2012年08月25日

もののあわれについて579

さわがしき日頃過ぐして渡り給へり。常陸の宮の御方は、人の程あれば、心苦しく思して、人目のかざりばかりは、いとよくもてなし聞え給ふ。いにしへ盛りと見えし御若髪も、年頃に衰へゆき、まして滝の淀み恥づかしげなる御かたはらめなどを、いとほしと思せば、まほにも向ひ給はず。柳はげにこそすさまじかりけれ、と見ゆるも、着なし給へる人がらなるべし。光もなく黒きかいねりの、さいざいしく張りたる一襲、さる織物のうちぎを着給へる、寒げに心苦し。かさねのうちぎなどは、いかにしなしたるにかあらむ。御鼻の色ばかり、霞にも紛るまじくはなやかなるに、御心にもあらずうち嘆かれ給ひて、ことさらに御凡帳引き繕ひ隔て給ふ。なかなか女はさしも思したらず、今はかくあはれに長き御心の程を隠しきものに、うちとけ頼み聞え給へる御様あはれなり。かかる方にも、おしなべての人ならず、いとほしく悲しき人の御さまと思せば、あはれに、われだにこそは、と、御心とどめ給へるも、あり難きぞかし。




忙しい、幾日かを過ごして、東の院に、お出でになった。常陸の宮の姫君、つまり、末摘花の所は、身分があるので、気の毒に思いになり、人前の体裁だけは、とても行き届いた扱いである。昔は、豊に見えた若い盛りの黒髪も、年とともに、少なくなり、まして、滝の水にも負けない、白髪まじりの横顔など、かわいそうに、と思うので、真正面から向き合うこともしない。贈った柳の装束は、全く面白みのないものと、思えるものを、お召しになるのは、人柄ゆえだろう。光沢なく、黒ずんだかいねり絹の、さわさわ音がするほど、張った一襲の上に、このような織物の、うちぎを着ているのは、寒そうで、気の毒である。重ねる、うちぎなどは、一体、どうしてしまったのか。鼻の色だけは、霞に隠れそうになく、はっきりとしているので、心にもなく、ため息をついて、わざわざ、御凡帳を置いて、隔てをおいている。かえって、女の方は、それ程と思っていないのか、今は、こうした情けのこもる変わらない心の程を、心安いものと、気を許して、頼りにされている様子は、心が打たれる。このような生活でも、人並みではなく、気の毒で、悲しい境遇だと思うと、可哀相で、せめて、私だけでも、と、心にかけているのも、世間には、珍しいことである。

今はかくあはれに
御様あはれなり
あはれに
源氏は、末摘花をあはれと思うが、本人は、気づかないでいる。

年を取り、あはれ。
その様、あはれ。
そして、源氏が、あはれ、と思う。

あはれ、という言葉が、三度も、使われている。

源氏が、その、あはれ、に、ため息をつくが・・・
女はさしも思したらず
女は、何とも思っていないのである。



posted by 天山 at 00:08| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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