2012年08月21日

もののあわれについて575

初音

年たちかへるあしたの空のけしき、名残りなく曇らぬうららけさには、数ならぬ垣根のうちだに、雪間の草若やかに色づきはじめ、いつしかとけしきだつ霞に、木の芽もうちけぶり、おのづから人の心ものびやかにぞ見ゆるかし。ましていとど玉を敷けるお前は、庭よりはじめ見どころ多く、みがきまし給へる御方々のありさま、まねびたてむも言の葉たるまじくなむ。




年の改まる、元旦の朝の空模様は、一点の曇りなく、うららかゆえ、つまらない家でさえ、雪の消え間に、草が生き生きと、緑の色を見せ始め、待ちかねて、春らしく立つ霞に、木の芽も、萌え出て、それにつれて、人の気持ちも、のんびりとした感じがするのである。まして、玉を敷き並べ、美しく磨いた、六条の院では、庭をはじめ、見ごたえが多く、普段よりも、一層美しく飾り立てた、婦人方の住まいの有様は、言葉にしようと思っても、言葉が足りないほどである。

六条の院の新春である。

年たちかへる
拾遺集 素性法師 
あらたまの 年たちかへる あしたより 待たるるものは うぐひすの声




春のおとどのお前、とり分きて、梅の香も御簾のうちのにほひに吹きまがひて、生ける仏の御国とおぼゆ。さすがにうちとけて、安らかに住みなし給へり。侍ふ人々も、若やかにすぐれたるを、姫君の御方に、と、選らせ給ひて、少し大人びたる限り、なかなかよしよししく、装束有様よりはじめて、めやすくもてつけて、ここかしこに群れいつつ、歯固めの祝ひして、餅鏡をさへ取り寄せて、千年の蔭にしるき年のうちの祝ひごとどもして、そぼれあへるに、大臣の君、さしのぞき給へれば、懐手ひきなほしつつ、いとはしたなきわざかな、と、侘びあへり。




春の御殿の、お庭は、特別で、梅の香りも、御簾の中の薫物の香りと、取り違えるほど、風に吹き、この世での、浄土と思えるのである。やはり、他の方々と違い、ゆったりと、気楽になさっている。お仕えする女房たちも、若々しく、優れている者を、姫君付きとして選び、上の所には、少し年配の女房ばかりでも、かえって風情があり、衣装の様子など、体裁よく取り繕って、あちこちに群がり、歯固めの祝いをし、鏡餅まで取り寄せて、千年の長寿は、明らかながら、この一年の無事を願う祝いごとなど言い、ふざけあっている所へ、大臣の君が、覗かれたので、懐手を抜き、居ずまいを正して、行儀の悪いことと、きわり悪い思いである。




源氏「いとしたたかなる、みづからの祝ひごとどもかな。皆おのおの思ふことの道々あらむかし。少し聞かせよや。われことぶきせむ」とうち笑ひ給へる御有様を、年のはじめの栄えに、見奉る。われはと思ひあがれる中将の君ぞ、「「かねてぞ見ゆる」などこそ、鏡の影にも語らひ侍りつれ。わたくしの祈りは、何ばかりの事をか」など、聞ゆ。




源氏は、これは、大した、めいめいの祝い事だ。一同、それぞれ、願いの筋があるだろう。少し聞かせよ。私が、お前たちのために、祝ってあげようと、笑う様子は、新年の光栄と拝する。女房の中で、我こそはと、うぬぼれている中将の君が、「かねてぞ身ゆる」と鏡餅にも話しかけておりました。自分の祈りは、何ほどにいたしましょう、などと、申し上げる。

かねてぞ見ゆる
古今集
大伴黒主
近江のや 鏡の山を 立てたれば かねてぞ見ゆる 君が千年は

鏡の山を立てて、見れば、君の千年、ちとせ、先が見える。
教養をひけらかす、女房である。




あしたの程は、人々参りこみて、もの騒がしかりけるを、夕つ方、御方々の参座し給はむとて、心ことにひきつくろひ、化粧じ給ふ御影こそ、げに見るかひあめれ。源氏「けさ、この人々のたはぶれ交しつる、いと羨ましく見えつるを、上にはわれ見せ奉らむ」とて、乱れたること少しうちまぜつつ、祝ひ聞え給ふ。

上、とは、紫の上のこと。




朝の間は、年賀の人々が、たてこんで、騒々しいが、夕方、殿様は、婦人たちへの年賀の挨拶に、お出かけになろうとして、念入りに装束を整え、お化粧をされた、その姿は、本当に見飽きないほどである。源氏は、今朝、こちらの女房たちが、ふざけあっていたのを、羨ましく思いましたが、上には、私が、鏡餅を見せましょうと、おっしゃり、みだらな事を少し取り混ぜて、お祝いを申し上げる。




源氏
うす氷 とけぬる池の 鏡には 世にたぐひなき かげぞならべる

げにめでたき御あはひどもなり。


曇りなき 池の鏡に よろづ代を すむべきかげぞ しるく見えける

何事につけても、末遠き御契りを、あらまほしく聞え交し給ふ。今日は子の日なりけり。げに千年の春をかけて祝はむに、ことわりなる日なり。




源氏
春が来て、薄氷も解けて、鏡のように澄んでいる、池の面に、世の中に、またとない幸せな私たちの姿が、並んで映ります。

全く、その通りである。結構な夫婦仲である。


一点の曇りもない、鏡のような池の面に、いつまでも、変わらず、住んでゆく私たちの、影が、はっきりと映ります。

何事につけても、末永い夫婦の契りを、言いようもないほどに、語り合う今日は、子の日である。千年の長寿を祝うに、相応しい日だ。




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2012年08月22日

もののあわれについて576

姫君の御方に渡り給へれば、わらは、しもづかへなど、お前の山の小松、引き遊ぶ。若き人々のここちども、おきどころなく見ゆ。北のおとどより、わざとがましく集めたるひげこども、わりごなど奉れ給へり。えならぬ五葉の枝に、うつるうぐひすも、思ふ心あらむかし。




明石の姫君の所へ、おいでになると、女の童や下女などが、庭の築山の小松を引いて、遊んでいる。若い女房たちの気持ちは、じっとしていられない程のようだ。北の御殿、明石の御方から、わざわざ苦心して集めたらしい、竹の篭や、折箱などを差し上げなされた。何とも言いようの無い、良い形の五葉の松の枝に、留まる鶯も、若い女房と同じ心であろう。




