2012年08月23日

もののあわれについて577

まだいたくも住み慣れ給はぬ程よりは、けはひをかしくしなして、をかしげなる童の姿なまめかしく、人かげあまたして、御しつらひ、あるべき限りなれども、こまやかなる御調度は、いとしも整へ給はぬを、さる方にもの清げに住みなし給へり。正身も、「あなをかしげ」と、ふと見えて、山吹にもてはやし給へる御かたちなど、いとはなやかに、ここぞ曇れる、と見ゆる所なく、くまなくにほひきらきらしく、見まほしき様ぞし給へる。もの思ひに沈み給へる程のしわざにや、髪の裾少し細りて、さはらかにかかれるしも、いともの清げに、ここかしこいとけざやかなる様し給へるを、「かくて見ざらましかば」と思ほすにつけては、うしも見過ぐし給ふまじくや。




まだ、住み慣れた様子ではないが、お部屋の感じを趣味よくされて、可愛い女の童の姿も、美しく、女房の数も多く見える。部屋の設備も必要なだけはあるが、細々した、身の回りの品々は、充分に揃っていない。それでも、それなりに整って、住んでいる。本人も、ああ美しい、と、見た途端に思えて、山吹の装束で、一段と引き立って見えるお姿など、とても華やかで、ここが暗いと思われる所などなく、隅から隅まで、美しくきらびやかで、いつまでも、見ていたい様子である。辛い思いの生活をしていたせいか、髪の裾が少し少なくて、さらりと、衣装の裾にかかっている。それが、大変こざっぱりとして、あちらこちらが、くっきりと鮮やかな様子であるのを、こうして手許に引き取らなかったら、と、思う。どうして、このままにしておられようか。と、源氏は、見ている。

玉葛の部屋に、伺う源氏である。

きらきらしく
視覚的な美しさであり、派手やかな様子である。




かくいと隔てなく見奉りなれ給へど、なほ思ふに、隔たり多くあやしきが、うつつのここちもし給はねば、まほならずもてなし給へるも、いとをかし。源氏「年頃になりぬるここちして、見奉るも心安く、本意かなひぬるを、つつみなくもてなし給ひて、あなたなどにも渡り給へかし。いはけなきうひごとならふ人もあめるを、もろともに聞きならし給へ。うしろめたく、あはつけき心もたる人なき所なり」と聞え給へば、玉葛「宣はせむままにこそは」と聞え給ふ。さもあることぞかし。




このように、直に、始終お会いしているが、それでも、考えてみると、打ち解けられず、おかしな感じで、夢を見ているような気もする。お任せして、打ち解けない様子だが、男の気をそそるのである。源氏は、もう長年になるような気がして、お目にかかっても、気楽で、思い通りになったのですから、遠慮しないで、あちらの方などへも、お出かけなさい。初めての手ほどきを受けている者もいますから、一緒に稽古をするといい。気の許せない、おしゃべりは、しませんよ、と、申し上げる。玉葛は、仰せの通りにいたします、と、申し上げる。適当な返事です。

最後は、作者の言葉。

明石の姫君が、琴の手ほどきを受けている。そこに、いらっしゃいと、誘うのである。

まほならず もてなし 給へるも
源氏を警戒して、中々、打ち解けない様子である。

いとをかし
面白いという意味だが、男女の仲では、気をそそる意味にもなる。

あはつけき心もたる人なき所
ペラペラと、余計なことを、口にする人ではないという意味。
紫の上を言う。




暮れ方になる程に、明石の御方に渡り給ふ。近き渡殿の戸おしあくるより、御簾のうちのおひ風、なまめかしく吹きにほはして、物より殊にけだかく思さる。正身は見えず。いづらと見まはし給ふに、硯のあたりにぎははしく、冊子ども取り散らしたるを、取りつつ見給ふ。唐の東京錦の、ことごとしき縁さしたるしとねに、をかしげなる琴うち置き、わざとめきよしある火桶に、侍従をくゆらかして、物ごとにしめたるに、衣被香の香のまがへる、いとえんなり。




日暮れになる頃に、明石の御方の所においでになる。その御殿に近い、渡り廊下の戸を押して開けると、御簾の中から、焚き染めた香を吹き送る風が、素晴らしく、匂いを吹き漂わせるので、何よりもすぐれて、気品が高いと思う。肝心の、本人の姿が、見当たらない。どこかと、辺りを見回すと、硯の周囲が賑やかで、冊子ななどが、取り散らかしてあるのを、一つ一つ、手に取り挙げて、御覧になる。舶来の東京錦に、仰々しく縁取りをした、褥に、美しい琴を置き、意匠をこらした風流な火鉢に、侍従番をくゆらせて、あらゆるものを、焚き染めてあるのに、えび香の香りが混じっているのは、実に、あでやかな趣である。

東京錦、とは、唐の洛陽のことである。




手習ひどもの乱れうちとけたるも、筋かはり、ゆえある書きざまなり。ことこどしう草がちなどにもざえがらず、めやすく書きすましたり。小松の御返りを、めづらしと見けるままに、あはれなる故事ども書きまぜて、

明石
めづらしや 花のねぐらに 木づたひて 谷のふる巣を とへる鶯

「声待ち出でたる」などもあり。「咲ける岡辺に家しあれば」など、ひき返しなぐさめたる筋など書きまぜつつあるを、取りて見給ひつつほほえみ給へる、はづかしげなり。



手習いした、紙が無造作に置いてあるのも、手の筋が変わっていて、趣ある書き振りである。大仰に草体を多く使うなどして、気取ることもなく、程よく、落ち着いた書き振りである。姫君からの、小松の歌のご返事を、珍しいと見ていたついでに、心うつ古歌などを書き込んで、

明石
珍しいことです。美しい住処に住んでいて、谷間の古巣を訪ねる、鶯です。
待っていた、その声、などとある。花の咲く岡近くに、家もあることだから、など、気を取りなおして、わが身を慰めた意味の歌など、書き込んであるのを、手に取り、御覧になって微笑むのは、恐れ入るほどの、美しさである。

あはれなる故事ども
心うつ歌・・・身に沁みる歌である。
古今
梅の花 咲ける岡辺に 家しあれば ともしくもあらず 鶯のこえ

それを見ている、源氏の姿が、恐れ入るほど、美しいというのである。




posted by 天山 at 05:50| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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