2012年08月15日

天皇陛下について125

第五十六代清和天皇、858年から876年。

9歳で、御位に就かれた。

幼少のため、そこに出て来たのが、藤原氏である。
先祖の鎌足が、大功績をたてて以来、藤原氏は、引き続き、朝廷からの、信任を得ていた。その後、皇室との縁も深くなり・・・

清和天皇の摂政として、政治を摂るようになった。

鎌足の子である、不比等の子、四人が、公卿に列せられた。
奈良時代も、同じく朝廷からの信任厚く、不比等の娘の安宿媛が、聖武天皇の皇后となり、つまり、光明皇后である。そして、称徳天皇を、お生みになり、皇室との関係が益々深まるのである。

平安時代になると、不比等の子の房前の、曾孫である、冬嗣になり、その名が、大いに現れることになる。

その子、良房が非常に出世する。

良房は、桓武天皇の末、佐衛士尉、さえいじょう、という低い位から、仕えはじめて、嵯峨天皇の御代に、蔵人頭、くろうどのとう、になり、続いて、大納言、右大臣となり、政治に貢献した。

天皇は、皇女を良房に嫁がせ、その功を表するのである。

冬嗣も、第五十三代の、淳和天皇の御代に、左大臣となり、その娘は、第五十四代仁明天皇の女御となり、第五十五代の、文徳天皇を、生まれている。

良房は、仁明天皇の末から、右大臣となっていたが、天皇崩御により、文徳天皇が、お立ちになると、彼は天皇の、外伯父に当る上、自分の娘を天皇の女御に奉る。

右大臣、そして、太政大臣である。

本来は、皇族のみに与えられる職である。

そして、その後、延々と藤原氏が、その位に就くことになるのである。

更に、良房は、清和天皇が、9歳で即位されると、摂政であるから、その出世は、大変なことである。
だが、世の中も、それを認めていた。

臣下で、摂政は、初めてのことである。

この辺りから、藤原氏の策略が見えてくるのである。

清和天皇には、その上に三人の皇子がおられた。
特に、第一の皇子、惟喬親王は、ご賢明の名が高かった。

そのため、文徳天皇は、この皇子を、皇太子にと考えていた。
だが、皇子のご生母が、紀名虎の娘であったため、藤原氏に対し、遠慮されていたようである。

そのうちに、良房の考えで、皇子、惟仁親王が皇太子となった。
この時、皇子は、九ヶ月の幼児である。

惟喬親王は、失望されて、叡山の麓に隠れ住むことになる。

ゆえに、清和天皇は、ご成長ののちに、兄君たちをこえて、御位に就かれたことを、恥じて、27歳という若さで、御位を皇太子に譲られた。

清和天皇は、大変、仁慈に篤い御方であった。

貞観11年、869年、二十歳の時に、服御常膳、ふくぎょうじょうぜん、という、普段の着るもの、食べるものを、減じて、慈雨を祈られた。

そのお言葉である。
私は、徳うすく、才も乏しい身で、天子の位にのぼった。そして、祖宗の大業を受け継いで以来、いかにこれを守り、維持すべきかに心を砕いている。昔の故事をきいては、わが徳を恥ずかしく思い、朝は、まだ明けぬうちに衣を着て、夕べは、日暮れて後に食をとり、ひたすら、政務にいそしんでいる。
むかし、李子の世には、人々は、道に落ちたものを拾わなかったという。その時代と同じように、わが治める民を教化したいと、思っている。また、黄帝の時、国富み穀物も豊かで、犬でさえ、口にした粟を吐き出して、他の犬に与え、少しも争そわなかったという。私の治める国も、これに劣らぬように、富み栄えさせたいと、念じている。
ところが、この頃、天候が不順で、ひでりが続き、雨の降らぬこと、もう数十日におよんでいる。それでは、農民は、絶望である。そこで私は、諸々の神を祀り、また、僧侶をして、仏天に祈らせ、速やかに、慈雨を祈願している。
しかし、私の真心が、神仏に通じないゆえか、今日になるも、雨が降らず、民の憂いを、取り除くことが出来ない。
これは、全く、私の不徳のためで、民には、何の罪もない。
そこで、私みずからをせめ、深く畏れ慎み、ほとんど成すところを知らない。
そこで、今後は、私は、衣服や調度、また、いつもの食事は、適度に減らして欲しい。また、不必要なものは、なるべく節約するようにして欲しい。・・・

この後、左右馬寮の餌は、穀物に限り、当分の間、一切これを禁ずること。
行路病人の救済。
獄舎にいる者で、無実の者がいないかの、再調査。
年貢米の上納免除等々が、指示されている。

この同じ年、肥後の国に、大雨があり、多くの災害が生じた。
その時も、
民が一物でも失うのは、つまるところ、私の不徳のせいである。
と、仰せられた。

この天皇の、大御心は、現在までも、受け継がれている。

敗戦後の、昭和天皇も、しきりに、我が不徳の致すところと、仰せられていた。
今生天皇が、被災地、ご訪問を切に願われることも、その、御心の、現れである。

矢張り、世界のどこを探しても、このような、君主という存在は、見当たらないのである。

勿論、世界の中でも、偉業や、仁徳の優れた人は、現れた。しかし、それは、その一代限りである。

この、天皇の大御心の歴史は、今年、平成24年、2012年は、建国、2672年続いている。つまり、天皇の歴史である。
天皇は、国体であり、国体とは、国民と領土である。



posted by 天山 at 00:00| 天皇陛下について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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