2012年09月02日

神仏は妄想である384

道教の仙薬とは知らず、現代でも漢方薬と名を替えて、利用されているという、事実に驚くばかりである。

だが、9世紀の日本では、道教の医術は、異端、不純なものと、判断された。
だから、それらは、民間の医師や、人の口から伝わった。
民間療法と言われるものの中に、道教の医術が隠されているのである。

さて、医術と並び、もう一つ重要視されたのが、方術である。

神仙とは、自然の理にかない、生老病死を超越し、自由と全能を獲得するものである。
自然の理にかなうことが、神仙になるための、基本的条件である。

だが、人間は、容易に自然の理にかなうことが出来ない。
そのために、困難な修行と、難しい手続きを経る必要がある。

それが、道教の方術である。

その第一が、禁呪、きんじゆ、である。
災いを避け、長生を得るために、おまじない、呪文、更に、タブー、吉凶の判断と、星占いなどの、様々な占いである。

それらは、老荘の説く、自然の道理に源があり、道家の思想を具体化したものとして説かれるが、それは、すべて後からの、こじ付けである。

次ぎは、符ロクという、災い消し、病気を治し、妖怪変化、死霊の祟りを排除する力のある、護符札、お札、である。

それを持てば、神仙と同じ力が得られるという。
ここで、面白いのは、陰陽師といわれた人たちが、このお札を使い、鬼神をも自由に駆使することが出来たということである。

式神とも、呼ばれる。

風を呼び、雨を降らせるなど・・・
人間の欲望の数だけ、それらがあり、実に多種多様である。

そして、それらの後には、元始天尊、以下、道教の神々の加護があると、考える。

その神々に祈りを捧げる、祈祷の儀式をする。
これも、方術の部門である。

だが、それは、日本では発展しなかった。
専門の道士というものは、日本にはいないのである。

さて、当時の日本の官庁として、主要なものが、三つあった。
大学寮、陰陽寮、典楽寮である。

大学寮は、文官の養成期間であり、陰陽寮と、典楽寮は、特殊技能者の養成所である。

典楽寮は、各種の薬剤、今の漢方薬に当るものの、製剤処理、病気の治療、薬草園の管理などの、専門家が所属した。また、それらを養成する機関である。

専門職務は、医、針、按摩、呪禁、薬園、五種類である。
薬園以外は、皆、直接、病気の治療に携わる。

医、針、按摩は、現在のものと、同じようなもの。
ただ、呪禁は、道教の方術に当るものである。

その専門職として、呪禁師二人、呪禁博士一人、呪禁生六人の定員があり、医師、医博士に次ぐ、待遇を受けていた。

だが、具体的な働きについては、よく解らないのである。
道教の信仰とは、別にして、その方法のみを取り入れていたのである。
更に、道教の医方、マジックである、呪禁は、次第に消えてゆくのである。

呪禁とは、肉体を若々しく保ち、命を永らえさせ、生活の安全を図るための、方術である。しかし、この道教のマジックの力が信じられるほどに、その本来の目的とは違う、異常な方向に発展したのである。

社会上や感情上のおのれにとって都合の悪いもの、いわば、公私両生活においてのおのれの対立者、敵対者などへの強い脅威を与えるもの、そういった方向へのマジックの展開が希求されてくる。
下出積輿

それは、自己の安全に力があると信じられるほど、これを逆用される相手からは、恐るべき、脅威となるのである。

大陸においても、その展開が、非常に顕著であったという。

端的に言えば、呪いである。
その中には、様々な方法がある。

その中に、厭魅、えんぴ、とか、コウ毒というものがある。
えんぴは、密かに人形を作り、その心臓や目に釘を打ち付ける。手や足を縛る。すると、相手が、その苦しみを受けて、死に至るというものである。

魅とは、鬼神に託して、相手を呪う。
呪詛を符書に従い作製し、相手を殺そうとするものである。
それを、秘密裏のうちにする。

コウ毒は、数多くの虫、蛇の類を同じ壺に入れて、お互いに食い合わせる。そして、最後に残ったものの精を利用するというもの。

これらは、奈良、平安の頃の人の心に、怖れと不安を抱かせるのに、最適だった。

さて、典楽寮は、病気の治療と、予防に従事すると共に、専門家を養成する。それが、道教の医方、呪禁が、取り入れられ、医方以外の一分野として設置されたのも、効果のあるものと認識されたからである。

例えば、呪方などは、現代の心理療法ともいえるもので、その効果は大きかったのである。

それは、日本が模範にした唐でも、取り入れられていたからである。

無批判に近い態度でほとんど模倣的に設置したのが実情である。
下出

だが、上記の内容は、現代までも、生きている。人を呪い、丑三つ時に、藁人形を釘で打ちつけるなど・・・



posted by 天山 at 00:14| 神仏は妄想である。第8弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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