2012年07月30日

国を愛して何が悪い23

李朝朝鮮において、事大主義が決定的になったのは、高麗朝を滅ぼし、李朝を成立させた、太祖、李成桂が、それまでの尊仏崇武を廃止して、尊儒崇文を国是とし、朱子学を国学と定めてからである。

ちなみに、日本の江戸時代、朱子学を主として、将軍家が推奨したが、仏教も、国学も、盛んだった。そして、老荘思想も、である。

高麗時代は、仏教国家だった。それ以前の、三韓時代も、そうである。
日本に仏像を贈ったのも、百済王である。

大陸、半島での、仏教隆盛は、大陸では南北朝時代から、隋、唐時代で、朝鮮では、高句麗、新羅、高麗時代であり、日本では、奈良、平安時代である。

大陸で、仏教が隆盛して、儒教が衰退する。
その中で、宋の時代、儒教に変わり、理気学という、新儒学が唱えられた。

それを、南宋の朱子が集大成したものが、朱子学である。

大陸では、仏教が衰退すると、朱子学が定着し、元の時代になると、公認されるようになる。
その、朱子学が、半島にも流れて、李朝時代に、国教化されたのである。

朱子学は、三綱五倫、つまり、君臣、父子、夫婦の道、三綱と、君臣の義、父子の親・夫婦の別・長幼の序・朋友の信、五倫を、中核にして、厳格な道徳秩序によって、支えられると、考えた。

同時に、国王を国父、王妃を国母とする、家父長的な家族主義の絶対化により、忠君愛国の名分と秩序を唱える。

これを形式的に、法に変わり、支えるのが、礼である。
だから、朝鮮は、君父を、中華の君を父として崇めるという、忠誠心が非常に強くなった。

つまり、それは朝鮮が、当時の中華帝国である、明王朝に臣属として、忠誠を誓うことを意味したのである。

そして、悪名高い、両班、ヤンバン官僚体制を確立することになった。
加えて、大中華の属国、礼儀之邦と認知されることで、李朝による、支配が正当化され、共に、大中華に奉仕する理論付けが確立された。

これが、歴史である。

朱子学を国教化した、李朝は、大中華に対する君臣の義が、絶対化され、以来、朝鮮は、朱子学の大義名分に従い、君臣の義を守り続ける運命を、自らが負ったのである。

不幸のはじまりであった。

李氏一族の、属国願望は、限度を超えて、徹底したものになり、明から国号を希い、国王の認知を求めて、生殺与奪の権利を、すべて宗主国に任せてしまった。

人類史上類例を見ない属国根性である。
黄 文雄

唖然とすることは、朱子学は、単なる、儒教の一部を取り入れたものであり、朝鮮では、仏教用語を用いて、孔子、孟子の教えを解釈しただけであるということ。

現代韓国においても、精神文化の核は中華で誕生した朱子学であり、韓人が独自に創出したものではない。
黄 文雄

韓国では、儒教が盛んで・・・云々・・・
嘘である。

朝鮮にはその独自的文化なし。もしあるとすれば、仏教文化と儒教文化などの外来文化のみ。
高橋亨 朝鮮人の特性

唯一、独創性のあるものは、ハングル文字である。
しかし、それも、朝鮮自らが、破棄したのである。
日本の努力によって、ハングルは、日の目を見たという、皮肉である。

現代韓国人が、反日を叫べば、叫ぶほど、史実としての、歴史が明らかにされるのである。

やぶ蛇と言う。

ハングルの復興については、以前に書いたとおりである。

その他、愚かしいことが、多々あるが、省略する。
ただ、日本と比べると、全く違う文化的受容力だということだ。

日本にも、大陸から、あらゆる思想が輸入されたが、日本は、それらを、独自に日本的、日本流に変容し、伝統文化にまで、高めたのである。
更に、取り入れなかったものもある。

宦官などは、日本には存在しない。
科挙の制度も。

宗教、宗派は、強烈な排他性を持つ。
しかし、朱子学は、宗教ではないが、それ以上に、極端に無情な排他主義である。

だから、朱子学を国教化したということは、あらゆる思想、学問を排斥したということである。

例えば、諸子百家、陽明学、仏教、西学と呼ばれたキリスト教、東学といわれた民間信仰の、儒教、仏教、道教を取り入れたものなど・・・

そして朱子学の国教化によって、半島では他者に対して絶対不寛容で、まったく空疎な空理空論を果てしなく繰り返すという儒教的精神風土が形成された。現代の韓国の朱子学者も、この性格をしっかりと受け継いでいる者が多い。
黄 文雄

今日でも、この傾向から抜け切れないでいるのは、一目瞭然である。
南北の対立、内部抗争に見られる不寛容さは、まさに李朝時代からのもの。

そして、一番は、朱子学によって、大に従うという、事大主義が完成したということだろう。
更に、それを、今も冷静に判断する思考力に欠ける、韓国人という民族に、未来を見るとき、何か、暗澹としたものを感じるのである。
一致団結するのは、反日の時だけで、後は、反目、批判、中傷・・・・
現代韓国の、社会問題は、一向に解決の目途が見えない問題ばかりである。

それなのに、宗教に入信すると、何にせよ、盲目になり、イスラム圏に平気で、キリスト教を布教に行くという、信じられない行為をする人たちがいる。
陶酔型の信仰なのであり、決して、理性的ではないのである。



posted by 天山 at 00:00| 国を愛して何が悪い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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