明石
年月を まつにひかれて 経る人に けふうぐひすの 初音きかせよ

音せぬ里の」と、聞え給へるを、げにあはれと思し知る。こといみも、えし給はぬけしきなり。源氏「この御返りは、みづから聞え給へ。初音惜しみ給ふべき方もあらずかし」とて御すずり取りまかなひ、書かせ奉らせ給ふ。いとうつくしげにて、明け暮れ見奉る人だに、飽かず思ひ聞ゆる御有様を、今までおぼつかなき年月の隔たりけるも、罪えがましく、心苦し、と思す。

姫君
ひき別れ 年は経れども うぐひすの 巣立ちし松の 根を忘れめや

幼き御心にまかせて、くだくだしくぞある。




明石
長い年月、小松の成長を待ち続けて過ごした私に、今日は、初音を、お聞かせください。
鶯の声も聞えない所です、と、書いてよこしたものを、殿様は、いかにも、かわいそうに、と、思う。
元旦に、縁起でもなく、涙がこぼれそうになった。源氏は、このご返事は、ご自分で差し上げなさい。あなたが、初音を惜しむべき人ではないのですよ、と、硯の用意をして、お書かせになる。姫の様子は、とても可愛く、昼も夜も、始終拝している人でさえ、見飽きないと思う姿を、今日まで、逢わせないでいた、年月の長さも、罪なことをしたと思い、気の毒だと、思うのである。

姫君
お別れして、年は経ちましたけれど、鶯は、私は、巣立ちした松の根を、母君を忘れましょうか。
子供心に、ごたごたしています。

最後は、作者の言葉。

小松、とは、姫君のことであり、姫君の歌の鶯は、自分のことを言う。

姫君は、紫の上に、育てられているのである。




夏の御すまひを見給へば、時ならぬけにや、いと静かに見えて、わざと好ましきこともなく、あてやかに住みなし給へるけはひ見えわたる。年月にそへて、御心の隔てもなく、あはれなる御なからひなり。今はあながちに近やかなる御有様ももてなし聞え給はざりけり。いとむつまじくありがたからむいもせの契りばかり、聞え交し給ふ。




夏の御殿を御覧になると、季節はずれのせいか、たいそう静かな感じで、ことさらに、風流に見せることもなく、品よく、暮らしておられる様子が、どこにも、見えている。年月の経つにつれて、お互いに、隠し立てなどせず、心打つ、お二方の間である。
もう今は、共寝することもない。大変仲良く、他にはないような、信頼の言葉を語り合うのである。

花散里の新春である。

あはれなる御なからひなり
人と人の、関係にも、あはれ、なる様子がある。
つまり、多くを語らずとも、感じあう間である。
あらゆる事物に関しての、心象風景だけではなく、心のあり様までも、あはれ、の一言により、表現するという、あはれ、の進化である。




御凡帳隔てたれど、少し押しやり給へば、またさておはす。はなだけばににほひ多からぬあはひにて、御髪なども、いたく盛り過ぎにけり。やさしき方にあらねど、えびかづらしてぞ繕ひ給ふべき。「われならざらむ人は、見ざめしぬべき御有様を、かくて見るこそ、うれしくほいあれ。心かろき人のつらにて、われに背き給ひなましかば」など、御対面の折々には、先づわが御心の長さをも、人の御心の重きをも、うれしく、思ふやうなり、と思しけり。こまやかに、ふる年の御物語など、なつかしう聞え給ひて、西の対へ渡り給ふ。




御凡帳を間に置いてあるが、少し動かし、そのままで、座っていらっしゃる。肌色のお召し物は、全く、美しさを引き立たせない色で、御髪も、大分少なくなっている。恥ずかしいほどではないが、かもじでも使い、お手入れされたほうが、いいのにと、私でなければ、愛想尽かしをするに違いない様子だが、このように世話をするのは、嬉しく本望である。もし、花散里が、心の変わりやすい女の一人で、自分から離れてしまったら、などと、お会いする時は、何よりも先に、ご自分の気の長さや、この人の性質の重々しさも、嬉しく、理想通りだと、思うのである。
心をこめて、旧年のお話しなどを、やさしくされて、西の対へ、お渡りになるのである。

かもじ、とは、現在のピアスに似たもの。耳飾など。

この、源氏の、心映えに対して、評価が高い。
一度、縁を結んだ女に対する、思いを、持続して、それなりに、付き合いを続け、更に、生活の世話をするという。


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2012年08月23日

もののあわれについて577

まだいたくも住み慣れ給はぬ程よりは、けはひをかしくしなして、をかしげなる童の姿なまめかしく、人かげあまたして、御しつらひ、あるべき限りなれども、こまやかなる御調度は、いとしも整へ給はぬを、さる方にもの清げに住みなし給へり。正身も、「あなをかしげ」と、ふと見えて、山吹にもてはやし給へる御かたちなど、いとはなやかに、ここぞ曇れる、と見ゆる所なく、くまなくにほひきらきらしく、見まほしき様ぞし給へる。もの思ひに沈み給へる程のしわざにや、髪の裾少し細りて、さはらかにかかれるしも、いともの清げに、ここかしこいとけざやかなる様し給へるを、「かくて見ざらましかば」と思ほすにつけては、うしも見過ぐし給ふまじくや。




まだ、住み慣れた様子ではないが、お部屋の感じを趣味よくされて、可愛い女の童の姿も、美しく、女房の数も多く見える。部屋の設備も必要なだけはあるが、細々した、身の回りの品々は、充分に揃っていない。それでも、それなりに整って、住んでいる。本人も、ああ美しい、と、見た途端に思えて、山吹の装束で、一段と引き立って見えるお姿など、とても華やかで、ここが暗いと思われる所などなく、隅から隅まで、美しくきらびやかで、いつまでも、見ていたい様子である。辛い思いの生活をしていたせいか、髪の裾が少し少なくて、さらりと、衣装の裾にかかっている。それが、大変こざっぱりとして、あちらこちらが、くっきりと鮮やかな様子であるのを、こうして手許に引き取らなかったら、と、思う。どうして、このままにしておられようか。と、源氏は、見ている。

玉葛の部屋に、伺う源氏である。

きらきらしく
視覚的な美しさであり、派手やかな様子である。




かくいと隔てなく見奉りなれ給へど、なほ思ふに、隔たり多くあやしきが、うつつのここちもし給はねば、まほならずもてなし給へるも、いとをかし。源氏「年頃になりぬるここちして、見奉るも心安く、本意かなひぬるを、つつみなくもてなし給ひて、あなたなどにも渡り給へかし。いはけなきうひごとならふ人もあめるを、もろともに聞きならし給へ。うしろめたく、あはつけき心もたる人なき所なり」と聞え給へば、玉葛「宣はせむままにこそは」と聞え給ふ。さもあることぞかし。




