2012年09月18日

性について217

正常な性交が自然な姿であり、性倒錯は異常で不自然であるというのが一般の常識であるが、動物の場合ならいざ知らず、人間の場合は、正常な性交はけっして自然な姿ではなく、多分に無理をして獲得された形式なのである。
岸田

確かに、今までの説明を見ていると、その通りである。
また、私も、それに賛同する。

さて、その正常だと思われる性交の中に、前性器リビドーが細やかに入り込んでいる。
これは、私の言い方である。

正常な性交の中に、前戯とか、色々な性交体位、更に、誘発される、空想、妄想、本来、性交そのものとは関係ない、諸々の行為などは、それである。

前性器リビドーにより、正常行為も左右されるということである。

もともと性器以外の口唇や肛門を基点としているリビドーが性器の優位に完全に服することはあり得ず・・・・
岸田

同じ床にあって異なる夢を見ているのである。
岸田

上手い表現である。

それでも、性器リビドーが主流を占めている限り、正常と言われるのである。

さて、性倒錯に関しても、岸田氏は、人間の自然な姿ではない、と言う。

人間のエロスに関して、自然な姿など、そもそもどこにも存在しない。
岸田

ここに、岸田秀の分析が生きている。
そして一つの思想となる。

心理学者の名誉挽回である。

次ぎに、フロイトによる、精神生活を支配する二つの原則からである。

快感原則と現実原則である。
エスの本能的衝動は、快感だけを追求する。しかし、それだけだと、大きな苦痛を味わうことになる。そこで、自我が、現実原則に従い、エスをコントロールするのである。

だが、長期的に見た場合、結果的には、快感原則に従う、もしくは、奉仕するのである。
何故か。
人間は、快感を求めるからである。

そして、それは、人間特有の、精神的対立を生むのである。
ちなみに、動物のは、現実原則に従う。

自我が、エスの快感原則に従うと、不適応に陥る。
エスの衝動を抑圧しなければならない。

快感原則と、現実原則の対立・・・
人間の永遠の悩みである。

そして、人間は、この対立ゆえに、文化というものを、作り上げたという。

前性器リビドーは、ひとえに快感原則のみにもとづいており、あらゆる現実的有用性とは無縁で、純粋に無償のものである。それは完全に遊びのエロスである。それを現実的有用性をもつ正常な性交の枠のなかに押し込めるためには自我の強引な介入が必要である。
岸田

だから、更に、
性器リビドーも前性器リビドーも、不自然であるという点では同じであり、個人がどの形式によってそのリビドーを満足させようが、それは個人の自由であり、自然に反するという根拠にもとづく性倒錯者への批難や軽蔑は正当ではない。
岸田
と、なる。

性倒錯者は、神経症と同じ病人であるとは、言えないと、岸田氏は言う。

面白い例えを言う。
同性愛者を説いて異性愛に転向させるのは、正常な異性愛者を説いて同性愛に転向させるのと同じくらいむずかしい。

同感である。

そして、今、現代では、正常といわれる、性交が、性倒錯と同じように、純粋に無償の遊びとなっているのである。

要するに、妊娠しない、性交は、すべて不自然ということになるから・・・

経口避妊薬から、避妊技術の革命的な発達・・・
そして、妊娠のための、人工授精技術・・・

性交と、妊娠が明確に、切り離されているのである。

それは、
人間のエロスの、この点に関する快感原則と現実原則との対立はほとんど解消された。現実原則が快感原則に歩み寄ったのである。
岸田

時代が変わったのである。
それを、時代性という。
そして、そこに、人間の考え方を入れた時に、時代精神となる。

エロス・・・
新しい定義や、概念が必要になったのである。

今までの、観念的な遊びの時代ではない。

女の子の会話を聞いていて、彼氏、もう、食ったの?と平然として言う時代になった。食うとは、性交したか、しないかを言う。
昔は、男たちが、食った、食わないと、言っていた。
今は、男たちが、沈黙をはじめている。
そして、草食系・・・だと・・・
フリーセックスなどと言われた時代が遠退く・・・性とは、何か・・・



posted by 天山 at 06:35| 性について5 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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