2012年07月14日

霊学70

経験を分析することは、実験の被験者に内観的報告を求めることより、はるかに野心的な企てである。わたくしが内省しているときには、わたくしは自分自身を、あるいは自己の意識内容を客体として扱っている。もし実行できることなら、実験者がわたくしの心のなかに入ってきて、そこに何が起こっているかを彼自身で見てもらいたいものである。
そうすれば、彼は自分で、わたくしの残像を記述することができるわけだし、また彼の記述はわたくし自身のものと実質的には異ならないであろう。内観にあっては、わたくしはいわば外部の観察者の内部的な代理として働いているのである。
コーエン

だが、現象学的分析においては、それとは対照的に、実験者に向かい、あなた自身で見てくれとは、言えない。
外部の観察者としての、実験者が、仮に、わたくしの内部にあったとしたら、行うであろう記述をすることなどにはない。

今何が起こっているかを、主体的な見地から、述べることにあるからだ。
記述しているものは、個人的な経験であり、彼が、わたくしの立場にあればまた別なように感ずる。

現象学的分析では、わたくしは、恐れたり、空腹であったり、ねたんだり、苦しみ悩んでいるときの、自分の身体的変化を記述するような離れた傍観者たろうとするのではない。わたくしは、わたくしの経験に近寄ることのできない観察者の代理としてふるまっているのではない。わたくしは、わたくしが経験しているところのものを、特殊な生活史をもった一人の経験する主体として実験者に伝えているのであり、そして実際、ほかのだれにせよわたくしになるのでなければ全く不可能なことをしているのである。
コーエン

つまり、現象学的分析は、情動的な関連と社会的なかかわり合いについての、言語化されない諸経験を開明するのである。

自分のことは、知っている・・・
だが、それを、すべて表現することは、無理なことである。

更には、自分でも、自分が排除しているものに、気づくことはない。

それを、心理学者が、僭越的に、相手に、押し付けることなど出来ないのである。しかし、それを、彼らは、やってしまうのである。

心理学者が言語行動とそれから抑圧された無意識現象について抱いている先入観が、われわれが確かに「知って」はいるが、しかし大きな努力を払わなければ明らかにすることのできない経験の「余韻」を軽視させてきたのである。
コーエン

更に
また、何も陳述しない沈黙が、最も賢い演説よりも雄弁であることも忘れないようにしょう。
と、言う。

心理学者が、沈黙する時が、あるだろうか・・・

おおよそ、すべてを、その先入観で裁くだろう。
数学の答えのように・・・

要するに、テキストにある通りに解釈して、裁き、堂々として、心理学者の、威厳を見せ付けるだろう。

実際、何の痛みを、感じないことでも・・・

医者は、痛みを感じないが、痛みに対処する方法を、学んでいる。
しかし、心理学者は、一体、何を学んでいるのか。
明らかに、先入観という、観念を積み上げているのである。

だから、自分に問題が起こった時に、パニックになるだろう。
論理矛盾、論理破綻が起こる。

先入観は、粉々に壊される。

精神科医の、死因の第一は、自殺である。
何故か。
自分の論理で、自分を治められないのである。
しかし、患者には、その論理で、治療してきたはず。

コーエンの、批判を私は、このように、聞く。

この、コーエンの本の訳者のあとがき、には、
人間の経験は、たんに神経系の活動には還元できぬ独自のものであること、経験の意味は、人の内部からくるものであり、またその個人の過去と未来とからしか解読できないこと、および、人間は自然性をもつと共に歴史性をもつことなどを説こうとするものである。
と、ある。

それは、個人の内的な体験に深く分け入るというより、人間の心理に普遍的にひそむ、自然的な経験を展望するものという意味を、見る。

心理学への、批判は、実に有意義である。
この本は、1963年に、翻訳が開始され、六年に渡って、完成したものである。
つまり、出版されたのは、1969年、昭和43年である。

多くの心理学者によって、読み続けられたであろうが・・・
今も、充分に耐ええるものである。

人間性そのものの、心理現象に迫る、独自の立場を取るといわれる。

だから、人間性の心理なのである。

心理学の一つの見方は、次回で終わるが、より深く心理学に迫るために、無意識の世界を取り上げる。

この、無意識についても、心理学は、観念まみれになっている。
それは、無意識による・・・

無意識からの・・・

潜在意識については、成功哲学といわれる、商売、金儲けの人たちにも、支持されている。
潜在意識は、無意識にある領域である。

もし、無意識を野放図に解放したら、人間は、狂うしかなくなる。
潜在意識も、かろうじて、狂わない手前を使用すべきである。

下手をすると、単なる、誇大妄想に陥るのである。



posted by 天山 at 05:20| 霊学2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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