2012年09月19日

もののあわれについて580

御声もいと寒げに、打ちわななきつつ語ら聞え給ふ。見わづらひ給ひて、源氏「御衣ものなど、後見聞ゆる人は侍りや。かく心やすき御住ひは、ただいとうちとけたるさまに、ふくみなえたるこそよけれ。えはべばかり繕ひたる御装は、あいなく」など聞え給へば、こちごちしくさすがに笑ひ給ひて、末摘花「醍醐のあざりの君の御あつかひし侍るとて、衣どもえ縫ひ侍らでなむ。かはぎぬをさへとられにし後、寒く侍る」と聞え給ふは、いと鼻赤き御兄なりけり。




お声も寒そうで、ぶるぶると震えながら、お話しする。見かねて、源氏は、お召し物のことなど、お世話する者は、おりますか。このような気楽なお住まいでは、ひたすらくつろいだ格好で、ふっくらした、柔らかいものがいいのです。表面だけをつくろった身なりは、感心しませんよ、などと、おっしゃると、ぎこちなく笑い、末摘花は、醍醐のあじゃりの君のお世話をいたしますので、自分の着る物も、賄いません。かわぎぬ、まで取られてからは、寒くしています。と、申し上げる。それは、赤い鼻の兄君のこと。

醍醐に、末摘花の、兄がいるというのが、解る。
あじゃり、とは、僧職の位である。




心うつくしといひながら、あまりうちとけ過ぎたりと思せど、ここにてはいとまめやかにきすぐの人にておはす。源氏「かはぎぬはいとよし。山伏の蓑代衣にゆづり給ひてあへなむ。さて、このいたはりなき白妙の衣は、七重にもなどか重ね給はざらむ。さるべき折々は、うち忘れたらむことも驚かし給へかし。もとよりおれおれしく、たゆき心のおこたりに、まして方々の紛らはしききほひにも、自らなむ」と宣ひて、向ひの院の御倉あけさせて、絹綾など奉らせ給ふ。荒れたる所もなけれど、住み給はぬ所のけはひは静かにて、御前の木立ばかりぞいと面白く、紅梅の咲き出でたるにほひなど、見はやす人もなきを見渡し給ひて、

源氏
ふるさとの 春の木末に たづね来て 世のつねなら 花を見るかな

ひとりごち給へど、聞き知り給はざりけむかし。




心美しい、素直だというものの、これでは、あまりに構わな過ぎる、と思われるが、ここでは彼女は、実直で、無風流な人になっている。源氏は、かわぎぬ、は、そうされてもいいです。山法師の蓑代わりの合羽に、お譲りされてもいいでしょう。それはそれとして、惜しげの無い、白地の着物は、七枚でもよいのに、どうして、重ね着されないのですか。欲しい物がある時は、私の忘れていることでも、おっしゃってください。もともと、愚かで、心の動きの鈍い怠け者、その上、公私共に、雑用が続いて、ついつい、このようになってしまいます。と、おっしゃり、向かい側の院の倉を開けさせ、絹や綾などを差し上げる。荒れている所はないが、殿様が住みにならない所だけに、辺りも閑静で、庭の植木だけが、見所があり、紅梅の咲き始めた匂いなど、誰も、賞賛する人もいないのを、眺めて、

源氏
昔住んでいた里の、春の木の枝を訪ねて来て、世にも珍しい花を見たことだ。

と、独り言を言うが、姫君は、気づかないのである。

ここにては いと まめにきすぐの人にて おはす
他の人なら、冗談を言う、皮肉を言える、笑うこともできるが、末摘花では、さすがの源氏も、そのようにはいかないのである。

源氏の、独り言の歌の意味も、解さないであろう、姫君である。

珍しい花は、彼女の、赤い鼻を、かけている。

赤鼻の、末摘花・・・なんとも、登場人物としては、面白い存在である。




空蝉の尼衣にも、さしのぞき給へり。うけばりたる様にはあらず、かごやかに局住みにしなして、仏ばかりに所えさせ奉りて、行ひ勤めけるさまあはれに見えて、経、仏の飾り、はかなくしたるアカの具なども、をかしげになまめかしく、なほ心ばせありと見ゆる人のけはひなり。




