2012年09月29日

神仏は妄想である。387

これから少しばかり、神道について、書いてゆく。
この場合は、現在の神社神道につながるものである。

それ以前の神道を、古神道、更に、それ以前を古道という。

明治期に西欧から入ってきた、キリスト教の影響からか、人格神という、神観念が強くなった。

神道には、そのような観念は無い。

古代人たちが、神と、認識するのは、多くは、自然そのものである。
山川草木に神を見出した。

神は至る所に、遍在した。
山の神、海の神、岬、谷、森、石、屋敷にも、井戸にも、神の存在を見出していた。
それも、一つの才能である。

それらも、人間も、共に存在する。
それを、かんながら、惟神と、言う。

人は、神の子、更に、神の分け御霊、分霊である。

人が住む場所には、うぶすなの神、産土神が存在した。
その、産土神は、人間の最後の死まで、世話をする。
そして、死後の世界への導きをする。

その死後の世界は、祖霊の世界である。
祖霊には、特別な個性は無い。

集合的な、神霊の集いである。
それも、また、自然の一つになっていた。

この世界に、高天原という言葉と、その場所が示されるのは、国家による、統一的な支配以後のことである。

古神道から言えば、それは、富士山の朝廷、富士高天原府ということになるが・・・

その神の、祖霊の代表が、天照大神である。
そのアマテラスにより、稲が贈られたと、考える。

天皇は、その直系の子孫であるという。
そこで、地上の住まいを持つのが、国津神、くにつかみ、と呼ばれ、天上の高天原に住む神々を、天津神、アマツカミ、と呼ぶ。

神祇という時、神は、高天原であり、祇は、国津神を言う。

その世界観は、高天原の下に、中津国、つまり地上の世界があり、そこには、大海、ワタツミの世界と、黄泉の国、根の国、底の国がある。

古事記、日本書紀は、これらの世界観から、神話を創り上げた。

古神道が、シャーマニズムを内包しているとしたら、そこからの、次の段階が、神道の世界観である。

つまり、高天原が出来て、それぞれ固有の神々の世界と信仰が生まれたのである。

社、つまり、神社という建物が出来てから、その中に、御神体なる、様々なものが出てくる。

鏡、剣、石、樹木・・・
それらは、神の象徴ではない。
神が、そこに降臨するものという意識である。

御神体を、別名、御霊代、みたましろ、とも言う。
また、寄り代である。

神霊が、そこに憑依するのである。

この、御神体に関しては、偶像とは、違う。
偶像とは、キリスト教における、イエス像、マリア像、仏教における、仏像のことである。

御神体の場合は、そこに、神が降りるのである。

または、その時々により、石や、樹木なども、寄り代とした。
降臨の御座所である。

石の御座所は、イワクラと呼ばれ、樹木の場合は、ヒモロギと、呼ばれる。

最初は、つまり古神道の場合は、その都度、場所を作り、お祀りしたが、次第に、恒常的な神祀りのための場所、すなわち、神社が出来るようになる。
神社神道である。

その際に、神社は、垣根をめぐらして、俗世間から隔離された。

御神体をお祀りする場所を、本殿とし、それを拝む場所を拝殿とした。

古い形を残す神社は、山そのものを御神体として、本殿を置かない神社もある。

神の座所は、本来、自然の中にあるもので、神社の中には無いのである。

神社は、その土地、その土地を支配する、神に結び付けられていた。
土地の神は、産土神であり、また、氏神と呼ばれる、家系の神である。

それ以後、土地とは、結びつかないが、霊威ある神として、祀られはじめる。
稲荷や八幡、そして雷神、つまり、菅原道真を祀る、天神である。

明治に至るまでは、日本各地には、村や里を守るという、鎮守の神があり、鎮守の社があった。

だが、明治政府は、それらを統廃合して、祭神を記紀に合わせるようにしたのである。
神社本来の、伝統を絶やしたともいえる。

それにより、各地の神社は、天皇家の、祖神である、天照の元に、つまり、伊勢神宮の元に、統一され、管理されるようになる。

ここで、神社神道は、一つの型に嵌められてしまったといえるのである。
更に、先の大戦により、神社神道が国家神道に転じた、不幸な時期がある。
全く、それは、神社、及び神道とは、呼ぶことは、出来ないものである。



posted by 天山 at 03:28| 神仏は妄想である。第8弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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