2012年08月06日

神仏は妄想である。382

家、屋敷、庭園、祭り、そして、儀式の造りものなどの造形物、文芸などなど、それは、その時代の人たちの、趣味生活が反映されたもの。

平安中期、庭園の池には、蓬莱山などを作った。
明らかに、道教の影響である。

更に、驚くべきは、大嘗祭の造りものなど・・・・

仁明天皇即位は、天長十年、西暦833年である。
その、11月15日、大嘗会、だいじょうえ、が行われた。

その折の、興を支える、最大のものとして、悠記、ゆき、と、主基、すき、の標が建てられた。

悠記の標は、山を造り、上に桐を植えて、二羽の鳳凰をとまらせた。その樹から、五色の雲を靡かせ、悠記近江の、四文字を浮かび上がらせる。その上に、日輪と、半月輪をかたどり、山の前には、天老と、神獣のキリンの像を供え、その後に連理の竹を配する。

主記の方は、省略するが、道教の神仙思想、一色なのである。

即位の大礼は、皇室にとっては、大和朝廷形成以来の、重大事である。
律令国家として、ことに国家の重要事の一つとして、最も、重視させてきたのである。

大嘗祭は、特に、天皇一代一度という、大典として、即位礼の重要構成要素であり悠記、主基が、その中心的標をなしていたという、事実。

大陸の、文化、思想を受けたにせよ、律令国家としては、儒教や仏の荘厳さが、自然と思うが、何と、道教の、それも、成立道教という確立したものではなく、民衆道教の影響を受けたということに、驚くばかりである。

9世紀前半の、平安宮廷最盛期に、固有のものでもなく、更に、儒教でも、仏教でもなく、神仙思想が受け入れられたということ。
不老長生に、慶賀の意を集約したということが、驚きなのである。

とすると、相当に、神仙思想が、普及していたであろうこと。

神仙思想は、本来日本人のもっていた現実的傾向に一つの方向を与えるのに有力な作用を及ぼした。これが根底にあったればこそ、あたかも文字上の遊戯や趣向の変化と思われるほど、儒、仏、道の思想的な関係にこだわることもなく、外見的にはきわめて無造作に貴族たちの心理に投じえたのだと思うのである。
下出

更に、精神的優美性、耽美性・・・

空海も書いた通り、貴族たちの、自然観と、人生観の調和、それがもっとも、大きな分野を占めていたということだ。

元来、古代日本人は、自然を人生と対立するものとは、認識していなかった。
そして、人生観は、現実肯定的なものだった。

仏教の教える、仮の宿、憂き穢れある世界と、見る事がなかったのである。

あるがままの、自然、それが、最も歓迎すべきものだった。
後に出てくる、この世は、憂き世であり、俗世を離れて、山里に入るなどという考え方は、なかったのである。

ただ、救いは、道教のすべてを取り入れたわけではない、ということだ。
矢張り、日本流にアレンジしたのである。

仏教からのもの・・・
それが大半を占めると、考えていると、誤るのである。

逆に、道教によって、仏教が支えられたともいえるのである。
更に、神道も、である。

今に至るまで、その道教の影響が延々と続いている。
それは、もう、無意識の中に入り込み、如何ともし難い。
だが、歴史とは、そういうものである。

入り乱れ、統一され、そして、再度、混乱し、統一される。
その繰り返しを歴史は、教える。

恐るべき、妄想の道教・・・




posted by 天山 at 05:10| 神仏は妄想である。第8弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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