2012年08月20日

性について214

性倒錯について、岸田秀氏の定義でみてきたが・・・

本来、私は、当然のことと思っている。
問題は、その行為が、反社会的行為になる時である。

幼児性愛・・・
自身で勝手に妄想して、遊んでいる分には、何ら問題はない。
そのための、ダッチ幼女まで、存在するのである。

更に、同性愛が、倒錯とは、言えない。
当然あって、然るべきもの。
異性間の性行為のみを、性行為の定義とすると、非常に狭くなるのである。

兎に角、人間は、多型倒錯の過程を経て、成熟してゆくものだと・・・
その幼児期を、脱却できず、性の成熟が歪むと、心理的というか、脳に倒錯の芽が残ると、考える。

時代は、誰もが、指摘するように、機械親和性困難の状態にある。

それは、自己を閉鎖空間に閉じ込めて、限りなく、内に向けるのである。
その相手をするのは、機械である。

核家族化であり、プライバシー尊重からか、個室で行われることに対して、無防備である。

そこで、極端な、虚妄の世界に入り込む若者がいる。
この世に、存在するものが、モノであり、記号になる。

簡単に葬り去っても、画面には、再生されて、甦る。

逸脱した脳ということになる。
殺す、切断する、焼く、という消去行為・・・
ビデオ映像の中に、遺体を閉じ込めて、更には、再生させて、楽しむ。

それが、行動の延長になると、犯罪が起こる。

このように、虚像に取り囲まれた、閉鎖性の中にあって、生身の人間と接しないと、限りなく、性的に幼児化した、人間になる。

その幼児化した人間が、平気で、反社会的行為を行う。
それが、様々な事件に現れている。

倒錯というより、異常性欲の方が、問題である。

性倒錯者が、逸脱行為すると、決め付けることは、出来ない。
自身で、その満足を得ているならば、問題ないからである。

マスターベーションが、逸脱した行為だとしても、誰にも、迷惑はかけないし、反社会的行為にはならない。
自己完結しているのである。

倒錯の芽は、誰にでもあるが、その強弱が違うこと、そして、それをどのように昇華させているのかが、問題である。

SM好きの、カップルが結婚した。
同じ傾向を持つ者同士である。
他人が、口を挟むことではない。

同性を愛する者が、よい相手を見つけて、一緒に暮らす。
何の問題も無い。

つまり、自己完結と、反社会的行為でなければ、成熟した性感覚を持つと、考える。

これが、幼児性愛で、幼児を拉致し、殺害するなどというのは、犯罪である。
そして、その生まれ育ちを考慮しても、犯罪者として、その罪を受けなければならない。

ちなみに、アメリカの精神医学会が、1980年に、性の逸脱を、大きく四つに分類している。
性同一性の障害
パラフィリア
性心理機能異常
その他の性心理異常

この中で、パラフィリアが、性倒錯に当る。
今まで書いたとおりである。

その他の性心理異常に、同性愛が上げられるが、今では排除されていることだろう。

パラフィリアに関して、驚くべきものがある。
糞便愛好、尿愛好である。

それが、すべて、幼児期、少年少女期における体験により、逸脱してしまうのである。
一々、実例を上げている暇がないので・・・

その中に、サド・マゾ専門の女性もいた。責め道具のおもちゃを見せてもらううちに彼女がポツリという。「スカトロっていうでしょう。私のウンチだけ食べに来る男の人がいるの」・・・無言でいる私に、たたみかけるような彼女の声。「私のうんこ硬くて小さくて味がいいらしいの」事もなげにいってのける。まだあどけなさの残る少女の顔を、私は呆然と見つめるだけだ。
性は生なり 大島清

その客層を聞いて、更に、驚く。
10,20代の若者なのである。
その若者たちも、幼児期から、何らかの、性的虐待を受けていた可能性がある。

現代の形相は、成熟した女性とのコミュニケーションが出来ない、更に、草食系などと言われて、セックスに興味を示さない。

そして、それらが相手にするのは、幼児や児童だとしたら・・・

トラウマを持つ者が、更に、トラウマを持つ者を作り出すという、連鎖的状況である。

人間の心の、原風景は、9歳までに、決まる。
それまでの、体験が、人生を大きく左右するのである。

今、社会に、教育に、何が求められているのだろうか・・・
子どもを守るには、どうすれば、いいのか・・・
更に、未成熟な性意識を持つ者たちを、どのように指導することが理想なのか・・・
育て直し体験か・・・



posted by 天山 at 07:49| 性について5 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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