空蝉の尼君の所へも、顔を出した。大層な様子ではなく、こじんまりとした小部屋を造り、住んでいる。仏様には、広い場所を差し上げて、勤行している様子が、胸にこたえて、経典や、仏様の装飾など、ちょっとした水入れの道具なども、趣味が見え、優美で、矢張り、気が利いていると思われる、人柄である。

うけばりたる様
得意げになること。
でも、空蝉は、それには、あらず・・・




青鈍の凡帳、心ばへをかしきに、いたく居隠れて、袖口ばかりぞ色異なるしも、なつかしければ、涙ぐみ給ひて、源氏「松が浦島を遥かに思ひてぞ、やみふべかりける。昔より心憂かりける御契かな。さすがにかばかりの睦びは、絶ゆまじかりけるよ」など宣ふ。尼君ももののあはれなるけはひにて、空蝉「かかる方に頼み聞えさするしもなむ、浅くはあらず思う給へ知られ侍りける」と聞ゆ。源氏「つらき折々重ねて、心惑はし給ひし世の報いなどを、仏にかしこまり聞ゆるこそ苦しけれ。思し知るや。かくいとすなほにしもあらぬものを、と思ひ合せ給ふ事も、あらじやはとなむ思ふ。と宣ふ。かのあさましかりし世の故事を、聞き置き給へるなめりと恥づかしく、空蝉「かかる有様を御覧じはてらるるより外の報いは、何処にか侍らむ」とて、まことにうち泣きぬ。いにしへよりも、もの深く恥づかしげさまさりて、かくもて離れたること、と思すしも、見放ち難く思さるれど、はかなきことを宣ひかくべくもあらず、大方の昔の物語をし給ひて、かばかりのいふかひだにあれかし、と、あなたを見やり給ふ。




青にび色の凡帳の、様子も面白いが、すっかりと体を隠して、座っている。袖口だけは、色が変わっているのも、女らしい感じがするので、涙ぐみ、源氏は、松が浦島は、遠くから思っているだけにして、来ないでおくべきでした。昔から、辛い御縁でした。と、言っても、この程度のお付き合いは、切れないものですね。などと、おっしゃる。尼君も、もののあはれなる気配にて・・・思いに耽る様子で、こうしたことで、お頼りすることは、ご縁が浅くないことだと、解りますことです。と、申し上げる。源氏は、辛い目を何度も見せて、私を迷わせた罪の報いを、仏に懺悔するとは、お気の毒だ。おわかりですか。私のように、おとなしいものはないと、お気づきになることも、ありはしないかと思います。と、おっしゃる。あの情けなかった、昔の事を、お耳にしているだろうと、顔も上げられず、空蝉は、こうした私の、最後の姿を、お目にかけなければならぬ以上の報いなど、どこにありましょうか。と、心の底から、泣くのである。源氏は、昔よりも、一層、思慮深く落ち着き、こうして、独り身を保っているのだと、思うと、かえって、捨てておけない気にもなる。だが、浮いた話を仕掛けるわけにもゆかず、昔や今の、世間話をされて、この程度の話し合いに、なって欲しいものだと、末摘花の方を、御覧になる。

松が浦島
後撰集
音に聞く 松が浦島 今日ぞ見る むべも心ある あまは住みけり

もののあはれなるけはひにて
ここで、はじめて、もののあはれ、という、言葉が出る。
あはれ、ではない。
空蝉の全体の雰囲気に、感じられる、もののあはれ、である。

その人生のすべての、有様を、もののあはれなるけはひ、として、表現するのである。
これ以上の、言い方は無い。

もののあはれなる様子
人生をすべて凝縮させて・・・

いずれの身も、この、もののあはれ、に、行き着く日本人の言葉となったのである。
もののあはれ、の、概念云々を言う人がいる。
概念を超えるものは、言葉に出来ない思いである。
そして、それで、よしとした、日本人の感性である。

あはれ、の一言が、すべてを語ることがあるという、事実である。




posted by 天山 at 04:31| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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