2012年07月06日

神仏は妄想である。376

宗教としての道教を、見ると、道家、易、陰陽、五行、シン緯、巫祝、天文など、さまざまな要素を集大成したものである。

ただし、これは、出来上がって行く過程においてのもの。

すでに出上がった、道教の内容ということになると、べつの視点が必要になる。
その時、およそ、四つの視点に、区分けされる。
哲理的なもの、倫理に関するもの、医術に関するもの、方術に関するもの、である。

更に、それらが、微妙に重なり合うということ。
道教が、実に、不透明なのは、その一つが欠けても、更に、その一つのみでも、道教ということが出来るということである。

成立道教も、民衆道教も、然り、である。

さて、その哲理的なものであるが、これが道教の教義、教学に当るものである。
天地万物の原理、すべてのものの、根元としての、道、天道について、論じたものである。

具体的には、老荘思想に関するものと、それに基づき、作られた、経典類である。

そして、神仙である。
彼は、その道の実践者であり、それらの、伝記、系譜類なども、一つの経典となる。

説明する前に言うが、実に荒唐無稽なものである。

およそ、宗教の経典とは、凄まじい人間の妄想力である。

何せ、道教の目的は、不老長生であるから、それ自体が、曲者である。

人間が、永遠に生きられないものであるという、厳然たる、事実に、反しているのである。妄想と、言うしかない。

例えば、いかに、養生法を守っても、悪事をすれば、すべての修行は、無効になり、不老長生の目的は、達せられない。
これこそ、道教の倫理である。

すでに、四世紀に、地仙になるためには、三百の善行を積み、天仙になるには、千二百の善行を必要とする。
もし、千九百九十の善行を積んでも、最後に、一つの悪事をすれば、それまでの、善行は、無効になるという。

これは、決して、仙人にはなれないという、前提としか、思えない。

何せ、人間である。
それを、見越しての、教えのようである。

更に、この道教の倫理は、時ともに、強調されてゆく。
そして、その善とは、一般的な道徳を意味するもので、道教のみで、規定する特殊なものがあったわけではない。

ただし、儒教や、仏教の場合と違うのは、決して善そのものが、目的ではない。
不老長生に到達するための、手段なのである。

あくまでも、実践的なものだった。
が、これこそ、中国大陸の人たちの、実に、現世利益的な考え方である。
だが、決して、目的には、達することができないという・・・

悪を避けて、善を行わなければ、早く死ぬという、道徳観である。

儒教や、仏教の倫理のように、概念化されたり、思想化されたりするものではないのである。

そして、今の中国を考える上でも、実に有効にことであるが、中国民衆の実践道徳は、孔子、孟子などの説いた、儒教の倫理や、老荘思想に基づく、理念に支配されたものではなかったのである。

中国民衆の、道徳とは、道教の実践的、倫理によって、支えられていたのである。

道教の、実践道徳を記した「善書」が、民衆に受け入れられたのである。

実際、儒教の理念、その思想に関しては、日本の方が、真っ当だったといえる。
儒教は、日本によって、完成されと、私は言う。

研究家は、言う、
したがって、儒教倫理の理念だけで中国人の生活を律するのは、近世以降の日本における儒学者ならびにその系譜をひく学者・思想家の描いた空中楼閣的な虚像にすぎない、といってもいいすぎではないと思う。
と、のこと。

まさに、その通りである。

以前、禅について書いた際に、老荘思想の言葉によって、その概念によって、禅が解釈されたといった。
中国禅は、決して、天竺からのものではないのである。
仏陀の系譜を、そのまま、継ぐと信じた、禅の人たち・・・

老荘思想によって、固められた、禅という、思想を、真実の禅であると、信じきって、禅宗が、成立したのである。

更には、中国での、多くの偽書である。

道教が、仏教と、対決するために、書かれた偽書には、仏陀が、道教の開祖とまで、書いたのであるから、開いた口が、塞がらない。

しかし、この民衆道教が、日本に与えた影響は、計り知れないのである。

更に、道教を説明しつつ、その妄想について、書き綴る。

道教の中心は、不老長生である。
ということは、直接的には、肉体的命の維持が、最大の目標に成る。
当然、医術的の部門が、最重要視される。

それは、現世利益的な宗教としては、その特徴を発揮するのが、最も多かった部門である。

質量共に、道教の大部分を占めていたのは、当然である。
その具体的な事柄について、書き続けることにする。

更に、それらの中では、今でも、行われているものが、多数ある。
そして、仏教の派閥の中でも、知らずに、道教的方法を取り入れているものもあるのである。




posted by 天山 at 00:01| 神仏は妄想である。第8弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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