2012年08月22日

もののあわれについて576

姫君の御方に渡り給へれば、わらは、しもづかへなど、お前の山の小松、引き遊ぶ。若き人々のここちども、おきどころなく見ゆ。北のおとどより、わざとがましく集めたるひげこども、わりごなど奉れ給へり。えならぬ五葉の枝に、うつるうぐひすも、思ふ心あらむかし。




明石の姫君の所へ、おいでになると、女の童や下女などが、庭の築山の小松を引いて、遊んでいる。若い女房たちの気持ちは、じっとしていられない程のようだ。北の御殿、明石の御方から、わざわざ苦心して集めたらしい、竹の篭や、折箱などを差し上げなされた。何とも言いようの無い、良い形の五葉の松の枝に、留まる鶯も、若い女房と同じ心であろう。




明石
年月を まつにひかれて 経る人に けふうぐひすの 初音きかせよ

音せぬ里の」と、聞え給へるを、げにあはれと思し知る。こといみも、えし給はぬけしきなり。源氏「この御返りは、みづから聞え給へ。初音惜しみ給ふべき方もあらずかし」とて御すずり取りまかなひ、書かせ奉らせ給ふ。いとうつくしげにて、明け暮れ見奉る人だに、飽かず思ひ聞ゆる御有様を、今までおぼつかなき年月の隔たりけるも、罪えがましく、心苦し、と思す。

姫君
ひき別れ 年は経れども うぐひすの 巣立ちし松の 根を忘れめや

幼き御心にまかせて、くだくだしくぞある。




明石
長い年月、小松の成長を待ち続けて過ごした私に、今日は、初音を、お聞かせください。
鶯の声も聞えない所です、と、書いてよこしたものを、殿様は、いかにも、かわいそうに、と、思う。
元旦に、縁起でもなく、涙がこぼれそうになった。源氏は、このご返事は、ご自分で差し上げなさい。あなたが、初音を惜しむべき人ではないのですよ、と、硯の用意をして、お書かせになる。姫の様子は、とても可愛く、昼も夜も、始終拝している人でさえ、見飽きないと思う姿を、今日まで、逢わせないでいた、年月の長さも、罪なことをしたと思い、気の毒だと、思うのである。

姫君
お別れして、年は経ちましたけれど、鶯は、私は、巣立ちした松の根を、母君を忘れましょうか。
子供心に、ごたごたしています。

最後は、作者の言葉。

小松、とは、姫君のことであり、姫君の歌の鶯は、自分のことを言う。

姫君は、紫の上に、育てられているのである。




夏の御すまひを見給へば、時ならぬけにや、いと静かに見えて、わざと好ましきこともなく、あてやかに住みなし給へるけはひ見えわたる。年月にそへて、御心の隔てもなく、あはれなる御なからひなり。今はあながちに近やかなる御有様ももてなし聞え給はざりけり。いとむつまじくありがたからむいもせの契りばかり、聞え交し給ふ。




夏の御殿を御覧になると、季節はずれのせいか、たいそう静かな感じで、ことさらに、風流に見せることもなく、品よく、暮らしておられる様子が、どこにも、見えている。年月の経つにつれて、お互いに、隠し立てなどせず、心打つ、お二方の間である。
もう今は、共寝することもない。大変仲良く、他にはないような、信頼の言葉を語り合うのである。

花散里の新春である。

あはれなる御なからひなり
人と人の、関係にも、あはれ、なる様子がある。
つまり、多くを語らずとも、感じあう間である。
あらゆる事物に関しての、心象風景だけではなく、心のあり様までも、あはれ、の一言により、表現するという、あはれ、の進化である。




御凡帳隔てたれど、少し押しやり給へば、またさておはす。はなだけばににほひ多からぬあはひにて、御髪なども、いたく盛り過ぎにけり。やさしき方にあらねど、えびかづらしてぞ繕ひ給ふべき。「われならざらむ人は、見ざめしぬべき御有様を、かくて見るこそ、うれしくほいあれ。心かろき人のつらにて、われに背き給ひなましかば」など、御対面の折々には、先づわが御心の長さをも、人の御心の重きをも、うれしく、思ふやうなり、と思しけり。こまやかに、ふる年の御物語など、なつかしう聞え給ひて、西の対へ渡り給ふ。




御凡帳を間に置いてあるが、少し動かし、そのままで、座っていらっしゃる。肌色のお召し物は、全く、美しさを引き立たせない色で、御髪も、大分少なくなっている。恥ずかしいほどではないが、かもじでも使い、お手入れされたほうが、いいのにと、私でなければ、愛想尽かしをするに違いない様子だが、このように世話をするのは、嬉しく本望である。もし、花散里が、心の変わりやすい女の一人で、自分から離れてしまったら、などと、お会いする時は、何よりも先に、ご自分の気の長さや、この人の性質の重々しさも、嬉しく、理想通りだと、思うのである。
心をこめて、旧年のお話しなどを、やさしくされて、西の対へ、お渡りになるのである。

かもじ、とは、現在のピアスに似たもの。耳飾など。

この、源氏の、心映えに対して、評価が高い。
一度、縁を結んだ女に対する、思いを、持続して、それなりに、付き合いを続け、更に、生活の世話をするという。




posted by 天山 at 04:51| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。