このように、直に、始終お会いしているが、それでも、考えてみると、打ち解けられず、おかしな感じで、夢を見ているような気もする。お任せして、打ち解けない様子だが、男の気をそそるのである。源氏は、もう長年になるような気がして、お目にかかっても、気楽で、思い通りになったのですから、遠慮しないで、あちらの方などへも、お出かけなさい。初めての手ほどきを受けている者もいますから、一緒に稽古をするといい。気の許せない、おしゃべりは、しませんよ、と、申し上げる。玉葛は、仰せの通りにいたします、と、申し上げる。適当な返事です。

最後は、作者の言葉。

明石の姫君が、琴の手ほどきを受けている。そこに、いらっしゃいと、誘うのである。

まほならず もてなし 給へるも
源氏を警戒して、中々、打ち解けない様子である。

いとをかし
面白いという意味だが、男女の仲では、気をそそる意味にもなる。

あはつけき心もたる人なき所
ペラペラと、余計なことを、口にする人ではないという意味。
紫の上を言う。




暮れ方になる程に、明石の御方に渡り給ふ。近き渡殿の戸おしあくるより、御簾のうちのおひ風、なまめかしく吹きにほはして、物より殊にけだかく思さる。正身は見えず。いづらと見まはし給ふに、硯のあたりにぎははしく、冊子ども取り散らしたるを、取りつつ見給ふ。唐の東京錦の、ことごとしき縁さしたるしとねに、をかしげなる琴うち置き、わざとめきよしある火桶に、侍従をくゆらかして、物ごとにしめたるに、衣被香の香のまがへる、いとえんなり。




日暮れになる頃に、明石の御方の所においでになる。その御殿に近い、渡り廊下の戸を押して開けると、御簾の中から、焚き染めた香を吹き送る風が、素晴らしく、匂いを吹き漂わせるので、何よりもすぐれて、気品が高いと思う。肝心の、本人の姿が、見当たらない。どこかと、辺りを見回すと、硯の周囲が賑やかで、冊子ななどが、取り散らかしてあるのを、一つ一つ、手に取り挙げて、御覧になる。舶来の東京錦に、仰々しく縁取りをした、褥に、美しい琴を置き、意匠をこらした風流な火鉢に、侍従番をくゆらせて、あらゆるものを、焚き染めてあるのに、えび香の香りが混じっているのは、実に、あでやかな趣である。

東京錦、とは、唐の洛陽のことである。




手習ひどもの乱れうちとけたるも、筋かはり、ゆえある書きざまなり。ことこどしう草がちなどにもざえがらず、めやすく書きすましたり。小松の御返りを、めづらしと見けるままに、あはれなる故事ども書きまぜて、

明石
めづらしや 花のねぐらに 木づたひて 谷のふる巣を とへる鶯

「声待ち出でたる」などもあり。「咲ける岡辺に家しあれば」など、ひき返しなぐさめたる筋など書きまぜつつあるを、取りて見給ひつつほほえみ給へる、はづかしげなり。



手習いした、紙が無造作に置いてあるのも、手の筋が変わっていて、趣ある書き振りである。大仰に草体を多く使うなどして、気取ることもなく、程よく、落ち着いた書き振りである。姫君からの、小松の歌のご返事を、珍しいと見ていたついでに、心うつ古歌などを書き込んで、

明石
珍しいことです。美しい住処に住んでいて、谷間の古巣を訪ねる、鶯です。
待っていた、その声、などとある。花の咲く岡近くに、家もあることだから、など、気を取りなおして、わが身を慰めた意味の歌など、書き込んであるのを、手に取り、御覧になって微笑むのは、恐れ入るほどの、美しさである。

あはれなる故事ども
心うつ歌・・・身に沁みる歌である。
古今
梅の花 咲ける岡辺に 家しあれば ともしくもあらず 鶯のこえ

それを見ている、源氏の姿が、恐れ入るほど、美しいというのである。


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2012年08月24日

もののあわれについて578

筆さしぬらして書きすさみ給ふ程に、いざり出でて、さすがに自らのもてなしは、かしこまりおきて、めやすき用意なるを、なほ人よりは異なり、と思す。白きに、けざやかなる髪のかかりの、すこしさはらかなる程に薄らぎにけるも、いとどなまめかしさ添ひて、なつかしければ、新しき年の御さわがれもや、とつつましけれど、こなたにとまり給ひぬ。なほおぼえ異なりかし、と方々に心おきて思す。南のおとどには、ましてめざましがる人々あり。




筆をしめして、戯れ書きをされているところに、明石がにじり出て、それでも態度は、慎み深く、程よい心がけである。源氏は、矢張り他の人と違う、と思う、白い装束に、くっきりとかかる髪の具合が、はらりとするほど、少なくなっているのも、一層、優美があり、惹き付けられる。新年そうそう、騒がれることか、と、遠慮されるが、明石の所に、お泊りになった。矢張り、明石への愛情は、違うのだと、源氏は、方々の婦人を気にしている。紫の上の御殿では、一層、酷いことと思う女房達がいた。

御さわがれもや
紫の上の嫉妬を考えたのである。




まだ曙の程に渡り給ひぬ。かくしもあるまじき夜深さぞかし、と思ふに、なごりもただならずあはれに思ふ。待ちとり給へる、はた、なまけやしと思すべかめる心の中、はかられ給ひて、源氏「あやしき仮寝をして、若々しかりけるいぎたなさを、さしもおどろかし給はで」と、御気色とり給ふもをかしく見ゆ。ことなる御答もなければ、わづらはしくて、空寝をしつつ、日高く大殿籠りおきたり。




まだ、薄明るい頃に、お戻りになった。明石は、こんなに暗いうちでなくとも、と思うと、送り出した後、無性に寂しい気がする。待ちうけたほうでも、これまた、面白くない様子、と思うはずの気持ちが察せられて、源氏は、とんだうたた寝をして、子供のように、眠りこけたのを、起こしても下さらず、と、紫の上に、ご機嫌を取るのも、面白いことだ。特に、返事もないので、面倒なことになったと、たぬき寝入りをして、日が高くなってから、起きられた。

なごりもただならず あはれに 思ふ
名残も、そくそくとして、何か物足りない気持ちが、あはれ、なのである。




今日は臨時客の事に紛らはしてぞ、おもがくし給ふ。上達部親王達など、例の、残るなく参り給へり。御遊びありて、引出物、禄など二なし。そこらつどひ給へるが、われも劣らじともてなし給へる中にも、すこしなずらひなるだに見え給はぬものかな。とり放ちては、有職多くものし給ふ頃なれど、御前にてはけおされ給ふ、わろしかし。何の数ならぬ下部どもなどだに、この院に参るには、心づかひことなりけり。まして若やかなる上達部などは、思ふ心などものし給ひて、すずろに心懸想し給ひつつ、常の年よりも異なり。花の香さそふ夕風、のどかにうち吹きたるに、御前の梅やうやうひもときて、あれはたれ時なるに、物のしらべども面白く、「この殿」うち出でたる手拍子、いとはなやかなり。大臣も時々声うち添へ給へる福草の末つ方、いとなつかしうめでたく聞ゆ。何事も、さしいらへし給ふ御光にはやされて、色をも音をもますけぢめ、ことになむ分れける。




