2012年09月21日

もののあわれについて582

胡蝶

三月の二十日あまりの頃ほひ、春の御前のありさま、常よりことにつくしてにほふ花の色、鳥の声、ほかの里にはまだふりぬにやと、めづらしう見え聞ゆ。山の木立、中島のわたり、色まさる苔のけしきなど、若き人々のはつかに心もとなく思ふべかめるに、唐めいたる舟造らせ給ひける、いそぎさうぞかせ給ひて、おろし給ふ日は、雅楽寮の人召して、舟の楽せらる。親王たち、上達部などあまた参り給へり。




三月二十日過ぎの頃、紫の上の春の庭先の様子は、いつもより、殊に、すべてが生き生きとした、花の色、鳥の声に、よその方には、ここだけ、まだ春の盛りが終わらないのかと、素晴らしくも見え、聞える。築山の木立、中島のあたり、緑濃くなった苔の様子など、若い女房達が、少ししか見られず、物足りなく思うらしいので、殿様は唐風の舟を造らせたのを、急いで舟の装いをされて、はじめて水に下ろさせる日には、うたづかさの人を召して、舟楽をされる。親王たち、上達部など、大勢が参上された。




中宮この頃里におはします。かの「春まつ園は」と、はげまし聞え給へりし御かへりも、この頃やと思し、大臣の君も、いかでこの花の折、御覧ぜさせむと思し宣へど、ついでなくて軽らかにはひわたり、花をももてあそび給ふべきならねば、若き女房達の、ものめでしぬべきを舟に乗せ給うて、南の池の、こなたにとほし通はしなさせ給へるを、小さき山を隔ての関に見せたれど、その山のさきよりこぎまひて、東の釣殿に、こなたの若き人々集めさせ給ふ。




中宮は、この頃、六条院におられた。あの「春まつ園は」といどみかけられた、お歌の御返しをするのも、今がよいかと紫の上も思い、殿様も、何とかして、この花の季節を、中宮に、お目にかけたいと、お口になさるが、用もないのに、気軽にお渡りになり、花見をすることも出来ない身分なので、若い女房達で、面白がりそうな人を、舟に乗せて、南の池の、こちら側に通じるようにされてあるのを、小さい山を隔ての関所と見せてあるが、その山の先から、漕いで周り、やってくる。東の釣殿には、こちらの女房達を集めているのである。

春まつ園は
心から 春まつ園は わがやどの 紅葉を風の つてにだに見よ
源氏物語、乙女の巻より

はげまし聞え給へり
競争を仕掛けられた、という意味。

こなたにとおし
紫の上の御殿である。




竜頭けき首を、唐の装ひに、ことごとしうしつらひて、かぢとり棹さすわらはべ、皆みづらゆひて、もろこしだたせて、さる大きなる池の中にさし出でたれば、まことの知らぬ国に来たらむここちして、あはれに面白く、見ならはぬ女房などは思ふ。中島の入江の岩陰にさし寄せて見れば、はかなき石のたたずまひも、ただ絵にかいたらむやうなり。こなたかなた霞みあひたる梢ども、錦を引きわたせるに、御前の方ははるばると見やられて、色をましたる柳、枝をたれ、花もえもいはぬ匂をちらしたり。ほかには盛り過ぎたる桜も、今盛りにほほえみ、廊をめぐれる藤の花の色もこまやかに開けゆきにけり。ましてイケの水に影をうつしたる山吹、岸よりこぼれていみじき盛りなり。水鳥どものつがひを離れず遊びつつ、細き枝どもをくひて飛びちがふ、をしの波のあやに紋をまじへたるなど、物の絵やうにもかきとらまほしきに、まことに斧の柄もくたいつべう思ひつつ、日を暮らす。




竜頭けき首の舟を唐風に派手に飾り、かじを取り棹をさす童子は、皆、みずらを結って、唐子の感じにし、そんな大きな池の中に棹さして、出て来たので、本当の外国に来たような気分になり、面白く素晴らしいと、こちらを見慣れていない、中宮付きの女房などは、思うのである。
中島の入江の岩陰に、船を寄せて、眺めると、少しばかりの立て石も、まるで、絵に画いたようである。あちらこちらから、霞が立ちこめる梢は、錦を張り巡らしたように、御前の庭は、遥かに遠く見渡されて、緑を増した柳が、枝を垂れて、花も何ともいえぬ匂いを漂わせている。よそでは、盛りを過ぎた桜も、ここでは、今を盛りと、咲き誇り、渡殿の周りの、藤の花も、紫に色濃く咲いている。
それ以上に、池の水に影を映す山吹は、岸からこぼれるほど、盛りである。水鳥が二羽ずつ泳ぎまわり、細い枝などをくわえて、飛び違い、波模様の上に、おしどりが姿を織り出すなどは、図案にしたいほどで、本当に斧の柄も、腐らせてしまいそうに、面白く思いつつ、いつしか、夕暮れになった。




女房達
風吹けば 浪の花さへ いろ見えて こや名にたてる 山吹のさき

春の池や 井出のかはせに かよふらむ 岸の山吹 そこもにほへり

亀の上の 山もたづねじ 舟のうちに 老いせぬ名をば ここに残さむ

春の日の うららにさして 行く舟は 棹の雫も 花ぞ散りける

などやうの、はかなごとどもを、心心に言ひかはしつつ、行く方も、帰らむ里も忘れぬべう、若き人々の心をうつすに、ことわりなる水の面になむ。




風が吹けば、浪の花までが、色を映して見えます。これがあの有名な、山吹の崎でしょうね。

春の御殿の、お池は井出の川瀬に、続いているのでしょうか。岸の山吹は、水底にまで咲いています。

蓬莱山を訪ねる必要はありません。これ、この舟の中で、不老の名を、留めましょう。

春の日、うららかに、棹差して行く舟は、棹の落ちる水も、雫の花となって、散ります。

というような、とりとめもない歌を思い思いに言い交わしつつ、行く先も、帰る家路も忘れてしまいそうなほど、若い女房達が、感動しているのも当然な、水の美しさである。

亀の上にある山
蓬莱山という。道教で言われる、桃源郷である。



posted by 天山 at 05:19| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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