2012年08月21日

もののあわれについて575

初音

年たちかへるあしたの空のけしき、名残りなく曇らぬうららけさには、数ならぬ垣根のうちだに、雪間の草若やかに色づきはじめ、いつしかとけしきだつ霞に、木の芽もうちけぶり、おのづから人の心ものびやかにぞ見ゆるかし。ましていとど玉を敷けるお前は、庭よりはじめ見どころ多く、みがきまし給へる御方々のありさま、まねびたてむも言の葉たるまじくなむ。




年の改まる、元旦の朝の空模様は、一点の曇りなく、うららかゆえ、つまらない家でさえ、雪の消え間に、草が生き生きと、緑の色を見せ始め、待ちかねて、春らしく立つ霞に、木の芽も、萌え出て、それにつれて、人の気持ちも、のんびりとした感じがするのである。まして、玉を敷き並べ、美しく磨いた、六条の院では、庭をはじめ、見ごたえが多く、普段よりも、一層美しく飾り立てた、婦人方の住まいの有様は、言葉にしようと思っても、言葉が足りないほどである。

六条の院の新春である。

年たちかへる
拾遺集 素性法師 
あらたまの 年たちかへる あしたより 待たるるものは うぐひすの声




春のおとどのお前、とり分きて、梅の香も御簾のうちのにほひに吹きまがひて、生ける仏の御国とおぼゆ。さすがにうちとけて、安らかに住みなし給へり。侍ふ人々も、若やかにすぐれたるを、姫君の御方に、と、選らせ給ひて、少し大人びたる限り、なかなかよしよししく、装束有様よりはじめて、めやすくもてつけて、ここかしこに群れいつつ、歯固めの祝ひして、餅鏡をさへ取り寄せて、千年の蔭にしるき年のうちの祝ひごとどもして、そぼれあへるに、大臣の君、さしのぞき給へれば、懐手ひきなほしつつ、いとはしたなきわざかな、と、侘びあへり。




春の御殿の、お庭は、特別で、梅の香りも、御簾の中の薫物の香りと、取り違えるほど、風に吹き、この世での、浄土と思えるのである。やはり、他の方々と違い、ゆったりと、気楽になさっている。お仕えする女房たちも、若々しく、優れている者を、姫君付きとして選び、上の所には、少し年配の女房ばかりでも、かえって風情があり、衣装の様子など、体裁よく取り繕って、あちこちに群がり、歯固めの祝いをし、鏡餅まで取り寄せて、千年の長寿は、明らかながら、この一年の無事を願う祝いごとなど言い、ふざけあっている所へ、大臣の君が、覗かれたので、懐手を抜き、居ずまいを正して、行儀の悪いことと、きわり悪い思いである。




源氏「いとしたたかなる、みづからの祝ひごとどもかな。皆おのおの思ふことの道々あらむかし。少し聞かせよや。われことぶきせむ」とうち笑ひ給へる御有様を、年のはじめの栄えに、見奉る。われはと思ひあがれる中将の君ぞ、「「かねてぞ見ゆる」などこそ、鏡の影にも語らひ侍りつれ。わたくしの祈りは、何ばかりの事をか」など、聞ゆ。




源氏は、これは、大した、めいめいの祝い事だ。一同、それぞれ、願いの筋があるだろう。少し聞かせよ。私が、お前たちのために、祝ってあげようと、笑う様子は、新年の光栄と拝する。女房の中で、我こそはと、うぬぼれている中将の君が、「かねてぞ身ゆる」と鏡餅にも話しかけておりました。自分の祈りは、何ほどにいたしましょう、などと、申し上げる。

かねてぞ見ゆる
古今集
大伴黒主
近江のや 鏡の山を 立てたれば かねてぞ見ゆる 君が千年は

鏡の山を立てて、見れば、君の千年、ちとせ、先が見える。
教養をひけらかす、女房である。




あしたの程は、人々参りこみて、もの騒がしかりけるを、夕つ方、御方々の参座し給はむとて、心ことにひきつくろひ、化粧じ給ふ御影こそ、げに見るかひあめれ。源氏「けさ、この人々のたはぶれ交しつる、いと羨ましく見えつるを、上にはわれ見せ奉らむ」とて、乱れたること少しうちまぜつつ、祝ひ聞え給ふ。

上、とは、紫の上のこと。




朝の間は、年賀の人々が、たてこんで、騒々しいが、夕方、殿様は、婦人たちへの年賀の挨拶に、お出かけになろうとして、念入りに装束を整え、お化粧をされた、その姿は、本当に見飽きないほどである。源氏は、今朝、こちらの女房たちが、ふざけあっていたのを、羨ましく思いましたが、上には、私が、鏡餅を見せましょうと、おっしゃり、みだらな事を少し取り混ぜて、お祝いを申し上げる。




源氏
うす氷 とけぬる池の 鏡には 世にたぐひなき かげぞならべる

げにめでたき御あはひどもなり。


曇りなき 池の鏡に よろづ代を すむべきかげぞ しるく見えける

何事につけても、末遠き御契りを、あらまほしく聞え交し給ふ。今日は子の日なりけり。げに千年の春をかけて祝はむに、ことわりなる日なり。




源氏
春が来て、薄氷も解けて、鏡のように澄んでいる、池の面に、世の中に、またとない幸せな私たちの姿が、並んで映ります。

全く、その通りである。結構な夫婦仲である。


一点の曇りもない、鏡のような池の面に、いつまでも、変わらず、住んでゆく私たちの、影が、はっきりと映ります。

何事につけても、末永い夫婦の契りを、言いようもないほどに、語り合う今日は、子の日である。千年の長寿を祝うに、相応しい日だ。




posted by 天山 at 05:52| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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