今日は、臨時の客にかこつけて、顔をお見せにならない。上達部や、親王達などが、いつものように、残らず、おいでになった。管弦の御遊びがあり、お客への引出物や、禄など、よそにないほどである。数多く集まる方々が、人に負けぬようにと、振舞っている様子で、すこし肩を並べられそうな人にさえ、そのように見えない。一人一人、別に見れば、才学ある方が、沢山いる当時だが、殿様の御前では、圧倒されてしまうのは、困ったことです。人並みでもない下人どもでさえ、この六条の院に伺う時には、気の配りようが、格別である。まして、若々しい上達部などは、心に思うところあり、何となく、緊張して、いつもの年とは、違っている。
花の香りを引き出すような、夕風が、のどやかに吹いて、庭の前の梅の花も、次第にほころび始め、夕暮れ時、管弦の合奏が面白く、この殿、と謡い出した拍子は、とても派手な感じだ。大臣も、時折、声を添えて、福草の終わりの部分は、大変優しく、立派に聞える。何もかも、少し、相槌を打たれると、そのお蔭で、色も音も、勝るけじめが、はっきりと見えるのである。

顔を見せないのは、紫の上に、源氏が、である。
昨夜のこともあり・・・

思ふ心などものし給ふ
上達部は、玉葛に、思いを寄せているのである。

すずろに心懸想し給ひつつ
何となく、緊張しているのである。

この殿、とは、催馬楽の歌詞である。

平安宮廷の雅の様である。




かくののしる馬車の音をも、物隔てて聞き給ふ御方方は、蓮の中の世界にまだ開けざらむ心地もかくや、と心やましげなり。まして東の院に、離れ給へる御方々は、年月に添へて、つれづれの数のみまされど、世のうきめ見えぬ山路に思ひなずらへて、つれなき人の御心をば、何とかは見奉りとがめむ、その外の心もとなく寂しきこと、はたなければ、行ひの方の人は、そのまぎれなく勤め、仮名のよろづの冊子の学問、心に入れ給はむ人は、またその願ひに従ひ、ものまめやかにはかばかしき掟にも、ただ心の願ひに従ひたる住ひなり。




このように、騒がしい、馬や牛車の音をも、直に聞き慣れない御婦人方は、極楽で蓮の花が開かないでいる時の気持ちが、こういうものかと、気が晴れないようである。更に、二条の東の院に離れて住む方々は、年月の経つにつれて、所在ない事ばかり多くなってゆくのだが、憂き世の辛さのない山に逃れたつもりで、冷たい人の心を、何といって、咎めることがあろうかと。そのこと以外に、心配で、寂しいことは別に無いゆえ、仏道に志す空蝉は、気を散らさずに勤行し、仮名書の色々な書物の学問に、熱心な末摘花は、希望通りにされて、実生活の決まりも、婦人方の希望通りの生活をしている。

空蝉、末摘花のことなど、主語がないので、戸惑う。
これを知るには、研究家たちの、努力の甲斐あってのもの。

世のうきめ見えぬ山路・・・
古今
世のうきめ 見えぬ山路へ 入らむには 思ふ人こそ ほだしなりけれ

はかばかしき掟
色々と細かな、決まりごとである。

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2012年08月25日

もののあわれについて579

さわがしき日頃過ぐして渡り給へり。常陸の宮の御方は、人の程あれば、心苦しく思して、人目のかざりばかりは、いとよくもてなし聞え給ふ。いにしへ盛りと見えし御若髪も、年頃に衰へゆき、まして滝の淀み恥づかしげなる御かたはらめなどを、いとほしと思せば、まほにも向ひ給はず。柳はげにこそすさまじかりけれ、と見ゆるも、着なし給へる人がらなるべし。光もなく黒きかいねりの、さいざいしく張りたる一襲、さる織物のうちぎを着給へる、寒げに心苦し。かさねのうちぎなどは、いかにしなしたるにかあらむ。御鼻の色ばかり、霞にも紛るまじくはなやかなるに、御心にもあらずうち嘆かれ給ひて、ことさらに御凡帳引き繕ひ隔て給ふ。なかなか女はさしも思したらず、今はかくあはれに長き御心の程を隠しきものに、うちとけ頼み聞え給へる御様あはれなり。かかる方にも、おしなべての人ならず、いとほしく悲しき人の御さまと思せば、あはれに、われだにこそは、と、御心とどめ給へるも、あり難きぞかし。




忙しい、幾日かを過ごして、東の院に、お出でになった。常陸の宮の姫君、つまり、末摘花の所は、身分があるので、気の毒に思いになり、人前の体裁だけは、とても行き届いた扱いである。昔は、豊に見えた若い盛りの黒髪も、年とともに、少なくなり、まして、滝の水にも負けない、白髪まじりの横顔など、かわいそうに、と思うので、真正面から向き合うこともしない。贈った柳の装束は、全く面白みのないものと、思えるものを、お召しになるのは、人柄ゆえだろう。光沢なく、黒ずんだかいねり絹の、さわさわ音がするほど、張った一襲の上に、このような織物の、うちぎを着ているのは、寒そうで、気の毒である。重ねる、うちぎなどは、一体、どうしてしまったのか。鼻の色だけは、霞に隠れそうになく、はっきりとしているので、心にもなく、ため息をついて、わざわざ、御凡帳を置いて、隔てをおいている。かえって、女の方は、それ程と思っていないのか、今は、こうした情けのこもる変わらない心の程を、心安いものと、気を許して、頼りにされている様子は、心が打たれる。このような生活でも、人並みではなく、気の毒で、悲しい境遇だと思うと、可哀相で、せめて、私だけでも、と、心にかけているのも、世間には、珍しいことである。

今はかくあはれに
御様あはれなり
あはれに
源氏は、末摘花をあはれと思うが、本人は、気づかないでいる。

年を取り、あはれ。
その様、あはれ。
そして、源氏が、あはれ、と思う。

あはれ、という言葉が、三度も、使われている。

源氏が、その、あはれ、に、ため息をつくが・・・
女はさしも思したらず
女は、何とも思っていないのである。

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2012年08月26日

国を愛して何が悪い26

日韓併合の、朝鮮総督府の活動は、まだまだある。
しかし、一度、終わりにして、いずれまた、再度取り上げることにする。

そこで、今、問題になっている、従軍慰安婦問題に関して、少し書く。

韓国は、政権末期になると、必ず反日運動が盛り上がる。
盛り上がるのは、当然で、それ以外に盛り上がるものを持たないのである。
彼らの、唯一の、国家国民としてのアイデンティティは、反日なのである。

