2012年09月14日

天皇陛下について130

藤原氏の、栄華を書いている。
藤原道長・・・

その後、第四女も、後一条天皇の、同母弟である、第六十九代後朱雀天皇が皇太子の時代に、妃に上がり、第七十代、後冷泉天皇をお生みである。

四女も、宮廷に入り、外孫に当る皇子三人まで、引き続き、御位に就かれるのである。

その勢いの盛んなことは、荘園の所有が皇室より、多いことで知られる。

更に、道長の隠居にあわせて建てた、法成寺は、奈良の東大寺にも負けない大きさである。

道長は、国の費用を使い・・・
自分のために、である。

更に、関白の頼通は、朝廷のことは、後で、法成寺の御用に励めと、命じた。

その寺を、人は、御堂と呼び、道長を御堂殿と呼んだ。
その道長が、死ぬのが、後一条天皇の万寿四年、1027年である。

法成寺は、後に灰になった。
つまり、栄華を極めたが、何も残らなかったのである。

しかし、その後も、摂政、関白は、藤原氏の子孫に限り、任ぜられるようになった。
後に、その家が分れて、近衛、鷹司、九条、二条、一条の、五家となり、五摂家と呼ばれた。

第七十一代後三条天皇、1068年より1072年。
この天皇が、藤原氏の、弊害を取り除くべく、志されたのである。

御位の御年は、35歳であらせられた。

後朱雀天皇の、第二皇子。
12歳で、皇太子となられて、23年間、藤原氏の、専横を見ていた。

皇太子になられてから、関白の頼通は、内心穏やかではなかった。とても、聡明であり、すべてを見通していたからである。

頼通は、自分の娘を、後冷泉天皇の皇后にしていた。
そして、男子を生むことを、願った。
そうすれば、その子を、皇太子にするつもりであった。

宇多天皇の御代から、皇太子に対して、必ず渡される、皇太子の印というべき、壺切の剣、というものがある。
それを、頼通は、渡さなかったのである。

その剣は、元々、藤原氏の所持していたものである。
藤原基経が、宇多天皇に献上した。それを天皇が皇太子である、醍醐天皇にお授けになった。以来、東宮ご相伝の護剣となったのである。

東宮でも、藤原の血筋ではない者には、渡さないとの思いである。

しかし、皇太子は、そんなものに、捉われなかった。
私が皇太子であることと、それと何の関わりがあろうか・・・

学問に御精進され、特に内外の歴史に、御心を尽された。
その師は、大江匡房である。

その期間が23年である。
賢い、皇太子に対して、頼通は、早く血筋を持つ男子の誕生を願った。

だが、それが来ないうちに、後冷泉天皇の崩御である。

藤原氏の女を御母としない、天皇、宇多天皇が誕生した。

それ以来、十一代、170年ほど、藤原氏の女を御母にしない、天皇が続くのである。

頼通は、御即位と共に、関白を弟、教通に譲り、宇治の平等院に隠居する。

宇多天皇は、関白の教通には、相談することがなくなった。
その為、藤原氏の、勢力が衰えるのである。

宇多天皇の、最初にされたことは、荘園の調査である。
荘園は、朝廷から、私有を許された土地である。
そして、租税を納めなくてもよい。

力ある者が口実を作り、土地を占有する。
国司の支配を受けずに、国の富を私するのである。

そのトップが藤原氏である。

一門の荘園は、全国に広がり、皇室を超えていた。
租税の無い土地が増加することは、他の土地租税が高くなる。
それでは、庶民が苦しむ。

働く者が、重税に苦しみ、貴族が税を納めない。

天皇は、その弊害を取り除くため、記録所を作り、取調べを監督された。

その結果、新荘園、古いものでも、証書不明確のもの、国の政治に障害のあるもの、それらを止めた。
勿論、藤原氏は、大打撃である。

だが、長年の実績を持つ藤原氏である。
教通が、奈良の南円堂、元の藤原氏の氏寺である興福寺、その工事を天皇に願い出た。

この工事は、再建中に、工事監督の大和の国司の任期が切れた。
教通は、その国司の再任を求めた。
しかし、天皇は、
国法を一家のために破ることは、よろしくない
と、お許しにならない。

教通は、再三願い出たが、遂に天皇は
関白や、摂政が恐ろしいのは、天皇の外祖でもあればのこと。私は何とも思わない
と、毅然と仰せられた。

教通は、御殿の出口で
われら藤原一門の公卿は、皆立て。春日大明神の、ご威光も、今日で尽きた
と、大声で喚いた。

春日大明神は、藤原氏の氏神である。

朝廷の重要な役職は、皆、藤原氏がおさえている。
それらが、いなくなると、政治が止まるのである。
天皇は、それでは困ると、改めて、教通の願いを許した。

しかし、以前のような、振る舞いは、出来ないのである。



posted by 天山 at 06:23| 天皇陛下について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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