時代に確立したといわれる。
更に、驚くべきは、陰陽道の呪術も取り入れつつ、真言宗系の寺院、関係する神社を中心に、神仏習合の祭祀を行ったというから、呆れる。

明治維新まで、何と、社僧が神の供養のために、お経を唱えていたというから、更に呆れる。

野心のある者は、この方法に目をつけた。
日蓮もその一人である。

神前で、法華経を上げるというもの。
更には、法華経により、神道の清め祓いも行う。

節操も何も無いのである。

まあ、神道系と仏教系の間で、争いが無いというのが、救いである。
だが、それは神道、神社神道を堕落の一途に貶めたのである。

社僧という存在も、神社の僧侶という意味で、呆れるのである。

言霊、音霊を正しくすべき、神道が、密教の雑音である、陀羅尼などを平然として、受け入れていたということに、驚きを隠せない。

兎に角、暫く、この仏教との関わりにおける、神道の堕落を俯瞰してみる。

時代、時代によって、宗教も変化して行くというのは、理解出来るが、肝心なものを明け渡して、変化も何も無いのである。
それは、堕落なのである。



posted by 天山 at 05:54| 神仏は妄想である。第8弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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