つまり、いつまでも、日本から、独立できないのである。
成長できない、障害を持つ国・・・

昨年、12月、ソウル中心部の日本大使館前に、元慰安婦支援団体が、慰安婦像を設立した。

更に、反日抗議運動、3・1独立運動を記念する式典で、大統領が、元慰安婦への補償請求問題について、すぐに解決しなければならない人道的問題だと、演説している。

すでに、解決済みの問題である。
解決済みの問題を、繰り返すというのは、ノイローゼと同じ状態である。

韓国人の、九割は、精神疾患と、確認すべきである。

更に、同じ月、米ニューヨーク韓国人会は、ニュージャージー州の、公立図書館内に、従軍慰安婦の追悼碑を設置した。今後も、全米各地で、次々と追悼碑を建てるという。

そして、ソウル市内に、慰安婦に関する資料を集めた、戦争と女性と人権博物館を開設した。政府が、3500万円提供したという。

それに比べて、日本政府、日本人は、アメリカに対して、一般市民を攻撃した、各地方都市への空爆、そして、原爆投下に対して、一度たりとも、抗議も、補償も言わない。明らかに、国際法を破ってのものであっても・・・

100万人以上の死者を出しているのに・・・

韓国の選挙が近づくと、左派が反日を掲げ、保守派も、やむなく反日のポーズをとる。そして驚きは、朝日新聞などが、それを増長させるという。

朝日新聞の記者は、昔、自分たちの先輩が書いた記事を、読まないらしい・・・

さて、従軍慰安婦の問題の発端は、昭和58年、1983年、吉田清治という人が、その著書、私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録の中で、昭和18年、軍の命令で、韓国斉州島で女性を強制連行して、慰安婦にしたという体験を発表した。

しかし、この体験は、その後の現地調査で、創作であったことが、明らかにされ、本人も、それを認めたのである。

だが、平成4年1月11日、朝日新聞が宮沢首相の韓国訪問の前に、一面トップで、慰安所、軍関係示す資料、部隊に設置指示、募集含め統制・監督と、報道したのである。

それにより、ソウル市内では、抗議、糾弾のデモ、集会が相次ぎ、宮沢首相は、首脳会談で、謝罪を繰り返し、真相究明を約束したのである。

ここで、軍が慰安所を設けることは、違法ではないということ。

敗戦後に、米軍が、日本と韓国に、慰安所を作らせた。強制連行ではなく、希望者を募るのである。

さて、韓国軍がベトナムに進駐した時に、どんなことを行ったか・・・
人道的に許せぬことである。

ベトナム女性を強姦したり、現地婚で、置き去りに去れた孤児が、数千から、数万人の規模で発生しているのである。

人権を言うならば、それである。

問題は、軍が関与したのかである。
この関与とは、慰安婦を募集する民間業者の中に、募集の方法誘拐に類し警察当局に検挙取調べを受けるものある等注意を要す、警察当局との連携を密にし・・・社会問題上遺漏なき様配慮せよ、というものである。

これが、軍の関与である。

だが、朝日新聞は、軍が強制連行したかのように、報道したのである。
意図的である。
何故・・・
日本の新聞が意図的に、そんな報道をするのか・・・

それが、解らないのである。
私は、相当に先祖の因縁が悪い人たちの集まりだと、言う。

戦前の朝鮮では、以前も書いたとおり、婦女子を誘拐して娼妓として、売り飛ばす悪徳業者が多数存在した。
そして、それらの、悪徳業者を、朝鮮総督府が、いかに、苦心して取り締まったか。
それを、当時の朝日新聞が、報道しているのである。

その、先輩たちの記事を読むこともなく・・・

更に、日本統治時代に創刊された、現在では、韓国の三大紙の一つになっている、東亜日報でも、同様の報道がされている。

この、東亜日報は、全面、漢字と、ハングルで書かれている。

日本統治時代に創刊された、新聞にハングルである。
以前に書いたように、日本が、進んでハングルを復活させた証明でもある。

朝鮮総督府の警察は、日本人と韓国人によって、構成・運営されていた。両者が、協力して、婦女子を誘拐し、売り飛ばす悪徳業者を取り締まっていたのである。

更に、警察は、誘拐防止だけではなく、朝鮮人娼妓の、劣悪な待遇を見かねて、自前制度を、認めるという改革にも、乗り出している。
自前制度とは、娼妓の個人営業を認めて、雇い主による搾取から、救い出そうと制度である。

娼妓制度は、合法的なものとして、娼妓たちへの、不当な搾取は、許さないというものである。

それでさえ、日本が行わなければ、今の韓国は、どうなっていたか・・・
勿論、今でも、売春立国であるが・・・

朝鮮は、伝統的に、女性蔑視である。
総督府は、その中で、女性を守るための法改正、制度改正を推し進めたのである。

その一つに、再婚を認めるというものがある。

再婚を許さぬ風習により、累々たる幼児殺しが行われていたのである。
要するに、不義の子として、始末するというもの。

寡婦の再婚は、絶対に認めないという、朝鮮古来からの、風習を改善したのも、総督府である。

何故、韓国人は、正しい歴史認識を持たないのか・・・
それは、教えないからである。
そして、何度も言うが、反日のみが、国民国家としての、自己同一性なのである。


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2012年08月27日

国を愛して何が悪い27

世界史というと、中学、高校の教科書では、すべて西洋史のことであった。
それに対して、あまり疑問を持たず、世界史と、意識していた。

特に、私の場合は、イギリスの産業革命が、印象的だった。
ここから、始まったのだ・・・・
という、思いである。
そして、日本は、明治期に、それを真似た・・・

ところが、イギリスの産業革命が、植民地支配により、搾取して成されたものだと、知ることになる。
そこから、どんどんと、疑問が湧いた。
誰も、教えてくれる人がいない。
故に、自分で調べることになる。

そして、驚くのである。
白人支配というもの。白人主義というもの・・・

1492年、コロンブスの米大陸到着からはじまる、白人の世界侵略である。
それ以降、白人たちは、鉄砲と、更に、十字架を掲げて、残虐非道な手段で、全世界を支配下に収めるという・・・

この、十字架は、カトリックである。
その排他的、攻撃的な行動は、どこからのものか・・・
十字軍遠征からのものである。

そして、カトリックは、未だに、それに対する謝罪など一切していない。
更に、ユダヤ、キリスト、イスラム教は、世界の戦争の種であったこと。

異教徒、異端・・・
この名目さえあれば、殺しても、罪の意識が無いと言う、残酷極まる行為。

一神教といわれる。
共に、旧約聖書を奉ずる。
カトリックは、それに、新約聖書、つまり、イエスの生涯を付け加えた。

そして、イエス・キリストも、いつの間にか、白人になっているという。
イエスは、アジア人である。

白人の、弱肉強食、世界制覇の野望・・・
それは、今も続く。

そこで少しばかり、その歴史を見回して、その思想を探り、彼らのしてきたこと、そして、目指すものを見る。

思想というより、彼らの生来の、遺伝子にある、暴力、排他性など・・・多々ある。

彼らの、理想主義は、われらの考え方こそ正しいものであるという、信仰に尽きる。
そして、それに反するものは、すべて悪であるという、考え方。

ヨーロッパ白人の、300年ほどの、短期間に作られた、軍事力と、文明・・・それで、世界制覇が出来たという。
何故・・・

異民族に対する、冷酷非情な性格は、いつから作られたのか・・・

千年単位の歴史的スパンが必要である。

その中で、注目すべきものは、8世紀からの、北方ゲルマン民族による、バイキングである。
要するに、海賊行為である。
イギリス王室が、その象徴である。

そして、キリスト教を政治に取り入れて布教し、11世紀から13世紀に渡って、イスラム世界を侵攻した、十字軍の遠征。
ここから、戦争がはじまる。

更に、近代を拓いた思想家といわれる、デカルトである。
人間中心の二元論的思想、哲学。弱肉強食という、考え方は、ダーウィンの進化論を元とする。
これは、西洋の、物質科学技術文明の世界支配を表すものである。

西洋は、30年戦争という、カトリック対プロテスタントの戦いで、戦争抑止の考え方を、持つに至った。
それで、漸く、目覚めたが、今度は、世界に対しての戦争を仕掛けたのである。

旧約聖書を元にする宗教は、戦いが好きである。
その神が、そのようだからである。
更に、異端と、異教徒に対する、非情な扱いも、然り。

聖書の中には、戦いの場面も多く、更には、一つの民族を滅ぼす行為もある。
野蛮極まりない、その神の教えを、奉じるのであるから、当然と言えば、当然である。

頑迷な信仰が、もたらす、戦争。決して、平和的な解決など、望むことの出来ない、その信仰である。

宗教の功罪は、計り知れないものがある。

ところが、中国を省く、東洋の思想、宗教は、別物である。
真っ先にくるのが、慈悲の行為と、共感と、受容である。

インドにても、争いを持ち込んだのは、ゲルマン民族である。

更に、小賢しい屁理屈が好きで・・・
それらの、思想、哲学・・・
終わりの無い、戦いを続けている。

日本は、島国である。
それらのものを、理解するには、とてもとても、時間を要する。また、納得するにも、余程の、粘り強さが必要である。

我に、無いものを、理解するのは、至難の技である。
しかし、世界がここまで、狭くなっている。
理解せずして、付き合うことは、出来ない。

更に、相手とやり取りするに、相手のことを、知らなければ、手の足も出ないのである。

世界の平和を願うのならば、彼らの、白人主義を、十分に知ること。
そして、その対処法を考えるべきである。
野蛮人を相手にするのである。

posted by 天山 at 02:16| 国を愛して何が悪い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月28日

国を愛して何が悪い28

彼らの非情な掠奪性、侵略性、野蛮性の本性は。十字軍の蛮行( 白人はこれを聖戦と呼ぶ )やコロンブス以来の世界侵略( 大航海時代と呼ぶのは白人側からみた一方的な自己賞賛の史観だ )の手口、英米アングロサクソン族の世界制覇の手口、特に第二次大戦におけるアメリカの日本侵攻と原爆投下の蛮行などにバイキング精神は一貫して流れているのである。三つ子の魂は、百まで変わらないのである。
破約の世界史 清水馨八郎

ヨーロッパの歴史を見る。
四世紀頃にはじまる、北方ゲルマニア民族の南方大移動により、開始された。
彼らの現住地は、スカンジナビア半島の南部と、バルト海海岸地帯である。

この民族の大移動により、ローマ帝国は東西に分裂し、やがて西ローマ帝国は、滅亡していく。

ゲルマン民族は、土着の民族を征服し、略奪して各地に王国を作る。
その後、8世紀から、11世紀に渡り、同じスカンジナビア南部と、バルト海に残る北方人のノルマン人が、バイキングとなり、ヨーロッパ全域に侵入し、四世紀に渡り、爆発的に跳梁してまわったのである。

バイキングとは、海賊である。

バイキング、ノルマン人は、入江に住む海洋民族である。

彼らは、ゲルマン人の大移動の際に、動かなかった。何故、動き出したのかは、未だに、謎である。

バイキングは、居住地、言語、風習などから、スウェーデン、ノルウェー、デンマークの三部族に大別される。

彼らは、全ヨーロッパの海外から地中海にまで及び、河川があれば、入江と見立てて、どんどんと、さかのぼったのである。
いや、攻め上がったのである。

手当たり次第、食糧や財宝を奪う。そして、放火し、殺戮を繰り返した。

やがて、既存の先住民族の王国を滅ぼす。

現在の、英仏などの、ヨーロッパ諸国の基礎を作ったのである。

イギリスの王室は、先祖が勇敢なバイキングであることを、誇りにしているというから、驚く。

つまり、それは、略奪強盗の海賊行為を、少しも恥、罪と思わないということである。

北欧の三国が、現在では、福祉国家の模範とされているが・・・
彼らの先祖は、荒くれたバイキングの先祖を持つ民族である。

更に、現在の英米の、アングロサクソン民族の先祖が、海賊のバイキングであったことである。

過去は、問わないが・・・
そのようであった、ということである。

アメリカが移民の国であることは、承知している。
だからこそ、移民の国としたい、気持ちが解るというものだ。

バイキングの先祖たちが、何故あれほど北の地に住むようになったのか・・・
彼らは、南のコーカサス地方に住む、アーリア人であり、騎馬民族の蒙古の侵入によって、追われたものとの、見方がある。

さて、ヨーロッパ白人が、短時間に全世界を制覇、制服できたのは、鉄砲という武力だけではない。それに、キリスト教という、文治、宣撫策を巧みに利用したのである。

侵略者は、鉄砲と同時に、十字架も、担いでいたのである。

宣教師・・・
彼らは、その先兵となったのである。
更に、征服した土地の民衆に宣教するという、働きをした。
つまり、文化のみならず、宗教の強制である。

日本の場合を見ると、ザビエルが1549年に来日している。
スペイン人である。
当時の、スペインは、限りない残虐性で、他民族を虐殺して、キリスト教を強制している。

当初は、信長、秀吉は、その布教を許した。
が、秀吉が、宣教師はスペインの日本侵略の先兵である事を知ると、宗教上の鎖国政策をとった。更に、禁教である。

家康もそうである。

宣教師の匠さは、凄いものである。
天主教と名のり、ローマ法王を主とする、洗脳教育を行う。
民衆の中に入り込み、巧みに信者を増やす。

一時期、九州は、乗っ取られた状態になるのである。
それを、秀吉が見逃さなかったのである。

例えば、スペインの植民地となったフィリピンは、現地の人たちの伝統をぶち壊して、キリスト教に回収させ、徹底的に、洗脳をした。
フィリピンという国名も、スペイン王から、取られたものである。

白人主義と、キリスト教の融合・・・
原始キリスト教は、ユダヤ人のイエス主義である。

だが、ローマ帝国が、キリスト教を国教にしてから、手前勝手な教義を作り出すのである。

白人キリスト教、つまり、ローマカトリックである。

その、排他的独善的征服性は、限りない。

先の、清水氏は、キリスト教とだけ、記すが、その前に、ユダヤ教がある。
その、ユダヤ教の旧約聖書も、取り入れて、更に、新約を付け加えたのである。

そして、好き勝手に、教義を作り出せたのである。

新旧約聖書は、矛盾だらけである。
しかし、それが、何より勝手な教義を作るのに、役立った。

森林で生まれた世界観と、砂漠で生まれた世界観とは、当然、別物になる。
それほどの、違いがある。

東洋は、森林であり、ユダヤ、キリスト、イスラム教は、砂漠である。

旧約聖書の世界は、砂漠が主であり、そこから生まれる人間の感情は・・・

その地が、峻厳で、過酷であれば、あるほど、嫉妬、怨念、復讐、対立、そして、抗争を生む。
現に、旧約の神は、言う。
私は、嫉妬と妬みの神・・・
復讐の神・・・

とんでもない、魔神である。

モーゼ五書と言われる、旧約聖書の、最初から、人殺しに溢れているのである。

ユダヤ教は、神ら人へ、そして、人から自然へと、階級を作り出した。
そして、人間は、神の代弁者であるという・・・

動物を家畜化して、人間の労働を代りにさせ、乳を絞り、殺して食べる。そこに、罪や憐れみの感情は無い。

他民族を征服し、奴隷化すれば、奴隷は家畜として同列となり、彼らを家畜並みに扱っても、罪悪感も憐れみも感じない。

旧約聖書の世界観は、遊牧、牧畜、奴隷使役生活に、都合がいい。

この思想が、後に、どれほどの、自然破壊を生むことになったか・・・

人の下に自然があり、それは、人のために、存在するという、思想だから、どこまでも、自然破壊を推し進めるのである。
世界的自然破壊、砂漠化の、主たる原因はキリスト教に代表される、旧約聖書の思想である。
そこに、何の反省も見られないのである。
実に、傲慢な考え方である。

posted by 天山 at 00:05| 国を愛して何が悪い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月29日

国を愛して何が悪い29

旧約聖書の世界観は、神が人を造り、人が、神の作ったもの、自然、つまり、動物、植物、被造物全体を治めるという、階級主義である。

人は、神の次の存在ある。
そこから、更に発展して、他民族を征服し、奴隷化すれば、奴隷は家畜と同列になり、家畜並みに扱っても、何ら罪悪感も、憐れみも、感じることはない。

人間を奴隷にするという意識は、古代日本人にはなかった。
日本の場合は、奴婢である。
彼らは、奴隷のようであるが、人として扱われた。
動物と同じではない。

有史以来、世界の砂漠化は、人間の営みによって、急速に進んだ。
それは、遊牧、肉食民族の、一神教と軌を一にする。

現在の、地球環境の悪化、砂漠化の責任の一端は、その思想にあるといえる。

キリスト教の、南米アメリカ大陸への拡散により、森林の牧畜化によって、森の破壊が一挙に拡大した。
北米は、キリスト教徒の入植以来、わずか300年の間に、森の八割が消滅したのである。

更に、新約聖書にて、イエスが説いた愛の思想は、人間のみの愛と、自己犠牲と解釈した。自然に対する愛は、無い。
そして、動物に対しても・・・

そして、恐ろしいことは、イエスの説く、平和と愛の対象が、白人自身の身内であり、自然の動植物、家畜や、奴隷などは、入っていない。
白人以外の、異民族、他宗教の信仰を持つ人たちも入らない。
ここに、非排他的独善性の思想がある。

キリスト教以外の人間は、野蛮人として排除、抹殺しても、いいのである。

モーゼの十戒を見ると、殺すな、盗むな、騙すな、姦淫するな・・・
野蛮人が守るべき教えである。
つまり、そういうことを、行っていたということである。

それに比べて、日本の最初の、憲法は、和を以って貴しとなす、である。
今から、1400年前も日本人は、高度な礼節を守る国家を形成していたのである。

十戒は、命令であり、十七条憲法は、諭すものである。

ユダヤ教から、砂漠のカナンの地から、地中海を通り、キリスト教を生み出し、ローマの国教となり、北方のヨーロッパ全域に、急速に広まった。

妬み、復讐、対立、抗争の思想である。

それは、権力者、政治支配、侵略行為には、都合がいいものだ。
宗教が政治と結び、互いに相助けて、白人キリスト教が布教されるという、形である。

インドの、仏教の教え・・・
東洋の思想・・・
全く意を異にする。

そして、日本の思想も、自然との共感と、共生であり、慈しみの心に溢れる。

自然に対する、二つの考え方。
一つは、自然を征服して、自然からかけ離れた、反自然のものに、作り上げるという、あり方である。

そして、もう一つは、自然を耕しながら、自然を離れず、自然らしく見せ、自然に即する、洗練を求めるあり方である。

最初のものは、ユダヤ教から出た、キリスト教、イスラム教の一神教である。
そして、次が、豊葦原の瑞穂国、と呼んだ、日本人の固有の自然観である。

仏教、東洋思想にあるもの。

日本人は、自然のいのち、人間のいのち、を連続してみることになる。
いのち、というものの中に、連続性を見るとは、自然のいのちを、鏡として、目標とし、それと一つになろうとする営みを生活の根本におく。

そこから、生まれた、宗教的態度・・・
この宗教という言葉自体が、キリスト教から生まれたものであり、信仰と呼んでもいいが、心性と、呼ぶ方が好ましい。

信仰とは、心性によるものである。

それぞれの、信仰と呼ぶことより、心性と呼ぶことが解りやすい。

日本人の心性は、その固有の性質において、日本の気候、風土に即した、自然的な生活、そして、日本語という特殊な言語構成を持つ、精神生活と深く結びつく。

それは、つまり、伝統的な生活の仕方と、切り離して考えられないものである。

もっと、深く追求すると、自然に色々と文化の手を入れて、自然と明確に対立する形で、文化を打ち立てた西洋。

それに対して、自然に手を加え、文化の手を入れるが、粗野な自然を脱して、自然らしい、洗練を装うことを主とする、日本の伝統である。

自然に即するもの・・・

全く別物である。

だから、日本人は、西洋文化を真似ても、しっくりとこない。また、和洋折衷という姿を作り出せるのも、その心性が底辺にあるからである。
そして、和洋折衷も、日本のものになったのである。

一時期、猿真似といわれた日本人だが、真似ることから、日本人に相応しい形を、作り出すことが出来る、許容範囲を持つのである。
極めて、寛容である。

そこに、排他性があれば、出来ないことである。

調和と、美意識は、自然を鏡として、手本として、自然を写し、手入れをしてきた、民族のあり方である。
それは、宗教的であり、信仰的である。
心性と、呼ぶ。

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2012年08月30日

国を愛して何が悪い30

オランダの、画家ゴッホは、今では知らぬ人がいないし、その作品は、特別な価値がある。だが、彼は生前、一枚の絵も売れなかった。

その彼を支えていたのが、彼の弟のテオである。
兄に仕送りを続けていたのである。

その、親愛の弟に書き送った、ゴッホの手紙・・・
そこには、所々に美しいスケッチが描かれていた。

ゴッホの死後、テオの奥さんが、その手紙を整理し、編集して出版した。
この、ゴッホの手紙が世に出て、そのスケッチが注目を集める。

ゴッホは絵描きになるはずではなく、最初は貧しい炭坑町に出向いて、キリスト教の伝道を行っていた。
文字通り、自分の身についた、あらゆるものを、愛のしるしとして与えて、聖書の言葉通りに、神の愛を、この世のものとすべく、実践した。

最後は、ボロを身にまとい、乞食同然の姿になった。
それが、伝道協会により、相応しくないとの理由で、非難され、遂に牧師を止めさせられたのである。

宗教という形で、神の道を実践できなくなったゴッホは、今度は、絵筆をとり、絵画という芸術の世界において、神の愛を描きあげようとする。

そして、ゴッホの修行がはじまり、その修行上の鏡となったのが、日本画であったという、事実に驚くのである。

そして、彼は日本画を生み出し、日本人の生活に多いに影響されるのである。

ゴッホの手紙から
日本の芸術を研究してみると、あきらかに賢者であり、哲学者であり、知者でもある人物に出会う。このような人物は、どういう歳月をすごしておるのだろう。地球と月との距離を研究しているのか。いや、そうではない。ビスマルクの政策を研究しているのか。いや、そうでもない。彼はただ一茎の草の芽を研究しているのだ。
ところが、この草の芽が、彼にはあらゆる植物を、つぎには季節を、田園の広々とした風景を、さらには植物を、人間の顔を描けるようにさせるのだ。こうして、彼はその生涯を送るのだが、すべてを描きつくすには人生は余りにも短い。
いいかね。彼がみずからが花のように、自然の中に生きていくこんなに素朴な日本人がわれわれに教えるものこそ、真の宗教ではないだろうか。

以上を見ると、宗教という言葉でしか、表せないゴッホの気持ちが解る。

あらゆる情緒的な人間の活動を、宗教という言葉で、表すことと、ここでは、確認しておきたい。

更に、ゴッホは
呼吸のように単純で、まるで服のボタンでもかけるように、簡単に楽々と教本の線で描きあげる。

因襲的な世界で教育をうけて仕事をしている我々には、もっと日本の芸術を研究して、自然に帰らなければいけない。日本の芸術を研究すれば、誰でも、もっと陽気に、もっと幸福にならずにはいられないはずだ。

フランスで、北斎の作品を頂点とする日本画を、鏡とし、基礎として、その手法と精神を生かそうとする、印象派の芸術家たちのことを、ゴッホは、フランスの日本人と、呼んでいたのである。

日本人は、ただ、自然のあるがままにというだけではない。
文化的に洗練した手心を加えて、あたかも、自然そのもののように、自然に則して、自然らしくあることを、究極の目的とするのである。

それは、非常に深い自然に対する、愛情であると、いえる。

日本の文化とは、それなのである。
それは、日本人の心性である。

熟達した生活感情に根をおき、そこから生まれた文化の一つの型を作り上げていった。
それを、伝統と呼ぶ。

そして、伝統は、日本の場合は、いつも新しいのである。
伝統から、伝統へ・・・

牧師だったゴッホが、自分から、花のように、自然の中に生きている日本人の生活が、真の宗教だと、言い切るのである。

これは、旧約聖書などの思想からの、大逆転である。
牧師だったゴッホが、西洋の言う宗教という感覚を、超越したのである。
それが、日本画による理解から、日本人の生活態度を、読み取ったのである。

宗教という、訳語は、明治期にある。
その前は、ペリーの黒船の際に、宗旨と訳していた。

宗旨とは、つまり、仏教のそれぞれの、宗派という意味である。

キリスト教によって、行われた、宗教学という、言葉では、日本の場合は、収まらないものがある。

だから、私は、心性というのである。

民族の、あらゆる精神活動をもって、心性という。

あちらは、宗教という概念で、すべてが収まるが、日本の場合は、収まりがつかない。
一神教と、多神教・・・
そんな違いではない。

生き方の違いであり、精神活動の違いであり、心のあり方の違いである。

更には、論理的に語れば語るほど、あちらの人は、理解できなくなるのである。

その良い例がある。
ドイツ人に、神道のことを尋ねられて、少し説明すると、更に、更にと、問い掛けてくる。すべてを、言葉で理解するという、態度は、理解するが、その場に、来て、体得しなければ解らないことが多々あるのである。

何もない所に結界を設けて、神呼びをして、祈り、そして、皆で会食し、終わると、神送りをして、一切の跡形を無くする。
巨大な神殿を造り上げて、そこに神の存在を感じて祈り、歌うという、キリスト教の儀式とは、全く異質なものである。

宗教学に惑わされてはならない。
更に、日本には、厳密に宗教と呼んでいいものかどうかという、疑問を私は、持つ。
言えば、伝統である。

日本は、天皇を戴く伝統の国である。
私が、海外に出て、一貫して、日本を説明するのに、用いている言葉である。


posted by 天山 at 05:22| 国を愛して何が悪い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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